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説教日:2003年8月31日 |
これまで、創世記13章に記されていることに基づいて、アブラハムが自分の弟ハランの息子であるロトと別れて住むようになった時、どこに住むかの選択権をロトに譲ったということをお話ししました。10節、11節に、 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。 と記されていますように、ロトは、潤っており繁栄している町のある「ヨルダンの低地全体」を選び取りました。アブラハムがロトと別れた後のことを記す14節〜18節には、 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。 と記されています。 きょうお話しすることとのかかわりで注目したいのは、17節に記されている、 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。 という主のことばです。前回お話ししましたように、 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。 ということには、王たちが自分の領土を治める権威を象徴的に示すためにその領土を見回ったという、その当時の文化的な背景があります。その意味で、これは王的な権威を表わすものです。言うまでもなく、これは主から委ねられた王的な権威ですので、アブラハムは主の契約のしもべとして王的な権威を行使するよう召されたのです。 アブラハムは、この世の権威の序列の基盤である年長者の序列という発想から自由でした。おいのロトに対して自分の権威を振りかざすことはしませんでした。また、見た目の豊かさに潤っている所を自分の住み処としたいというような思いからも自由でした。もちろん、その自由は、主の恵みによってアブラハムに与えられたものです。主はこのようなアブラハムに、王的な権威を委ねてくださいました。 このことを念頭において、創世記14章に記されていることを見てみましょう。14章1節〜4節には、 さて、シヌアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティデアルの時代に、これらの王たちは、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シヌアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラの王、すなわち、ツォアルの王と戦った。このすべての王たちは連合して、シディムの谷、すなわち、今の塩の海に進んだ。彼らは十二年間ケドルラオメルに仕えていたが、十三年目にそむいた。 と記されています。 これは東の王たちの連合軍がカナンに進軍してきて、当時「シディムの谷」と呼ばれた死海の谷で、カナンの五人の王と戦って、これを打ち破った時のことを記しています。 東の王たちの国のうち「シヌアル」は、今日のイラクに当たります。また「エラム」は、今日のイランの南西部です。残りの二つについてはいろいろな見方がありますが、はっきりしません。「エラサル」は、古くから、今日の黒海の南岸の地方のことであるという説があります。また「ゴイム」は、メソポタミア北部の遊牧民ではないかと見られています。いずれにしましても、これはメソポタミアの北部から南部にわたる国々の一大連合だったわけです。 一方、カナンの王たちは死海の沿岸の五つの町の王たちですが、その正確な位置については分かりません。そこに記されているいくつかのことから死海南部にあったのではないかと考えられていますが、そこから古代の町の遺跡は発見されていません。最近の調査から、死海の東岸の町の可能性も考えられているようです。それらの町は戦争によって破壊されたことを示していますが、年代がアブラハムの時代より古いと見なされています。 これに続く5節〜7節には、 十四年目に、ケドルラオメルと彼にくみする王たちがやって来て、アシュテロテ・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、セイルの山地でホリ人を打ち破り、砂漠の近くのエル・パランまで進んだ。彼らは引き返して、エン・ミシュパテ、今のカデシュに至り、アマレク人のすべての村落と、ハツァツォン・タマルに住んでいるエモリ人さえも打ち破った。 と記されています。「ケドルラオメルと彼にくみする王たち」と言われていることから、東の王たちの連合の中心は、「エラムの王ケドルラオメル」であったと考えられます。この時代にエラムは強力な国であったことが知られています。また、これは、カナンから見てヨルダンの川向こうの民を打ち破ったことを記しています。