(第136回)


説教日:2003年8月3日
聖書箇所:ペテロの手紙第一1:1-21


 きょうも私たちが聖なるものであることが、イエス・キリストの十字架の死と死者の中からのよみがえりにあずかって神の子どもとされている私たちに与えられている望みとかかわっているということについてお話しします。
 ペテロの手紙第一・1章3節、4節に記されていますように、父なる神さまは「ご自分の大きなあわれみのゆえに」御子イエス・キリストの十字架の死と死者の中からのよみがえりにあずからせてくださって、私たちの罪を贖い、私たちを新しく生まれさせてくださいました。それによって私たちは神の子どもとしての身分を与えられ、「生ける望み」と「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」をもつようになりました。この「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」は神の子どもたちが受け継いでいる相続財産のことで、その中心は神さまご自身です。そして、神さまを相続財産としてもつということは、私たちが父なる神さまとの愛にあるいのちの交わりに生きるということを意味しています。
 神の子どもたちが受け継ぐ相続財産は、古い契約の下ではアブラハムに与えられた契約において約束されていました。古い契約には、アダムに与えられた「女の子孫」として来られる贖い主の約束、ノアに与えられた虹を契約のしるしとする「永遠の契約」、アブラハムに与えられた契約、モーセを通して与えられた「シナイ契約」、ダビデに与えられた契約があります。これらの契約は古い契約として、やがて来たるべき贖い主によって確立される新しい契約の祝福を、いろいろな面からあかししています。
 また、古い契約においては、それぞれの契約が与えられた順序が大切です。ある契約は、その前に与えられている契約を土台として、その上に積み上げられるようにして与えられています。そして、その契約も、それまでに与えられている契約とともに、さらに次に与えられる契約の土台となっていきます。このようにして与えられている古い契約の全体が、イエス・キリストの血による新しい契約において成就しています。
 この古い契約と新しい契約の全体を「救済の契約」(あるいは「わざの契約」、「贖罪の契約」)と呼びますが、これには一貫したテーマがあります。それは、古い契約においては、ある契約がその前に与えられている契約を土台としてその上に積み上げる形で与えられているということからも推測できますが、いちばん最初に与えられたものがいちばん根本的な基礎になっているわけです。その意味で、アダムに与えられた約束に示されていることが、救済の契約を貫いているテーマを示しています。それは、神のかたちに造られている人間が造り主である神さまに対して罪を犯して御前に堕落してしまったことによって失われてしまった神さまとの愛にあるいのちの交わりを、神さまがその一方的な恵みのゆえに、「女の子孫」として来られる贖い主をとおして回復してくださるということです。そして、それは人類の歴史全体を包み込む霊的な戦いの大きな流れの中で実現することであるということです。
 古い契約のうちアブラハムに与えられた契約、シナイ契約、ダビデ契約は、地上的なひな型としてのイスラエルの民にかかわるもので、地上的なひな型をとおして、新しい契約の祝福をあかししています。そのうちのアブラハムに与えられた契約は、相続人としてのアブラハムの子孫と、その相続財産がどのようなものであるかを示しています。
 古い契約の下ではカナンの地が主の契約の民が受け継ぐ相続財産を表わす地上的なひな型として用いられました。カナンの地が主の契約の民が受け継ぐ相続財産を表わす地上的なひな型であったということは、カナンの地に神である主のご臨在があって、主の契約の民が主のご臨在の御許に生きるようになるということを意味しています。そこに主のご臨在がなければ、カナンの地は主の契約の民の相続財産としての本質を失ってしまいます。というのは、主の契約の民が受け継いでいる相続財産の中心は主ご自身であり、主との愛にあるいのちの交わりに生きることにあるからです。また、先ほどお話ししましたように、主の契約は、主が一方的な恵みによって、ご自身との愛にあるいのちの交わりを回復してくださることを約束してくださったものであるからです。


 先週は、ヘブル人への手紙11章8節〜10節において、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

と記されていることから、一つの問題についてお話ししました。ここでは、カナンの地についての約束を与えられたアブラハムが、地上のカナンの地が自分と自分の子孫に約束された地であると考えていなかったとあかしされています。それでは、どうしてアブラハムはそのように考えるようになったのだろうかということです。そのことに対する手がかりを創世記に記されているアブラハムの生涯の記事の中に探ってみるということです。
 きょうは、それに続くアブラハムの生涯の出来事を追ってお話ししようと思いましたが、先週お話ししたことを補足するお話をしたいと思います。
 創世記11章31節、32節には、

テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。テラの一生は二百五年であった。テラはカランで死んだ。

と記されています。ここに記されていますように、アブラハムは父テラについて行く形でカルデヤのウルを出ました。けれども、15章7節に記されていますように、主はカナンの地にいるアブラハムに、

わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。

と言われました。主はアブラハムがウルを出た時からアブラハムを召しておられました。
 このことと関連していますが、ウルに住んでいた時のアブラハムは、主ヤハウェを信じる者としてウルに住むことに問題を感じていたと考えられます。先週もお話ししましたように、ウルは月の神スィンを中心としている町でした。また、テラがその生涯を終えたカランも同じ神を中心とした町でした。アブラハムは父テラにしたがってのこととはいえ、主ヤハウェを信じる者として、そのような町に住んでいることに心の痛みを感じることは多かったはずです。
 また、ヨシュア記24章2節、3節に、

ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムとナホルとの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、ユーフラテス川の向こうから連れて来て、カナンの全土を歩かせ、彼の子孫を増し、彼にイサクを与えた。』」

と記されていることも、アブラハムが主ヤハウェを信じる者としてウルやカランに住むことに問題を感じていたという方向を示しています。
 12章1節には、主がアブラハムに、

  あなたは、
  あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。

と言われたことが記されています。これは主の特別な啓示によることですが、そのような主の啓示はアブラハムの考え方と調和する形で与えられるものです。アブラハムの中に何の問題意識もなかったとすれば、アブラハムとしては、

  あなたは、
  あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。

ということが示されても、それが主からの啓示であるということを受け止めようがありません。アブラハムはこのような啓示を受けるほど主を親しく知っており、その啓示を受けたときに、それが確かに主からの召しであるということを受け止めるだけのものをもっていたのです。そして、偶像を中心としたウルやカランのような町は自分の住むべき町ではないかという思いがあったので、主の特別啓示による召しを受け止めることができたと考えられます。
 それでは、アブラハムはどのようにして、契約の神である主ヤハウェを知るようになったのでしょうか。それは別に難しい問題ではないように思われますが、これにはいくつかの問題がからんでいます。
 11章10節〜26節には「セムの歴史」が記されています。それはセムから、アブラハムとナホルとハランの父であるテラに至る歴史です。この「セムの歴史」は、5章に記されている「アダムの歴史の記録」の中の「系図」と同じような形式で記されています。――アダムの歴史の記録」は5章で終わらないで、6章8節まで続きますが、「系図」の部分は5章に記されています。
 5章1節〜8節には、

   これは、アダムの歴史の記録である。
 神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名をアダムと呼ばれた。アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。
 セツは百五年生きて、エノシュを生んだ。セツはエノシュを生んで後、八百七年生き、息子、娘たちを生んだ。セツの一生は九百十二年であった。こうして彼は死んだ。

と記されています。そして、11章10節〜13節には、

   これはセムの歴史である。
セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。セムはアルパクシャデを生んで後、五百年生き、息子、娘たちを生んだ。アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。アルパクシャデはシェラフを生んで後、四百三年生き、息子、娘たちを生んだ。

と記されています。
 どちらにおいても共通している形式があります。それは、「Aは何年生きてBを生んだ。AはBを生んで後、何年生き、息子娘たちを生んだ。」という記述の仕方です。そして、どちらの歴史も最後に記されている族長の三人の息子たちの名前が記されて終わっています。「アダムの歴史の記録」の「系図」の部分の最後には、

ノアが五百歳になったとき、ノアはセム、ハム、ヤペテを生んだ。

と記されており、「セムの歴史」の最後には、

テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。

と記されています。
 これらのことから、この11章10節〜26節に記されている「セムの歴史」は、5章に記されている「アダムの歴史の記録」につなげて理解すべきものであることが分かります。これによって、アダムから、ノアを経て、アブラハムに至るつながりが示されることになります。
 注意すべきことは、そのどちらも長子(長男)の系図でないということです。アダムの長男はカインであり次男はアベルです。「アダムの歴史の記録」では、アダムから三男のセツにつながっています。また、11章10節には、

