(第135回)


説教日:2003年7月27日
聖書箇所:ペテロの手紙第一・1章1節〜21節


 きょうも私たちが聖なるものであることが、イエス・キリストの十字架の死と死者の中からのよみがえりにあずかって神の子どもとされている私たちに与えられている望みとかかわっているということについてお話しします。
 ペテロの手紙第一・1章3節、4節には、

神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。

と記されています。
 父なる神さまは「ご自分の大きなあわれみのゆえに」御子イエス・キリストの十字架の死によって私たちの罪を贖ってくださり、死者の中からのよみがえりにあずからせてくださって私たちを新しく生まれさせてくださいました。それによって私たちはイエス・キリストの復活のいのちによって生かされるものとなりました。そして、「生ける望み」と「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」をもつようになりました。この「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」は神の子どもたちが受け継いでいる相続財産のことで、その中心は神さまご自身です。そして、神さまを相続財産としてもつということは、私たちが父なる神さまとの愛にあるいのちの交わりに生きるということを意味しています。


 これまでお話ししてきましたように、神の子どもたちが受け継ぐ相続財産は、古い契約の下ではアブラハムに与えられた契約において約束されていました。古い契約は、地上的なひな型をとおして、やがて来る約束の贖い主によって実現する祝福を表わしています。その古い契約の下ではカナンの地が主の契約の民が受け継ぐ相続財産を表わす地上的なひな型として用いられました。カナンの地が主の契約の民が受け継ぐ相続財産を表わす地上的なひな型であったということは、そこに神である主のご臨在があって、主の契約の民が主のご臨在の御許に生きるようになるということを離れて考えることはできません。カナンの地がどんなに豊かに潤っていても、そこに主のご臨在がなければ、それは主の契約の民の相続財産としての本質を失ってしまいます。というのは、神の子どもである私たちが受け継いでいる相続財産の中心は神さまご自身であり、私たちが父なる神さまとの愛にあるいのちの交わりに生きることにあるからです。
 契約の神である主は、このような意味をもったカナンの地についての約束を、アブラハムに与えてくださいました。そして、アブラハムがそのような約束を受け取っていたということは、ヘブル人への手紙11章8節〜10節に、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

と記されています。
 ここでは、アブラハムが「約束された地に他国人のようにして住み」、その相続人としての子である「イサクやヤコブとともに天幕生活を」したことがそのことの現われであると言われています。そのことは分かります。しかし、この点に関して一つの疑問がわいてきます。それは、アブラハムはどうして、実際に自分が住んでいるカナンの地が自分と自分の子孫に約束された地であるとは思わなかったのだろうかという疑問です。
 この疑問にすべて答えることはできませんが、その答えの方向を示しているものがアブラハムの生き方の中に見られますので、それを見てみましょう。ただ、このことには、一度にお話しすることができませんので、きょうお話しすることは、その前半ということになります。
 主がアブラハムに召命を与えてくださったことを記している創世記12章1節〜3節には、

その後、主はアブラムに仰せられた。
  あなたは、
  あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。
  そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
  あなたを祝福し、
  あなたの名を大いなるものとしよう。
  あなたの名は祝福となる。
  あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
  あなたをのろう者をわたしはのろう。
  地上のすべての民族は、
  あなたによって祝福される。

と記されています。
 これに先立つ11章31節、32節には、

テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。テラの一生は二百五年であった。テラはカランで死んだ。

と記されていますことから分かりますように、アブラハムの家族がカナンの地を目指して「カルデヤ人のウル」を出たのは、アブラハムの父テラの意志によることでした。しかし、主はそのテラの意志をも用いてアブラハムを導いてくださいました。15章7節に、