このことから、この東の王たちの連合軍がいかに強力な軍隊であったかがうかがわれます。 カナンの王たちは、「シディムの谷」で東の王たちを迎え撃ったのですが、破れてしまいます。 10節〜12節では、 シディムの谷には多くの瀝青の穴が散在していたので、ソドムの王とゴモラの王は逃げたとき、その穴に落ち込み、残りの者たちは山のほうに逃げた。そこで、彼らはソドムとゴモラの全財産と食糧全部を奪って行った。彼らはまた、アブラムのおいのロトとその財産をも奪い去った。ロトはソドムに住んでいた。 と言われています。 17節で、 こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。 と言われていますので、ソドムの王とゴモラの王は、作戦として「瀝青の穴」に身を隠したという説もあります。しかし、この場合、「王」はその軍隊を代表していて、ソドムの王とゴモラの王とそれに従っていた軍隊が「瀝青の穴」に落ちて、ソドムの王は助かったと考えることができます。この後、ゴモラの王は登場してきませんので、ゴモラの王は助からなかったのではないかと思われます。 13節〜16節には、 ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの親類で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。そして、彼はすべての財産を取り戻し、また親類の者ロトとその財産、それにまた、女たちや人々をも取り戻した。 と記されています。 13節に記されていますように、アブラハムは「マムレ」と「エシュコル」と「アネル」たちと盟約を結んでいました。24節には、 ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。 というアブラハムのことばが記されていることから、アブラハムと盟約を結んでいた「アネルとエシュコルとマムレ」も、追撃に参加したことが分かります。ただし、その中心であり救出作戦を展開したのは、アブラハムでした。 東の王たちの連合軍は、メソポタミアからカナンにまで遠征してきて、その道筋の民を征服した、強力な軍隊でした。アブラハムはわずか「三百十八人」のしもべたちと、「アネルとエシュコルとマムレ」の軍隊で、これを追撃して打ち破っています。このことから、アブラハムが軍事的な能力にも優れていたことが分かります。当然、アブラハムがその気になれば、カナンの王たちに劣らない王国を建設できたであろうことが分かります。 ヘブル人への手紙11章9節、10節では、 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。 と言われていました。アブラハムが「天幕生活」をしたのは、アブラハムが自分の国を建設することができなかったためではありません。アブラハムは、理由があって「天幕生活」をしたのです。9節では、それは、アブラハムの信仰によることであったと説明されています。アブラハムには自分を中心とした国家を建設する力がありました。しかし、そのような血肉の力によって建設できるのは、この世の国家の一つでしかありません。それは、血肉の力で建てられ、血肉の力によって守られ、血肉の力の衰退とともに衰退していってしまう国家です。アブラハムは、そのような国を求めていたのではなく、神さまが設計し建設された「堅い基礎の上に建てられた都」を待ち望んでいたのです。 創世記14章14節、15節には、 アブラムは自分の親類の者がとりこになったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。夜になって、彼と奴隷たちは、彼らに向かって展開し、彼らを打ち破り、ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。 と記されています。 「ホバ」がどこに位置していたのかは分かっていませんが、これが「ダマスコの北」と言われていることから、「ダマスコの北にあるホバまで彼らを追跡した。」ということは、カナンの地から東の王の連合軍を追い払ったということを示していると考えられます。 これは、13章17節に記されている、 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。 という、契約の神である主のことばとかかわっていると考えられます。すでにお話ししましたように、この、 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。 ということばは、主がアブラハムをご自身の契約のしもべとしてくださって、アブラハムとその子孫に与えると約束してくださったカナンの地を守るために王的な権威を委ねられたことを意味しています。 