セムは百歳のとき、すなわち大洪水の二年後にアルパクシャデを生んだ。

と記されていて、セムからアルパクシャデにつながっています。けれども、10章22節には、

セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。

と記されていて、アルパクシャデがセムの長男ではなく、四人兄弟の三番目であることが示されています。
 このことから分かることは、「アダムの歴史の記録」は、長子のつながりを記すものではなく、アダムからノアを経てセムに至るつながりを記しているということです。その間に出てくる族長たちは必ずしも長子であったわけではなく、ノアの父祖ということでその名を記されているのです。また、それと同じ原則にしたがって、「セムの歴史」では、セムからアブラハムに至るつながりが示されています。そして、全体的には、アダムからノアを経てアブラハムに至るつながりが示されているのです。これは先ほどお話ししましたように、神のかたちに造られた人間が造り主である神さまに対して罪を犯し、御前に堕落してしまい、神さまとの愛にあるいのちの交わりを失ってしまった後に、神である主の一方的な恵みによって与えられた、「女の子孫」として来られる贖い主による救いの約束を受け継ぐ者たちのつながりです。
 さらに注意すべきことには、そうではありましても、これはこの「アダムの歴史の記録」や「セムの歴史」に記されている族長たちのすべてが契約の神である主ヤハウェを信じていたという意味ではありません。すでにお話ししましたように、アブラハムの父であるテラは偶像の神々に仕えていました。また、それはテラだけのことではなかったようです。28章1節〜5節には、

イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じて言った。「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。さあ、立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。全能の神がおまえを祝福し、多くの子どもを与え、おまえをふえさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。神はアブラハムの祝福を、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫とに授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を継がせてくださるように。」こうしてイサクはヤコブを送り出した。彼はパダン・アラムへ行って、ヤコブとエサウの母リベカの兄、アラム人ベトエルの子ラバンのところに行った。

と記されています。
 パダン・アラムは先週詳しくお話ししました、テラが住んでいたカランのある地方です。そこにアブラハムの親族が住んでいました。ヤコブは伯父のラバンの所で仕えて、ラバンの娘であるレアとラケルをめとりました。31章17節〜19節には、ヤコブがラバンに内緒で、カナンにいる父イサクのもとに帰ろうとした時のことが記されています。そこでは、

そこでヤコブは立って、彼の子たち、妻たちをらくだに乗せ、また、すべての家畜と、彼が得たすべての財産、彼がパダン・アラムで自分自身のものとした家畜を追って、カナンの地にいる父イサクのところへ出かけた。そのとき、ラバンは自分の羊の毛を刈るために出ていたので、ラケルは父の所有のテラフィムを盗み出した。

と言われています。
 この「テラフィム」は複数形です。30節には、ヤコブを追ってきたラバンが、

なぜ、私の神々を盗んだのか。

と言ってヤコブを責めたことが記されています。具体的にどういうものであったかは今日まで分かっていませんが、34節に、

ところが、ラケルはすでにテラフィムを取って、らくだの鞍の下に入れ、その上にすわっていたので、ラバンが天幕を隅々まで捜し回っても見つからなかった。

と記されていることからすると、いくつかの小さな偶像であったようです。このことから分かりますように、ラバンの家はいくつもの偶像に仕えていた家で、ラバンの娘であるラケルもそれに頼っていたのです。
 このようにアブラハムの父の家や親族の家には偶像礼拝が入り込んできていました。それでは、「アダムの歴史の記録」に記されている族長たちはどうだったのでしょうか。個々の族長についての具体的な記述はありませんが、一つ注目すべきことがあります。ノアの時代のことを記している創世記6章5節〜8節には、

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」しかし、ノアは、主の心にかなっていた。

と記されています。また、7章1節〜6節には、

主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生き残るためである。それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。

と記されています。
 ノアが六百歳の時に、主は大洪水によるさばきを執行されました。その時に救われたのはノアとその家族だけでした。それはノアだけに来たるべきさばきが告げられたからではありません。ペテロの手紙第二・2章5節には、

また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。

と記されています。ノアがただ浮かぶだけの箱舟を、こともあろうに地上に建造したとき、それは人々の目に隠れてはいませんでした。当然、人々は何をしているのかを尋ねましたから、ノアには、その時代の堕落の極まりと、それに対する主のさばきと救いの備えをあかしする機会がありました。しかし、そのノアのあかしを信じる人々はいなかったのです。
 このことから一つのことが見えてきます。創世記5章28節〜31節には、ノアの父であるレメクについて、

レメクは百八十二年生きて、ひとりの男の子を生んだ。彼はその子をノアと名づけて言った。「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」レメクはノアを生んで後、五百九十五年生き、息子、娘たちを生んだ。レメクの一生は七百七十七年であった。こうして彼は死んだ。

