(第137回)


説教日:2003年8月10日
聖書箇所:ペテロの手紙第一・1章1節〜21節


 きょうも、私たちが聖なるものであることが、御子イエス・キリストの十字架の死による罪の贖いと、死者の中からのよみがえりにあずかって神の子どもとしていただいている私たちに与えられている望みとかかわっているということについてお話しします。
 ペテロの手紙第一・1章3節、4節には、父なる神さまが「大きなあわれみのゆえに」、私たちをイエス・キリストの死者の中からのよみがえりにあずからせてくださったこと、そして、「生ける望み」と「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」をもつ者としてくださったことが記されています。ここで言われている「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」の「資産」は相続財産のことです。神の子どもである私たちが受け継いでいる相続財産の中心は、神さまご自身です。神さまご自身を相続財産として与えられている私たちは、神の子どもとしての身分にともなう特権として、神さまとの愛にあるいのちの交わりに生きることができます。
 このような神の子どもである私たちが受け継いでいる相続財産のことは、古い契約の下ではアブラハムに与えられた契約において示されていました。古い契約においては、主の契約の民が受け継ぐ相続財産はカナンの地を地上的なひな型として示されていました。大切なことは、このカナンの地が主の契約の民の相続財産であることは、そこに契約の神である主のご臨在があり、主の民がそのご臨在の御前に生きるようになるということによっているということです。
 このことを踏まえたうえで、先週と先々週は、ヘブル人への手紙11章8節〜10節に、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

と記されていることから、カナンの地に関する約束を受けていたアブラハムが、地上のカナンの地を自分と自分の子孫が受け継ぐ相続財産であるとは考えていなかったということについて、旧約聖書に記されているアブラハムの生涯をたどりながらお話ししました。きょうもそのことについてのお話を続けたいと思います。


 すでにお話ししましたように、アブラハムはカナンの地に行こうとした父テラにしたがってカルデヤのウルを出ました。しかし、テラは途中のカランに住み着いて、死ぬまでそこに留まりました。その理由として考えられることは、ヨシュア記24章2節、3節に、

ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムとナホルとの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、ユーフラテス川の向こうから連れて来て、カナンの全土を歩かせ、彼の子孫を増し、彼にイサクを与えた。』」

と記されていますように、テラが偶像の神々に仕えていたということです。
 ウルは月の神スィンを中心とした町でしたし、カランも同じ月の神スィンを中心とした町でした。もちろん、そこにはほかの偶像もあり、その中心の神が月の神スィンであったということです。テラはそのような偶像を中心として成り立っている町での生活に慣れ親しんでいたと考えられます。
 前にお話ししましたが、アブラハムが誕生によって与えられた「アブラム」という名前は「私の父は高められている」という意味の名前でした。このことはテラが高貴な家系の出であるか、社会的に高い地位にあったことを示している可能性があります。もう一つの可能性は、「私の父は高められている」の「私の父」が神を指しているということです。その場合には、テラは偶像礼拝者でしたから、その神は偶像、おそらくスィンを指しているということになります。
 テラが高貴な家系の出で、社会的に高い地位にいたというようなことを示す記述は聖書にはありません。また、もしテラが高貴な家系の出で、社会的に高い地位にあったのであれば、どうしてウルを捨ててカナンの地に行こうとしたのかという疑問が出てきます。とはいえ、テラは社会的に高い地位にあったけれども、たとえば敵を作ってしまったというような、何らかの理由でウルを出たということも考えられないわけではありません。けれども、アブラハムの妻サラのことを考え合わせると、テラが、自分の仕えている偶像にあやかるために、自分の長子に「アブラム」という名前をつけたという可能性が高くなります。
 どういうことかと言いますと、サラが誕生によって与えられた名前は「サライ」でした。サラはアブラハムの父テラの娘で、母親が違っていました。アブラハムとサラは異母兄妹で、異母兄妹同士が結婚したのです。20章12節には、アブラハムがサラについて、ゲラルの王アビメレクに、