そのことを受けて、アブラハムはおいのロトを救出するときには、主から王的な権威を授けられている者としての使命を果たしているわけです。それで、アブラハムは自分に使命を授けてくださった主の御名によって、東の王たちの連合軍を追撃して、それを打ち破って約束の地であるカナンから追い出したのであると考えられます。 アブラハムが東の王たちの連合軍と戦うために出て行ったことが主の御名によっていることは、17節〜24節に記されていることにも現われています。そこには、 こうして、アブラムがケドルラオメルと、彼といっしょにいた王たちとを打ち破って帰って後、ソドムの王は、王の谷と言われるシャベの谷まで、彼を迎えに出て来た。また、シャレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。彼はアブラムを祝福して言った。 「祝福を受けよ。アブラム。 天と地を造られた方、いと高き神より。 あなたの手に、あなたの敵を渡された いと高き神に、誉れあれ。」 アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。」 と記されています。 ここには、アブラハムが東の王たちの連合軍を打ち破って帰ってきた時のことが記されています。 この時、シャレムの王メルキゼデクとソドムの王ベラがアブラハムを出迎えました。 18節では、メルキゼデクは「いと高き神の祭司であった」と言われています。また19節にありますように、メルキゼデクは、「いと高き神」(エール・エルヨーン)のことを「天と地を造られた方」であると述べています。 22節に、 しかし、アブラムはソドムの王に言った。「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。 ・・・・ 」 と記されていますように、アブラハムも「いと高き神」を信じて礼拝していることを示しています。そして、アブラハムは、「いと高き神」が「天と地を造られた方」であるということだけでなく、その方が契約の神である主であると述べています。これは、アブラハムが、メルキゼデクが祭司として仕えている神は自分が信じている主であることを、意識的に表明したものであると考えられます。 アブラハムと同じ時代に、メルキゼデクはアブラハムと同じ神を信じていました。これと同じように、イスラエル人ではないのに、主を信じていたヨブも、族長たちの時代の人であったと考えられます。 18節〜20節に記されていますように、メルキゼデクは、 祝福を受けよ。アブラム。 天と地を造られた方、いと高き神より。 あなたの手に、あなたの敵を渡された いと高き神に、誉れあれ。 と言ってアブラハムを祝福しました。これに対して、アブラハムは「すべての物の十分の一を彼に与えた」と記されています。これは、アブラハムが戦いから帰る時のことですから、この「すべての物」はアブラハムが敵の手から奪い取ったもののことです。 これは、他人のものを勝手にメルキゼデクに上げてしまったということではありません。その当時の発想では、戦いにおいて奪い取ったものは、人であれ物であれ、勝利をした者に所有権があることになっていました。ですから、その「すべての物」はいったん東の王たちの連合軍のものになりました。それをアブラハムと彼の盟約者である「アネルとエシュコルとマムレ」が取り返したのです。それで、その「すべての物」はアブラハムと「アネルとエシュコルとマムレ」とによって分配されるべきものでした。アブラハムはその「すべての物の十分の一」を「いと高き神の祭司であった」メルキゼデクにささげました。これによってアブラハムは、ロトを救出することができたのは主の恵みによることであったということを告白しています。 メルキゼデクは、アブラハムを迎えるのに「パンとぶどう酒を持って来た」と言われています。これは、メルキゼデクがアブラハムに対して、深い敬意を示して出迎えたことを意味しています。「パンとぶどう酒」は、戦いから帰ってきたアブラハムとともにいた者たちが疲れていることに心を配って、彼らを元気づけるために用意されたものであると考えられます。 メルキゼデクは、そのような肉体的なことへの配慮ばかりでなく、アブラハムにとって、また、メルキゼデク自身にとって最も大切な方である「天と地を造られた方、いと高き神」の祝福を伝えています。これは、「パンとぶどう酒」以上に、アブラハムを喜ばせ元気づけました。20節では、 アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。 と言われています。これは、アブラハムがメルキゼデクの祭司としての祝福に応答しているものです。このすべてのことにおいて、「天と地を造られた方、いと高き神」があがめられるようにという思いにおいて、アブラハムとメルキゼデクは心を一つにしているのです。 