(第105回)


説教日:聖なるものであること(105)
聖書箇所:コリント人への手紙第一・1章1節〜9節


 これまで、かなり長いこと、「聖なるものであること」についてお話ししてきました。このお話を始めたのは、これに先立って「みこころを知るために」ということをお話をしてきて、少し長くなってしまいましたので、神さまのみこころを知ることと関連している、聖さについて集中的に取り上げてお話ししようと思ったからです。初めは、ほんの数回でという思いで始めましたが、神さまの聖さの圧倒的な豊かさに触れることとなりまして、それではすまなくなってしまいました。私自身の考えの足りなさを思い知らされました。
 この「聖なるものであること」のお話は、さらに、たとえば、ローマ人への手紙12章1節、2節の、

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

という教えなど、いくつかの教えとの関連で続けるべきではないかという思いもあります。しかし、何しろ、お話自体があまりにも長くなりすぎました。お話としては新しいとしましても、説教題が同じものであるだけで、気が滅入ってしまう方もおられることと思います。それは、無理もないことです。それで、あと一つか二つのことをお話しして、このシリーズのお話は終わりにしたいと思います。一つか二つというあいまいな言い方をするのは、そのうちの一つのことは、私の考えにあるのですが、うまくお伝えできるかどうか自信がないからです。いずれにしましても、このお話は、あと一回か二回で終わりにいたします。


 今日は、これまでお話ししてきました「聖なるものであること」とのかかわりで、イエス・キリストのからである教会の歩みの歴史の中で起こった、一つの問題についてお話ししたいと思います。それは、古代教会に起こった「ドナトゥス派論争」と呼ばれることです。
 それに先立って、いわばその問題を考えるための準備として、今日のテキストとして取り上げました、コリント人への手紙第一・1章1節〜9節のうち、1節〜3節を見てみたいと思います。そこには、

神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

と記されています。
 これは、この手紙の挨拶に当たる部分です。その当時の手紙において一般的に見られた、「差出人」・「受取人」・「挨拶」という形式にしたがって記されています。
 1節の、

神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、

という言葉は、手紙の「差出人」です。
 また、2節の、

コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。

という言葉は「受取人」です。
 そして、3節の、

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

という言葉が「挨拶」です。
 ここで特に注目したいのは、2節に記されている、この手紙の受取人について記している言葉です。それは、

コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。

というものです。
 このように、手紙を受け取る人々のことを詳しく述べているのは、新約聖書に残されているパウロの手紙ではここだけです。そして、このことは、パウロが、コリントの人々はここに記されているような人々であるということを、どうしても、コリントの人々とともに確認しておかなければならない、と感じていたことを意味しています。
 この手紙の受取人は、まず、「コリントにある神の教会」であると言われています。この「コリントにある神の教会」という言葉は、コリントの教会が神さまによって生み出されたものであり、それゆえに、神さまのものであるということを示しています。
 ご存知のように、コリントの教会には、実にさまざまな問題がありました。この手紙の1章〜4章から、教会の中に分派活動があり、そのために分裂の危機があったことが分かります。さらに、5章1節に記されています、

あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。

という言葉からうかがえますように、その当時の社会に見られた道徳的な退廃が、そのままコリントの教会に入り込んできていたことが分かります。その他、知識による高ぶりとか、兄弟たちを平然と告訴したり、賜物があるということでの無秩序な混乱など、いろいろな問題がありました。
 そのようなコリントの教会について、パウロは、「コリントにある神の教会」と呼んでいます。いろいろな問題があるだけでなく、かなり深刻な問題がいくつかあるにもかかわらず、コリントの教会は神さまが生み出してくださった教会であり、神さまのものであると言うのです。そして、パウロは、そのように信じているからこそ、コリントの教会うちに見られるさまざまな問題に対して、父なる神さまが、教会のかしらであられるイエス・キリストを通して、恵みによる導きと解決を与えてくださると信じて、この手紙を書くことができたわけです。
 そうしますと、コリントの教会が「神の教会」であるということは、その教会に属している人々の資質によるのではないことが分かります。コリントの教会が「神の教会」であるのは、神さまが、イエス・キリストが十字架の死と死者の中からのよみがえりによって成し遂げられた贖いの御業に基づき、御霊のお働きによって、その教会を生み出してくださり、ご自身のものとしてくださっているということによっているのです。
 コリントの教会が「神の教会」であることの根拠は、神さまが御子イエス・キリストを通して成し遂げてくださった贖いの御業にあるのであって、コリントの教会の人々の善し悪しにあるのではありません。今日お話しすることのキー・ワードは「客観的」という言葉です。それを用いて言いますと、コリントの教会は、神さまが御子イエス・キリストを通して成し遂げてくださった贖いの御業という「客観的な」土台の上に建てられているので「神の教会」であるのです。
 パウロはさらに言葉を続けて、コリントの教会の人々のことを、