また、ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです。

と述べたことが記されています。ですから、「サライ」という名前もテラがつけたわけです。この「サライ」という名前は「サラ」と同じ意味で、ヘブル語で「女王」、「王女」、「高貴な女性」などを表わします。この「サライ」という名前は、古代メソポタミアのことばであるアッカド語のシャラトゥ(あるいはシャラトゥム)に当たります。そして、このシャラトゥは月の神スィンの伴侶を指しています。
 このことから、テラは自分の長子と娘を自分が仕えている偶像にあやからせようとして「アブラム」、「サライ」という名前をつけ、その思いで育てたと考えられます。
 このような偶像礼拝はアブラハムの父テラだけのことではありませんでした。先週詳しくお話ししましたように、アブラハムの弟ナホルの孫であるラバンも、ラバンの娘であるラケルも、テラフィムという神々を頼みとしておりました。
 アブラハムのその他の親族のことは詳しい記録がないので分かりませんが、アブラハムの弟であるナホルも偶像礼拝者であったと考えられます。というのは、創世記31章53節には、ナホルの孫であるラバンがヤコブに対して、

どうかアブラハムの神、ナホルの神―― 彼らの父祖の神―― が、われわれの間をさばかれますように。

と言ったことが記されていますが、この「さばかれますように」ということばは複数形です。ということは、主語も複数であるということになります。このことは、ラバンが自分の祖父であるナホルが信じていた神と、祖父の兄であるアブラハムが信じていた神が別の神であると理解していたことを示しています。そして、アブラハムの神は契約の神である主ヤハウェですから、ナホルは別の神に仕えていたということになります。
 同じ53節には、このラバンのことばに続いて、

ヤコブも父イサクの恐れる方にかけて誓った。

と記されています。ヤコブは誓いをするに当たって、注意深くラバンの「アブラハムの神、ナホルの神」ということばに表されている発想を避けています。このことから、偶像礼拝者であったテラの影響はアブラハムの弟ナホルにおよんでいたと考えられます。
 さらに、11章29節には、

アブラムとナホルは妻をめとった。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父で、またイスカの父であった。

と記されています。ハランは、アブラハムのもう一人の弟でロトの父です。アブラハムが長男、ナホルが次男、ハランが三男です。ハランは生まれ故郷のウルで死にました。ここに記されていますように、ハランには息子のロトのほかに、ミルカとイスカという二人の娘がいました。そのうちのミルカは父ハランの兄であるナホルと結婚したのです。この「ミルカ」という名前は「王女」を意味しています。これに当たるアッカド語のマルカトゥは、月の神スィンの娘であるイシタルの称号でした。ハランは、父テラが娘に「サライ」すなわち「シャラトゥ」という月の神スィンの伴侶にあやかる名前をつけたのにならって、自分の娘に「ミルカ」すなわち「マルカトゥ」という名前をつけたと考えられます。そして、このミルカとナホルの子であるベトエルからラバンと、その妹でイサクの妻となるリベカが生まれたわけです。
 このように、偶像礼拝者としてのテラの影響は、テラの三人の息子のうち二人にまでおよんでいたわけです。それはさらに、ひ孫のラバンとラバンの娘ラケルにまでもおよんでいきました。
 アブラハムもそのようなテラの家に生まれて、育ちました。けれどもアブラハムは、創世記12章1節〜3節に、

その後、主はアブラムに仰せられた。
  「あなたは、
  あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。
  そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
  あなたを祝福し、
  あなたの名を大いなるものとしよう。
  あなたの名は祝福となる。
  あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
  あなたをのろう者をわたしはのろう。
  地上のすべての民族は、
  あなたによって祝福される。」

と記されていますように、主の御声を聞き分けることができるほどに親しく主を知っていました。
 それは血肉の力によることではなく、ただ主の恵みとあわれみによるものです。まさにアブラハムは、主の恵みとあわれみによって、テラの家に残された「残りの者」(レムナント)であったのです。そのことは、そのまま、アブラハムの霊的な子孫である私たちにも当てはまります。私たちも主の恵みとあわれみによって残された者です。
 また、繰り返しの引用になりますが、15章7節には、主がカナンの地にいるアブラハムに、

わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。

と言われたことが記されています。これはアブラハムがウルにいた時から。主ヤハウェを信じているものとして、月の神スィンを中心として成り立っているウルを出るべきであるという思いを抱いていたということを指し示しています。それは、カランについても同じであったはずです。それは、ウルやカランという町だけの問題ではありませんでした。そこに同化して偶像に仕えて歩んでいる父テラや、弟のナホルやハランとその家族の生き方とも、根本的に違うものを感じていたと考えられます。それで、