また彼[アブラハム]に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」

と記されているとおりです。
 当初カナンを目指したテラはカランまで来て、そこで住むようになりました。カランは現在のトルコのシリアとの国境近くにあります。カランは「交差点」という意味の町です。メソポタミアからチグリス川沿いに北上する道はニネベに至ります。そのニネベから西に曲がってカルケミシュに至る道の途中にカランがありました。カルケミシュからはカナンを経てエジプトに下る道が延びていました。また、メソポタミアからユウフラテス川沿いに北上する道はカランに至ります。カランからもカナンを経てエジプトに下る道が延びていました。アブラハムはこの道を通ってカナンに行ったと考えられています。
 当初カナンに行こうとしていたテラは、カランを出てカナンに行くことはなく、そこで死にました。ヨシュア記24章2節には、

ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムとナホルとの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。』」

と記されています。カルデヤのウルは月の神スィンを中心としていた町でしたが、カランも同じ月の神スィンを中心にしていた町でした。先ほどのヨシュア記に記されている主のことばに照らして見ますと、その辺りにテラがカランに留まってしまった理由があるのではないかと思われます。
 カランでテラが死んだ後に、アブラハムは先ほど引用しました創世記12章1節〜3節に記されている召命を受けました。そして、これに続く4節〜7節には、

アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。

と記されています。
 ヘブル人への手紙11章8節には、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

と記されています。けれども創世記では、アブラハムは、

カナンの地に行こうとして出発した。

と言われていますので、何となく行き先が分かっているような印象を受けます。けれども、これはアブラハムが行き先を分かっていたということではないと考えられます。アブラハムとしては、行き先はどこであるかは分かりませんでしたが、一つの原則にしたがって進むべき道を選んだと考えられます。それは、主がアブラハムに、

  あなたは、
  あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
  わたしが示す地へ行きなさい。

と言われたことに表わされている、自分の「生まれ故郷」や親族たちのいる所を出るという原則です。
 先ほどお話ししましたように、カランからはメソポタミアに下る道とカナンに下る道が延びていました。いわばカランは、メソポタミアからカナンを経てエジプトに至る道のいちばん北にある分岐点でした。アブラハムはその分岐点にあって、メソポタミアにあるカルデヤのウルを出た者として、自分の「生まれ故郷」に帰る道ではなく、そこを離れる道であるカナンに行く道を選んで、そこを進んだと考えられます。そして、カナンの地に来たときのことを記している7節に、

そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。

と記されていますように、主のみことばにしたがってカナンの地に留まるようになったわけです。ですから、主がそのように語ってくださらなかったなら、アブラハムはさらにエジプトの方向に進んだのではないかと思われます。
 そのようにアブラハムは自分の故郷や親族を後にして、頼みとするのは主の約束だけという、まったく新しい道を踏み出したのです。このように、アブラハムの旅は、自分にとっては未知の世界であるけれども、自分を召してくださった主が備えてくださっている世界に向けての旅であったのです。これはアブラハムの生涯の特徴を示しています。
 そして、カナンの地に来たアブラハムに主が現われて、

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

と約束してくださった時、直ちに、

アブラムは自分に現われてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。

と言われています。これは7節に記されていますが、これに続く8節にも、

彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。

と記されています。アブラハムは約束の地の至る所で、主との交わりのための祭壇を築いています。
 このことのうちに、すでに、ヘブル人への手紙の著者が、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

とあかししているアブラハムの信仰の姿が見て取れます。
 このアブラハムの信仰の姿勢は、続いて起こるいくつかの出来事においても見られますが、きょうはその一つだけしかお話しできません。
 アブラハムはおいのロトとともにカランを出てカナンにやって来て、そこで過ごすようになります。ロトはアブラハムの弟であるハランの息子ですが、ハランはまだテラがウルにいたときに亡くなりました。それでロトは祖父であるテラと伯父であるアブラハムについてウルを出たのです。
 けれども、やがてカナンにおいて、それぞれの財産が増えるようになると、二人は共存できなくなりました。創世記13章2節〜11節には、

アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、以前天幕を張った所まで来た。そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。