と記されています。レメクは人間が造り主である神さまに対して罪を犯したために地がのろわれてしまったという現実を受け止めています。そして、自分たちの子による慰めを期待しています。それは「女の子孫」として来られる贖い主を待ち望む姿勢に通じるものがあります。つまり、レメクは自分たちの罪の現実を認めながら、慰めの時を待ち望む信仰の姿勢をもっていたのです。そして、ノアはこの信仰によって生きたレメクによって育てられたのです。
 しかし、

レメクはノアを生んで後、五百九十五年生き、息子、娘たちを生んだ。

と記されていますように、レメクにはノア以外にも息子や娘たちがいました。そのレメクの子どもたち、ノアの弟や妹たちはどうしたのでしょうか。彼らはレメクから教えられた人間の罪の現実とそれに対する主のさばきと救いについての教えを捨てて、その時代の堕落と暴虐の極みに向かっての流れに乗って行ってしまったのです。その他、レメクの兄弟姉妹たちもいましたし、その子どもたちでノアのいとこたちもいました。皆、「女の子孫」として来られる贖い主についての約束を受け継いできた者たちの子らでした。しかし、皆が主に対する信仰を捨ててしまい、最後にはノアとその家族だけしか残りませんでした。
 レメクはどうなったかと言いますと、レメクも背教したと考える必要はありません。洪水によるさばきが執行されたのはノアが六百歳の時でしたから、レメクはその5年前に召されてこの世を去っていました。大いに心を痛めながらのことであったでしょうが、主の約束を信じてのことであったと考えられます。そうであるからこそ、

主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。

というレメクのあかしが残されているわけです。
 このように、ノアが「女の子孫」として来られる贖い主についての約束を受け継いだのは、主の御前に腐敗と暴虐が極みにまで達するに至る状況であり、自分とともにその約束を受け継いだはずの兄弟や親族たちさえも、主とその約束に対する信仰を捨てて背教していってしまうという厳しい状況の中でのことでした。ですから、ノアが「女の子孫」として来られる贖い主についての約束を受け継いだのは、ノアの人間的な資質によるというより、主の一方的な恵みによることでした。6章8節には、

しかし、ノアは、主の心にかなっていた。

と記されています。これは、何となくノアが優れていたので主がノアをよしとされたというように聞こえてきます。しかし、これを直訳調に訳しますと、

しかし、ノアは、主の御目の中に恵みを見出した。

となります。これによって、ノアが主の恵みを信じてそれに頼っていたということが示されています。自分のよさを頼みとするのではなく、主の恵みがあることを頼みとしていたということです。それがノアの義の本質でした。
 もちろん、その主の恵みは、父レメクから受け継いできた「女の子孫」として来られる贖い主についての約束に示されている恵みです。自分の生きている世界が堕落とそれによってもたらされた暴虐の極みに転落してゆくのを身にしみて感じていたノアです。それは、すでに、ノアの誕生の時に、

主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。

と告白した父レメクが感じ取っていたものですが、ノアの生涯においてその極みに達してしまいました。そうではあっても、その想像を絶する厳しい状況の中で、ノアは主の約束を信じていました。それは自分たちさえ助かればよいという意味での救いではなく、霊的な戦いの大きな歴史の流れの中で与えられた、「女の子孫」として来られる贖い主によって、主がお造りになったこの世界全体に対する救いが実現するという望みをもつというものでした。それで、ノアには主がお造りになったすべての生き物たちが託されましたし、9章8節〜11節に、

神はノアと、彼といっしょにいる息子たちに告げて仰せられた。「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。また、あなたがたといっしょにいるすべての生き物と。鳥、家畜、それにあなたがたといっしょにいるすべての野の獣、箱舟から出て来たすべてのもの、地のすべての生き物と。わたしはあなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」