  あなたは、
  あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。

という主の御声を聞いたときに、それが主からの召しであるということを理解し、それにしたがったのです。
 それではどうして、アブラハムは偶像礼拝者であるテラにしたがってウルを出て、ウルが死ぬまでカランに留まっていたのかという問題が残ります。それは、アブラハムがテラの長子として、父であるテラを敬い、最後まで支えたということでしょう。それは、出エジプト記20章12節に記されている十戒の第五戒において、

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

と戒めておられる主のみこころに沿ったことでもありました。それで、主は父テラが死んでから、アブラハムに先ほどの召しを与えられたのです。
 これに対しては、主が召しを与えてくださらなかったから、アブラハムは父テラのもとに留まったのだという考え方もあるでしょう。けれども、主ヤハウェを信じているアブラハムが偶像に仕えている父テラのもとに留まることは、アブラハムの決断によることであったと考えられます。そして、主はそのアブラハムの考え方と生き方を支持してくださって、テラの死後に召しを与えてくださったと考えた方がいいと思われます。
 このことはまた大切なことを示しています。アブラハムがどんなに父を敬っていたと言っても、主ヤハウェを捨てて父の仕える偶像を自分の神として受け入れるということは意味していませんでした。むしろ、アブラハムは主ヤハウェを信じる者として、父テラのものとに留まり、テラを支え続けたのです。
 先ほど引用しましたアブラハムへの召命を記している12章1節〜3節に続く4節には、

アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。

と記されています。これを人間的な計算からしますと、アブラハムは父テラが死ぬまでテラに仕えてカランに留まっていたために、歳が進んで七十五歳にもなってしまったと言われることでしょう。
 しかし、主のみこころはそのような人間の計算を越えていました。主はすでにカルデヤのウルにいたアブラハムにご自身を示してくださっていたのですが、七十五歳という歳になってようやく、地のすべての民がアブラハムを通して祝福を受けるようになるという、アブラハムへの召しとご計画を示してくださいました。しかも、それは、

  あなたは、
  あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。

と言われていますように、その歳になるまでにアブラハムが築いてきたカランにおける社会的な地位をすべて放棄し、親族たちとも別れて、主が示される地に出ていくということから始まるものでした。
 それは、それまでの社会的な地位も栄誉もなく、人間からの支えはまったく期待できない状態に身を置くことを意味していました。ただ主が自分とともにいてくださるということだけを頼みとしての旅です。そして、主が自分とともに歩んでくださって住むべき地に導いてくださるということに支えられる歩みでした。さらに、主が導いてくださる所では、ウルやカランと違って、真の意味で主を中心とした生活ができるという望みによって生かされるものでした。ヘブル人への手紙11章8節〜10節に、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

と記されているのはそのようなアブラハムの姿です。
 そのようなわけで、アブラハムは月の神スィンを中心とする神々に仕えることによって成り立っているウルやカランと違って、真に契約の神である主ヤハウェを中心とした歩みをするために、生まれ故郷と長年住んだ町、さらには親族たちを後にして、主が示してくださる地に向かって旅立ちました。それは、当時の交通の要所であったカランから出ていくことを意味していましたが、アブラハムはカルデヤのウルに帰る道ではなく、そこから離れる道を進んだと考えられます。それがカナンへと下る道であったわけです。12章5節〜8節には、

アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。

と記されています。
 アブラハムがカナンの地に来たときに、主はアブラハムに現われてくださって、

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

と約束してくださいました。これによって、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

と言われているアブラハムに、その約束の地がカナンの地であることが分かったわけです。
 6節では、カナンの地に入った

アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。

と言われています。シェケムは、カナンの中心に位置していて、アブラハムが生きていた紀元前二千年期においては、カナンの地の要所の一つでした。主はカナンの地の中心であるシェケムにおいて、アブラハムに、