私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々

と呼んでいます。
 ギリシャ語の原文では、まず第一に、

キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々

ということが言われています。しかも、その中で最初に出てくるのは、「聖なるものとされた方々」という言葉です。この言葉は、動詞の分詞形で表わされていて、受動態の完了形です。これは、過去に「聖なるものとされた」ということを表わしているだけではありません。その後ずっと、「聖なるもの」として保たれていることも表わしています。
 そして、

キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々

の「キリスト・イエスにあって」という言葉は、コリントの教会の人々が「聖なるものとされた」のも、「聖なるもの」として保たれているのも、イエス・キリストとの結びつきによっているということが示されています。
 先ほどお話ししましたように、実際には、コリントの教会の人々は深刻な問題をいくつも抱えているのですが、それでも、イエス・キリストとの結びつきにおいて「聖なるものとされた」ばかりでなく、「聖なるもの」として保たれていると言われています。このことからも、コリントの教会の人々を「聖なるもの」としているのは、コリントの教会の人々自身の資質や力ではなく、神さまが御霊のお働きによって、コリントの教会の人々をイエス・キリストに結び合わせてくださっていることによっているということが分かります。
 私たちの罪を贖ってくださるために人の性質を取って来てくださり、十字架にかかって死んでくださったイエス・キリストは、その十字架の死によって贖いを成し遂げてくださいました。そして、栄光を受けて死者の中からよみがえってくださり、私たちのいのちの源となってくださいました。私たちは、この栄光のキリストと一つに結び合わされて「聖なるもの」とされており、「聖なるもの」として保たれています。そのように、私たちを栄光のキリストに結び合わせてくださっているのは、栄光のキリストの御霊です。
 この、「聖なるものとされた」ということは、神さまのために聖別されているということを意味しています。そして、それは、ただ単に、神さまの「お役に立つ」ということだけではなく、神さまの聖さを映し出すものであるということを意味しています。しかし、コリントの教会の中にあったさまざまな問題のことを考えますと、とても、「聖なるもの」とは言えないのではないかと思われます。
 それでも、パウロが、コリントの教会の人々のことを、

キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々

と呼んでいるのどういうことでしょうか。それは、やはり、その根本に、コリントの教会の人々が、御霊によって栄光のキリストと結び合わされて、その贖いによって包まれているという、「客観的な」事実があるからです。それと同時に、とても「聖なるものとされた」とは言えない現実の中にあっても、キリスト・イエスにある神さまの恵みによって、そこからさらに立ち上がらせてくださり、本来の、愛によって互いに受け入れ合うことによって生まれてくる一致へと導かれていくことに、「聖なるものとされた」ということの現われがあるのです。
 このように、私たちが「聖なるものとされた」ということは、その聖さが固定されてしまっているということではありません。また、何の問題もないということでもありません。むしろ、現実の私たちには、神さまの御前に本当に悲しむべき罪があり、そのために起こってくる問題がたくさんあります。そのために、何度も、これでも自分は神の子どもなのだろうかというような思いに苦しむほどです。それでも、なお、私たちは、そのたびに、自分たちは「キリスト・イエスにあって聖なるものとされた」者であると言わなければなりません。というのは、とても大切なことですが、私たちが「キリスト・イエスにあって聖なるものとされた」ということは、そのような悲しむべき問題を抱えている私たちが、イエス・キリストにあって罪の贖いにあずかり、新しいいのちの中に生かされることによって、互いに愛し合うものへと造り変えられていくことに現われてくるからです。
 私たちが「聖なるものとされた」ということは、固定されたことではなく、むしろ、そのような過程(プロセス)の中に現われてきます。先ほど言いましたように、