このようなメルキゼデクの姿と対照的なのが、ソドムの王のアブラハムに対する姿勢です。ソドムの王は、当然、アブラハムと彼の盟約者である「アネルとエシュコルとマムレ」が取り返してきたものは、彼らに権利があることを知っていました。けれども、ソドムの王は、あたかも自分にすべての権利があるかのように、 人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。 と言いました。これは、ていねいなことばとして訳されていますが、このことばは、ヘブル語ではわずか四文字で表わされている、そっけない命令です。ソドムの王はアブラハムを見下しています。それも、アブラハムがこの世の尺度で考える王ではなかったからでしょう。 しかも、ソドムの王は「人々は私に返し」と、自分の関心を先に述べています。ソドムの王は、アブラハムのなしたことと権利を認めてはいませんでした。それどころか、「財産はあなたが取ってください」と言うことによって、アブラハムに恩を売ろうとしているわけです。 このように、ソドムの王の目は、もっぱら自分が失ったものに向けられています。その思いは、いかにしてそれをアブラハムから取り返すかということでいっぱいでした。まして、ソドムの王には、「天と地を造られた方、いと高き神」に対する関心はまったくありませんし、アブラハムが、このような時にも「天と地を造られた方、いと高き神」があがめられることが最も大切なことであると考えているということは思いもよりません。アブラハムのことを、自分の財産が増えたことを喜んでいると考えていたに違いありません。 このようなソドムの王に対して、22節〜24節に記されていますように、アブラハムは、 私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、「アブラムを富ませたのは私だ。」と言わないためだ。ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。 と言いました。 「糸一本でも、くつひも一本でも」ということばは「何一つ」ということですが、その当時「ワラ一本でも、木の破片(一つ)でも」というような、それと類似の表現があって、財産の放棄のときに使われていたようです。 それとともに、アブラハムは自分がそのようにするということに、自分と盟約を結んでいた「アネルとエシュコルとマムレ」を巻き込むようなことはしていません。ソドムの王に、 ただ若者たちが食べてしまった物と、私といっしょに行った人々の分け前とは別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように。 と言って、彼らの権利を守っています。 この時、アブラハムが守ろうとしたのは、自分のメンツではありません。自分のメンツを守るためであれば、自分に権利があることを主張して、すべてを自分のものとしてしまった方がよかったはずです。そこには、盟約を結んでいた「アネルとエシュコルとマムレ」も、サレムの王であるメルキゼデクも、証人としていましたから、その権利を十分に主張できたはずです。しかし、アブラハムはそうしませんでした。 また、アブラハムは自分が取り返した物にも執着しませんでした。すでにお話ししましたように、もし、アブラハムがカナンの地に自分の王国を建設しようとしたら、アブラハムにはそれを実現することができる能力がありました。その場合には、自分がいのちを懸けて取り返したものは、自分のものとする権利がありましたから、自分の王国を建設するのにも大いに役立ったことでしょう。しかしアブラハムは、そのすべてのものをソドムの王に返してしまいました。 それは、アブラハムがそのようなものはどうでもいいと考えていたからではありません。アブラハムは、メルキゼデクの祝福に応えて、「すべての物の十分の一」をメルキゼデクに与えました。 これは、アブラハムが、その当時の理解にしたがって、取り返した「すべての物」は自分たちのものとなっていると考えていたことを意味しています。そうでなければ、アブラハムは、他人のものを自分のささげものとしてささげてしまったことになります。そればかりでなく、これは、アブラハムが、自分の取り返した「すべての物」は、主によって自分に渡されたものであると認めていたことを意味しています。それは何かの拍子に自分の手に入ったものではなく、主が恵みによって自分の手に委ねてくださったものであるということを認めたということです。そのようなものをどうでもいいものと考えることはできません。 このように、アブラハムは、自分が取り返した「すべての物」は、主の恵みによって自分に委ねられたと理解していました。それでも、アブラハムは、ソドムの王に向かって、 私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、「アブラムを富ませたのは私だ。」