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

と約束してくださったのです。
 ここで「シェケムの場」の「」と訳されている言葉(マーコーム)は、一般的には「場所」を表わしますが、この「シェケムの場」というような場合には、より特別な場所を意味していると考えられます。それは、「モレの樫の木」との結びつきから、そこにカナン人の聖所があったと考えられます。そのような大きな木の下で豊饒をもたらすとされる神々への礼拝がなされました。そして、「モレ」という言葉は「教師」を意味していて、そこで「お告げ」がなされたと考えられます。樫の木のように大きくて高くそびえている木は、天と地をつなぐもののように考えられ、そこで神々からのお告げが与えられると考えられていたのです。それで、そのような所には「占い師」のような人々がいて活動していました。
 6節ではこれに続いて、

当時、その地にはカナン人がいた。

と注釈されています。これは、その地からカナン人が追い払われてしまった後の時代の人々のために付け加えられた注釈ですが、大切な意味をもっています。アブラハムは、カナンの地に入って、カナンの中心であるシェケムまで来ましたが、そこは、人のいないところではなく、すでにカナン人が住んでいました。シェケムはカナン人にとっての要所の一つでした。そして、主は、そのシェケムの中にあって、カナン人の宗教的な活動が行われていた「モレの樫の木のところ」でアブラハムに現われてくださいました。そして、

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

という約束を与えてくださいました。
 先ほど言いましたように、これによってアブラハムはカナンの地が約束の地であることを知るようになりました。
 このことには、たとえば、主がカナン人の作った聖所においてアブラハムに現われてくださったというのはどういうことかというような、いくつかの問題がかかわっていますが、これまでお話ししてきたこととのかかわりで、一つのことをお話ししたいと思います。
 アブラハムは月の神スィンを中心とする神々に仕える町であるウルとカランを後にして、真に契約の神である主ヤハウェに仕えることのできる地を望んで、主が示してくださる地に向かって旅立ちました。そして、カナンの地の中心であるシェケムにやって来ると、主はこのカナンの地をアブラハムの子孫に与えてくださると約束してくださいました。しかし、そこにも、すでにカナン人が住んでいて、神ならぬ神々を拝んでいました。これでは、ウルやカランを出てきた意味がないのではないかという気がします。
 しかし、これは決してウルやカランに住むことと同じなのではありません。これには主のご計画がかかわっています。

当時、その地にはカナン人がいた。

というときの「カナン人」は15章19節〜21節に、

ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人

と記されている十の民の中の一つの民である「カナン人」のことではなく、それらすべての民を総称して「カナン人」と言われていると考えられます。それは「カナンの地の住民」というような意味です。
 このような意味での「カナン人」については、すでに一つの預言がありました。大洪水によるさばきの後のノアの家族のことを記している9章20節〜27節には、

さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。
  「のろわれよ。カナン。
  兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
また言った。
  「ほめたたえよ。
  セムの神、主を。
  カナンは彼らのしもべとなれ。
  神がヤペテを広げ、
  セムの天幕に住まわせるように。
  カナンは彼らのしもべとなれ。」

と記されています。
 ここにはいくつかの問題があります。一つは、ハムの罪は何であったのかということです。そこには、

カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。

と記されていますが、ユダヤ教のラビの間には「父の裸を見た」ということは婉曲な表現で、実際にはソドミーのような性的な罪を犯したのであるという見方があります。けれども、このことばにそこまでの意味をもたせることには無理があると思われます。ハバクク書2章15節、16節には、