キリスト・イエスにあって聖なるものとされた

という言葉は、私たちが過去に御子イエス・キリストとの結びつきによって「聖なるものとされた」ということを表わしているだけではなく、その後もずっと御子イエス・キリストとの結びつきによって「聖なるもの」として保たれているということを表わしています。その「聖なるもの」として保たれているということは、なおも自らのうちに罪を宿しているために、さまざまな問題を抱えている私たちが、それらの問題のただ中で、御霊のお導きによって、互いに赦し合い、互いに愛し合うようになることを通して、御子イエス・キリストの栄光のかたちに似た者に造り変えられていくという形で現われてきます。
 その意味では、私たちが「聖なるもの」として保たれているということは、ダイナミックな過程(プロセス)であるのです。神学者は、私たちが御子イエス・キリストとの結びつきによって「聖なるもの」として保たれているということを「聖化」と呼んでいます。この「聖化」は、地上の生涯を通して続く過程(プロセス)であり、しかも地上の生涯においては完成することがありません。その完成は、栄光のキリストの再臨によってもたらされる終わりの日の復活を待たなければなりません。
 コリント人への手紙第一・1章2節では、それに続いて「聖徒として召され」という言葉が出てきますが、それを取り扱う時間的な余裕がありません。中途半端な感じになりましたが、今お話ししたことを踏まえて、古代教会に起こったドナトゥス派論争のことをお話ししたいと思います。
 4世紀から5世紀の北アフリカにおいてのことですが、一般にドナトゥス派論争あるいはドナティスト論争と呼ばれる論争が起こりました。これには、政治的な背景として、北アフリカのベルベル人のキリスト教徒とローマ人入植者との間の確執があったと言われています。しかし、問題の本質は神学的なものでした。
 キリスト教は、ローマ皇帝コンスタンティヌスの回心と313年に発布されたとされるミラノの勅令によって公認されました。実際にはミラノの勅令は発布されなくて、ミラノでなされたコンスタンティヌスとリキニウスとの会談で取り決められた合意の大筋が発表されただけであるとも言われています。いずれにしましても、その合意によって、313年にキリスト教が公認されました。
 それに先立つ303年〜305年にかけて、皇帝ディオクレティアヌスによる大迫害がありました。その迫害の程度は、地方によって違っていたようです。東西ローマの西方では、305年のディオクレティアヌスの退位によって、迫害は終わりましたが、東方では、その後も迫害が続いていました。ディオクレティアヌスによる迫害の中では、四つの勅令が相次いで出されました。その中の第一の勅令によって、教会堂を破壊し、集会を禁止し、聖書を焼くように命じられました。また、キリスト教徒から官職をはく奪するように命じられました。そして、それに従って、聖書や聖器具類を差し出した教職者たちは「裏切り者たち」(traditores・「差し出した者たち」)というラベルを貼られるようになりました。この「差し出した者」という意味のtraditorは、後の英語のtraitor(裏切り者)の語源となっています。
 北アフリカでは、311年に、カエキリアヌスがカルタゴの司教に任ぜられました。しかし、この叙任(カトリック教会の用語では「叙品」)に対する反対が起こりました。反対者の中にはヌミディア州の司教たちが含まれていました。反対者たちは、伝統的には、叙任式を執行する三人の司教のうちにヌミディアの首位司教が加わるべきであるのに、加えられなかったということと、叙任式を執行したアプトゥンガのフェリクスが「裏切り者」(traditor「差し出した者」)であると言って、その叙任に反対しました。
 ヌミディア州の司教たちは「裏切り者」による叙任は無効であるとし、カエキリアヌスの権威を受け入れようとしませんでした。そして、カエキリアヌスの代わりにマヨリヌスをカルタゴの司教に立てました。そのマヨリヌスの後を継いだのが、学識と実行力を備えていたと言われているドナトゥスです。この出来事によって生まれた分派がドナトゥス派あるいはドナティストです。そして、この出来事にまつわる論争のことは、ドナトゥス派論争あるいはドナティスト論争と呼ばれています。
 ドナトゥス派は、政治的な背景もあって、弾圧を受けましたが、人々の支持を受けて勢力を伸ばし、北アフリカに浸透していきました。
 アウグスティヌスは、388年にイタリアからアフリカに帰り、391年にヒッポの司教になりました。その時には、彼の教区においても、ドナトゥス派の教会の方が多数を占めていました。アウグスティヌスは、そのような状況の中で、ドナトゥス派との論争にかかわるようになります。また、その時には、ドナトゥスの後継者パルメニアヌス(362〜392年在任)がドナトゥス派を指導していました。そして、アウグスティヌスとドナトゥス派の論争は、本格的な論争としては、20年ほど続いたと言われています。ただ、アウグスティヌスの説得は、最後まで受け入れられなかったようです。自分たちだけが聖なるものであると主張しているドナトゥス派の人々には、話し合いの余地がなかったのです。最終的には、ドナトゥス派は、411年のカルタゴ会議において、異端として退けられました。その後も激しい抵抗があったようですが、その勢力はある時点から急速に衰えていきました。とはいえ、その影響がまったくなくなったということではありません。
 ドナトゥス派の人々は、自分たちの主張は、3世紀のアフリカ教会の指導者でカルタゴの司教であったキュプリアヌスの教えに基づいていると考えていました。キュプリアヌスは「教会の外に救いなし」と主張したということでよく知られています。
 ドナトゥス派は、いわゆる「完全主義者」の「厳格派」で、正統派ユダヤ人が中間時代(旧約聖書の最後の預言者マラキから新約聖書の時代までの約四百年間)に律法を厳格に守り、そのためには殉教をいとわなかったことを称賛しました。そして、自分たちも神さまの律法を完全に守ることを目的としていました。そして、キリストに属するものは、常に、まったく「聖なるもの」でなければならないと主張しました。そして、ドナトゥス派の教会こそが真のイスラエル、真の教会であり、真のキリストの花嫁、「まことのぶどうの木」であると主張しました。そして、そのまったき聖さを失っている者は、神さまが手入れをされて取り除かれると言うのです。それで、「裏切り者」は汚れた者であるから、教会に復帰するときには、もう一度洗礼を受け直さなければならないと言います。さらに、「裏切り」の経歴のある司教が執行する礼典や司教の叙任は無効であると主張しました。
 このような姿勢を持っていましたので、ドナトゥス派の司教たちは、ほんの些細な妥協によっても、神さまとの関係は損なわれてしまうのではないか、そして、自分たちの祈りは聞かれなくなってしまうのではないかという不安につきまとわれていたようです。そして、絶えず、イザヤ書59章1節、2節に記されている、