と記されています。
 古代社会においては年長者の社会的な権威は、今日の社会におけるよりはるかに大きなものがありました。それで、アブラハムは弟の息子であるロトに対して自分が尊重されるべきことをいくらでも主張できましたし、ロトは伯父であるアブラハムに最大限の敬意を払わなければなりませんでした。けれどもアブラハムは自分の権威や権利ををいっさい主張していません。お互いが別れて住むようになる提案をしたアブラハムは、9節に記されていますように、

全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。

と言って、住むべき所の選択権をロトに譲っています。ロトは何の遠慮もなく、当然のごとくに、豊に潤っている「ヨルダンの低地全体を」選び取りました。このことは、この時ばかりでなく、この時に至るまでに、アブラハムがロトに対して伯父としての権威を振りかざしたことがなかったということを物語っています。
 ロトが選んだ地については、

主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。

と言われています。この、

主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、

ということばによって、その地は非常に豊かな地であったけれども、その地の文化は爛熟していて、主の御前に罪を積み重ねつつさばきへの道を突き進んでいたことが暗示されています。
 また、ヘブル語の原文では、

ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、

ということばには「自分のために」ということばがついていて、ロトの選択が自分の利害を中心にしたものであったことが示されていると考えられます。
 いずれにしましても、このことのうちに、アブラハムは富んでいたけれども、この世の権力に執着していなかったばかりでなく、この世の富にも執着していなかったということが示されています。
 このことには、アブラハムはこの世の権威や富に執着していなかったというように、アブラハムの個人的な資質ということで済まされないものがあります。
 12節には、

アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。

と記されています。ここに記されていることから、ロトが選び取った「低地の町々」はカナンの地と区別されるところであった可能性があります。地理的にはそこがカナンに含まれるとしても、少なくとも、主がアブラハムにお与えになろうとしているカナンとは区別されるという意味合いがあったと考えられます。
 そうしますと、アブラハムはカナンの地について、主から、

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

という約束を受けていたのですから、そして、その約束のゆえにカナンの地に留まるようになったのですから、初めから、自分がカナンの地の方を選ぶと言ってもよかったのではないかと思われます。それなのに、アブラハムがそのようにしないで、選択権をトロに譲ったのはどうしてだったのでしょうか。それは社会的な権威に執着しないアブラハムの謙遜によることですが、その奥には、アブラハムの信仰の姿勢があったのだと考えられます。
 ヘブル人への手紙の著者が、

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

と述べているように、アブラハムは「相続財産として受け取るべき地」を目指してはるばると旅をしてきました。そして、カナンの地にまで来ますと、そこで主はアブラハムに現われてくださり、この地に関する約束を与えてくださいました。しかし、アブラハムは、この祝福の約束は自分が独り占めにすべきものではなく、自分とともにはるばる旅をしてきたロトにも、その権利があると考えていたのではないでしょうか。そして、やむを得ない事情の中で、お互いが別れて生活しなければならなくなったときに、ロトからその権利を奪い取ることはできないと考えたのではないでしょうか。
 このことは必ずしも根拠のない想像ではありません。ペテロの手紙第二・2章6節〜8節には、

また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。というのは、この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行ないを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。

と記されています。あの時、伯父のアブラハムから自分の目の前に広がっている地についての選択権を譲られたとき、見た目に分かるほど豊に潤っていた「低地の町々」を選択したロトでした。けれども、その地の文化にじかに接したときに、それに飲み込まれることなく、かえって「日々その正しい心を痛めていた」とあかしされています。これは、ロトのうちにアブラハムと分かち合うことができた契約の神である主に対する信仰があったことを意味しています。
 確かに、

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

という約束を受けたのはアブラハムです。けれども、個人主義的な発想の行き渡っている今日の人ではなく、その当時の人であったアブラハムにとっては、その祝福はロトをも含めた大家族のかしらとしての自分に与えられたものであって、ロトがその祝福から除外されているというような意識はまったくなかったはずです。そして、そうであるからこそ、この13章に記されている出来事をとおして、その約束を受け継いでいるのは、ロトからも区別されたアブラハムであったということがはっきりしてきたと言うことができるのです。事実、13章14節〜17節には、

ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」

と記されています。「ロトがアブラムと別れて後」、アブラハムに、カナンの地に関する約束がより明確で豊かな形で与えられたのです。
 このように、この時、アブラハムは、自分が一方的に主の約束してくださったカナンの地に対する権利を主張してはならないと考えて、ロトに選択権を譲ったのであると考えられます。私たちは、ロトが自分の利害を考えて、見た目に分かるほど豊に潤っていた「低地の町々」を選択したのに、アブラハムが怒りを発しなかったことに、心を動かされそうになります。しかし、それは、私たちの中にもロトと同じような価値観があるためのことで、アブラハムにとっては心外なことなのではないでしょうか。アブラハムにとって大切だったのは、見た目の豊かさを越えて、主が約束してくださった地であり、それがカナンの地の方だったのです。そして、それを年長者の権威を盾に取ってロトから奪ってはならないと考えたのだと思われます。
 それでは、アブラハムに与えられた約束はどうなるのかということになります。もしロトがカナンの地の方を選んでいたとしたらどうなったのかということです。私たちはそこに主の摂理の御手のお導きがあったことを信じていますので、この場合の「もし」という仮定には答えにくいのですが、一つのことは確かです。それは、ロトに選択権を譲ったときにも、アブラハムの主に対する信仰は変わらなかったということです。事情がどのように変わっても、主の約束は必ず実現すると信じていたということです。その信仰によって、アブラハムは生まれ故郷や親族のもとを離れて、行く先を知らないで出ていったのです。それで、アブラハムは主の約束の確かさを信じて、ロトの選択を受け入れて、「低地の町々」のある地方で生きたはずだと考えられます。そして、どこで生きたとしても、アブラハムが求めていたものは主との交わりにあるいのちであったということには変わりがなかったので、その地の至る所に主を礼拝し主とのいのちの交わりをするための祭壇を築いていったと考えられます。
 これにはさらに問題があります。それでは、アブラハムは約束の地であるカナンを離れることになるのではないかという問題です。しかし、飢饉の時など、事情によって約束の地を離れなければならなかったことは、アブラハムの生涯においてもありました。何よりも、アブラハムの子孫はアブラハムに与えられた約束にもかかわらず、約4百年もの間他国の奴隷の身分に甘んじたこともあったのです。そうであっても、主はアブラハムやアブラハムの子孫とともにいてくださいました。たとえアブラハムが「低地の町々」のある地方に住んだとしても、主はアブラハムとともにいてくださってアブラハムを導いてくださり、その約束を果たしてくださったはずです。
 先ほど引用しました創世記13章14節〜17節には、ロトがアブラハムから別れて行った後に、主が改めてアブラハムにカナンの地に関する約束を与えてくださったことが記されていました。それに続く18節には、

そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。

と記されています。改めてカナンの地に関する約束が与えられた時、アブラハムがしたことは、その地に主との交わりのための祭壇を築いたことでした。このことのうちにも、アブラハムがカナンの地において求めていたものが何であったのかが如実に示されています。
 いずれにしましても、これらのことから、アブラハムはあくまでも神である主とのいのちの交わりを求めていたのであって、必ずしもカナンの地そのものにはこだわっていなかったということが分かります。
 アブラハムの地上の歩みの中には、たとえば、あのハガルによって子をもうけてしまったことや、これまで触れてきませんでしたが、他国で自分の身を守るためにサラを自分の妹と偽ったことのように、主のみこころを誤解したり、罪を犯したりした例はいくつもあります。けれども、それらのことのさらに奥には、主とのいのちの交わりを求め続けたアブラハムの信仰の生涯の歩みがあります。そして、この主とのいのちの交わりに関しては、主の約束の確かさに信頼し続けたので、当面は不利なことがあっても、主に信頼してそれを受け入れたり、あえてそれを選び取ったりしたことが分かります。私たちはこのようなアブラハムの信仰と信仰による生き方にならうアブラハムの霊的な子孫です。

 


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