  ああ。
  自分の友に飲ませ、毒を混ぜて酔わせ、
  その裸を見ようとする者。
  あなたは栄光よりも恥で満ち足りている。

と記されています。これはハバククが預言をした歴史的な文脈から言いますと、象徴的なことばで侵略者であるバビロンを糾弾するものですが、侵略者としてのおごりの下に、征服された者たちを搾取し、笑いものにして恥を負わせ、自尊心をずたずたにしてしまうことを示しています。
 神さまの御力は聖いものです。それはお造りになったすべてのものをそれぞれの特性にしたがって生かしてくださり、支えてくださるように働いています。それが力というものの本来の姿です。ところがハバククが糾弾しているバビロンにおいては、その力が腐敗してしまっています。人々を踏みつけ、卑しめ、辱めることにおいて、その力が誇示されます。この世では、程度の差こそあれ、そのような力が求められ、たたえられています。
 聖書の中では裸がさらされることは恥を負うことを意味しています。ノアは「天幕の中で裸になっていた」と言われています。これは、そのような秘かなことであったのです。ハムは自分の父の裸をのぞき見たわけです。それに対して、父の裸を覆うどころか、それをわざわざ暴いて兄弟たちの前で笑いものにして、父に恥を負わせたのです。これに対して、セムとヤペテは父の裸を見ないばかりか、それを覆いました。
 このことはまた、先ほどお話ししましたが、自分の父テラは偶像の神々に仕えているのに対して、自分は主ヤハウェを信じる者であるけれども、七十五歳になって父テラが死ぬまで、テラを敬ってテラとともに住みつづけたアブラハムの姿勢と対比されます。テラは偶像礼拝者でしたが、ノアは主の恵みを受けて終末的な救いをあかしするために選ばれた人物でした。なによりもハム自身が、その父の信仰によって主の終末的なさばきを免れてきたのです。そのような父にも欠けたところがありました。それを暴いて笑いものにするということの中に、人の弱みを握ることによって、その人より上に立ったような思いになるということでしょうか―― 主に聖別されたものに対する敬いを失った者の腐敗した思いが顔を出しています。そのことに対して、

  のろわれよ。カナン。
  兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。

というのろいが下されています。
 これには、ハムが罪を犯したのに、どうしてその子であるカナンにのろいが下されたのかという問題もあります。しかし、アブラハムへの祝福を考えた場合に、それはアブラハムをかしらとしてその子孫にという形で与えられています。その論理で言えば、のろいもハムをかしらとしてその子孫にという形で下されるのですが、ハムの子の中でもカナンだけに下されているのです。22節には、

カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。

と記されていて、ハムのことが「カナンの父ハム」と言われています。これは、ハムに見られる聖なるものへの恐れや、敬うべきものへの敬いを欠いた振る舞いに現われた腐敗の根が、ハムの子らの中でも、特にカナンによりはっきりと現われてきていたということを意味していると考えられます。
 また、このようなことを読みますと、たった一度の過ちで、のろいが下されるのはひどいのではないかというような、思いもいたします。しかし、これは、必ずしもそのように読まなくてもいいのです。常日ごろノアの目に見えていて、ノアも心を痛めていたものが、ここに典型的な形で現われてきたということであると考えられます。
 さらに、これは運命的な決定論であると考えてはなりません。このカナンの子孫が、アブラハムがカナンの地に行ったときに、

当時、その地にはカナン人がいた。

と言われているカナンの地の住民たちです。その住民たちはやがて宗教的にも倫理的にも社会的にも腐敗していって、自分たちの罪の升目を満たすようになります。それは自分たちの中から生みだされたもので、決して外から強いられたものではありません。それで、そのことに対するさばきを受けることになるのです。
 15章13節〜16節には、

そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」

と記されています。この場合の「エモリ人」も、カナンの地の住民全体を指しています。主はカナン人が腐敗と堕落の道を突き進むことに対して、カナン人が最終的に罪の升目を満たすまで、四百年もの間、忍耐深く待っておられました。とはいえ、その罪と咎は必ず清算されなければなりません。
 その一方で、たとえばカナン人に分類される遊女ラハブは主ヤハウェを信じて救われたばかりか、贖い主としてこられる方の家系に連なるようになります。イエス・キリストの系図を記すマタイの福音書1章5節、6節に、

サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。

と記されているとおりです。
 このようにして、アブラハムが約束の地であるカナンに来たときのことが、

当時、その地にはカナン人がいた。

と言われていることには、カナンの地が地上的なひな型として用いられていくようになる上での意味があります。このことのために、すでにノアの時代に一つの備えがなされていたのです。
 これによって、神の子どもが受け継ぐ相続財産は神さまがお造りになったこの世界であるけれど、それは、いまは暗やみの主権者がその力を振るっている世界であり、そのために、この世の罪は深まっていき、主の最終的なさばきをもたらすに至るという状態にあるということです。その主の最終的なさばきによって、暗やみの主権者と、それにしたがって造り主である神さまに背き続ける者たちの業が完全に清算されることを経て、神の子どもたちは神さまがお造りになったこの世界を相続財産として受け継ぐようになります。その上で、父なる神さまと神の子どもである私たちの愛にあるいのちの交わりは、まったきものとして完成します。

 


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