と記されていますように、主がその後の歴史を保持してくださることを約束してくださった「永遠の契約」がノアをとおして与えられたのです。
 同じことはアブラハムにも当てはまります。アブラハムも「女の子孫」として来られる贖い主についての約束を与えてくださった主ヤハウェを信じました。それで、これまでお話ししてきましたように、地のすべての民の祝福のための召しを受けたのです。
 けれども、アブラハムの場合は、自分の父テラが偶像の神々に仕えているという状況でしたし、親族たちもそうであった可能性があります。そのような中で、どうしてアブラハムが主ヤハウェを信じることができたのかということですが、それに対する具体的な説明は聖書の中には記されていません。私たちに分かるのは、アブラハムは決して主を信じる者の群れに囲まれていたわけではないということです。
 先ほど触れました「セムの歴史」に記されている族長たちの年代的なつながりを計算してみますと、アブラハムが生まれたときにはセムはまだ二百十年の生涯を残して生きていたということになります。アブラハムの生涯は百七十五年でしたから、セムはアブラハムの死後なお三十五年生きたということになります。そうであれば、ノアが父レメクから主に対する信仰を受け継いだように、アブラハムはセムから主に対する信仰をを受け継いだというような説明ができます。けれども、これには本文批評の上での問題があります。
 サマリヤ五書や七十人訳では、セムの子であるアルパクシャデ以下セルグまでの族長が次に記されている子どもを生んだ歳がそれぞれ百歳多く記されていて、そちらの方の可能性もあります。たとえば、11章12節には、

アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。

と記されていますが、七十人訳とサマリヤ五書では、

アルパクシャデは百三十五年生きて、シェラフを生んだ。

となっています。そして、テラの父ナホルの場合は五十歳多くて、二十九歳ではなく七十九歳でテラを生んだとされています。
 さらに、七十人訳ではアルパクシャデとセラフの間にカイナンが入っていて、カイナンが百三十歳の時にセラフを生んだとされています。これは七十人訳の間違いとは言い切れません。イエス・キリストの系図を記しているルカの福音書3章36節では、このカイナンがそこに入っています。もちろん、このように「誰々は誰々の父である、あるいは、子である。」という場合に、その間に何世代かの省略があることは、私たちにはおかしいと感じられるかもしれませんが、イエス・キリストはアブラハムの子であり、ダビデの子であると言われるように、その当時の文化の中ではおかしなことではありませんでした。
 もし、ある人々が考えているように、ヘブル語本文の数字が正しく、それを象徴的に理解すべきであるのであれば、それは確かに、アブラハムがセムの影響を受けていた、あるいは、アブラハムの時代にまでセムの影響が及んでいたということをあかししています。けれども、これまでお話ししてきましたように、そのような状況は、聖書の中から明確に読み取ることはできません。
 先週お話ししましたように、アブラハムとともにカナンに行ったロトも、ロトなりに契約の神である主ヤハウェを信じていました。それで、アブラハムの親族の中にも主を信じていた者がいたということになります。けれども、ロトの場合は特別だったかもしれません。というのは、ロトが親族たちのいたカランを出て、最終的な行き先の分からないままカナンに向けて進んだアブラハムと行動を共にしたということを考えますと、ロトはアブラハムの影響を受けていた可能性の方が大きいと思われるからです。
 いずれにしましても、聖書に記されていることを見てみますと、アブラハムが契約の神である主ヤハウェを信じたこと、そして、その信仰によって、主の召しにしたがって自分の父の家のあるところを出て、主が示してくださる所に行くほどであったということは、当然そうなるというような状況の中で起こったことではありませんでした。それは、ただ主の一方的な恵みによったと言うほかはないことでした。
 主が人類の罪による堕落の直後に、しかも、ご自身に対して罪を犯し、御前に堕落してしまった張本人であるばかりか、その罪を認めようとはしなかったアダムに、「女の子孫」として来られる贖い主による救いを約束してくださったことは、主の一方的な恵みによることでした。また、その「女の子孫」として来られる贖い主による救いの約束がノアにまで受け継がれたことも、主の一方的な恵みによることでした。そして、それがさらにアブラハムにまで受け継がれたことも、主の一方的な恵みによることでした。それは、言い換えますと、主の恵みは、人間の目に映る状況としては最悪の状況になってしまったとしても、なおも、約束してくださったことを実現してくださるし、実際に、実現してくださってきた、確かなものであるということをあかししています。
 そのことを考えるときに、人類の歴史の初めに与えられた「女の子孫」として来られる贖い主による救いの約束ばかりでなく、そのような方として来てくださった御子イエス・キリストによる罪の贖いの実現をあかしする主のみことばが、さらに、長く複雑な歴史の過程を経て、地の果てに当たる所にいる私たちにまで伝えられ、それを私たちが信じることができたということの不思議さを理解することができます。私たちは、この真実な主であるイエス・キリストの確かな恵みによって、主が約束してくださった終わりの日の救いの完成を待ち望んでいます。そして、それこそが、私たちが神の子どもに与えられている相続財産を受け継ぐことにほかなりません。

 


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