と言わないためだ。 と言ったのです。 それは、このすべてのことにおいて、アブラハムが主を信じていて、主からの祝福だけを頼みとしていたからに他なりません。そして、さらに大切なことですが、主の御名があがめられることを目的としていたからに他なりません。その主の祝福が辱められることがないように、また、主の御名が見失われるようなことにならないようにと、自分の権利である財産を、惜しむことなく放棄したのです。 このことは、アブラハムの信仰がどのようなものであったかを、物語っています。 その当時、戦いに出て行く王たちは、みな、自分たちの神々に「戦勝祈願」をして出かけていきました。それで、その戦いの勝利は、自分たちの神々の勝利でもありました。また、そのために、征服者は、征服した国の神殿を徹底的に破壊してしまいます。そのようなことからしますと、ケドルラオメルとその連合軍たちも、ソドムの王もゴモラの王も、自分たちの神々に戦勝を祈願してから戦いに出かけたはずです。その意味では、このことにおいて、アブラハムが主を信じていて、主からの祝福だけを頼みとしていたということは、いわば当たり前のことであったということになりかねません。 しかし、アブラハムの場合は、それとは根本的に違っています。どういうことかと言いますと、その当時の発想からすれば、王たちは自分たちの神々の助けによって敵を打ち破り、戦いに勝利したということになります。その結果、敵の財産と優れた能力を持つ人材を自分のものとすることができるようになります。敵の財産を略奪するだけではなく、その後も、重い税をかけて搾取します。それによって、自分の国が栄え、征服された国は弱体化するようになります。王たちは、そのようなことを自分たちの神々に求めていました。 しかし、今お話ししましたように、アブラハムは、このような意味での繁栄を、主に求めてはいなかったのです。アブラハムは、自分を繁栄させようとして東の王たちの連合軍と戦ったのではありません。彼はおいのロトを取り返すことが自分のなすべき分であることを自覚して、主への信頼をもって出陣したのです。その際にも、主の契約のしもべとしての自覚を持ってこのことに当たったと考えられます。 アブラハムは、首尾よくロトを取り返すことができました。そのすべてのことにおいて、アブラハムは自分とともにいてくださる主に信頼していました。だからといって、アブラハムに何の工夫もないということではありません。アブラハムは、東の王たちの連合軍を「夜襲」によって打ち破っています。わずかな人数で戦うに当たっての作戦を立てるときに導いてくださったのも、それを有効なものにしてくださったのも、アブラハムとともにいてくださった主でした。それで、アブラハムは、戦いから帰ってきたときに、メルキゼデクと心を合わせて、いと高き方である主を賛美しました。 その際に、ソドムの王によって主の恵みと祝福が傷つけられる可能性があることが分かると、自分の権利である財産をすべて放棄したのです。これによって、アブラハムが目指していたものが、物質的な繁栄ではなく、主に栄光を帰することにあったことが示されました。 このようにして、アブラハムは、その意志があれば自分の国を建設することができるだけの能力と条件を備えていました。しかも、主から王的な権威を委ねられていました。けれども、アブラハムは地上のカナンの地に、血肉の力による自分の国を建設しませんでした。このようなアブラハムの姿勢を受けて、ヘブル人への手紙11章9節、10節では、 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。 と言われているのです。 同じヘブル人への手紙11章13節〜16節には、 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。 と記されています。 ここでは、アブラハムを初めとして古い契約のもとにあった聖徒たちは「約束のものを手に入れることはありませんでした」と言われています。けれども私たちは、古い契約の聖徒たちがはるかに仰ぎ見ていた「約束のもの」の実質を受け取っています。アブラハムが求めていた「堅い基礎の上に建てられた都」とは、そこに契約の主のご臨在があり、主の民がそこにご臨在される主との愛にあるいのちの交わりに生きることができるところのことです。私たちは、すでに、御子イエス・キリストの贖いの恵みによって神の子どもとされています。そして、イエス・キリストが成し遂げてくださった贖いに基づいてお働きになる御霊によって、父なる神さまとの愛にあるいのちの交わりに生きています。これこそが、神の子どもである私たちが受け継いでいる相続財産の本質です。 |
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