  見よ。主の御手が短くて救えないのではない。
  その耳が遠くて、聞こえないのではない。
  あなたがたの咎が、
  あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、
  あなたがたの罪が御顔を隠させ、
  聞いてくださらないようにしたのだ。

という御言葉を引用していたと言われています。このような不安と畏れが根底にあって、少しの妥協も赦さない姿勢が生み出されていたわけです。
 ドナトゥス派論争には、いくつかのことがかかわっていました。アウグスティヌスはアフリカ人でしたのでローマの植民地であるアフリカの人々の、ローマ人入植者たちに対する感情を理解していました。けれども、この問題を政治的な観点からではなく、神学的な問題であると受け止めました。
 神学的にも、この論争にはいくつかの問題がかかわっていますが、教会についての考え方においては、アウグスティヌスは、ドナトゥス派の人々が拠り所としていた、キプリアヌスの教えにしたがって、何よりも教会の一致が保たれなければならないことを主張しました。
 マタイの福音書13章24節〜30節には、一般に「毒麦のたとえ」と呼ばれるイエス・キリストの教えが記されています。そこには、

イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」

と記されています。
 アウグスティヌスは、このイエス・キリストの教えにしたがって、教会は世の終わりの日までは、聖い人々の集いであるのではなく、聖い人々と罪人たちの入り交じっているからだであるということを主張しました。そして、この聖い人々と罪人たちとの分離は、世の終わりに神さまご自身によってなされることであって、人間が先走って、神さまの代わりに人をさばいて分離を図ってはならないと主張しました。
 また、私たちが問題としている「聖なるものであること」とのかかわりでは、アウグスティヌスは、キリスト者が救われた後もなお罪人であるということを強調しました。そのことは、ドナトゥス派の人々の生活の現実にも現われてきていることを、具体的な事例を挙げて指摘しました。そして、自分たちはみな神さまの御前においては、等しく罪ある者であって、だれ一人として自らの義を立てることはできない者であると言います。それで、イエス・キリストが教えておられるように、自分たちは人をさばいてはならず、さばきは神さまに任せるべきであると主張しています。そして、イエス・キリストは、自分たちが、愛と寛容もって一つのからだ、一つの群れとなるべきであることを教えておられると言います。そして、そのためには、罪を悔い改める人に対しては徹底的に寛容でなければならないと言うのです。
 このように、アウグスティヌスは、教会は聖い人々の集まりではないということを認めます。そうしますと「教会の聖さはどうなるのか」という問いが生まれてきます。
 ドナトゥス派では、それは厳格な規律に従う信仰生活をすることによって守られるということになります。
 それに対して、アウグスティヌスは、神さまの恵みを強調します。そして、教会を聖なるものとしてくださっている方がおられると言います。言うまでもなく、それは、義人のためでなく罪人のためにいのちをお捨てになったイエス・キリストです。教会は、このイエス・キリストとの結びつきによって聖いというのです。もちろん、アウグスティヌスは、罪や腐敗そのものが聖いというようなことを言ってはいません。そうではなく、教会の聖さは、自らのうちに罪と腐敗を宿しながら、なおも、イエス・キリストの恵みに支えられ、愛によって互いを受け入れ合うことによって一致を保っている教会の姿に現われてくると言います。そのことのうちに聖霊のお働きの現われがあり、キリストの教会の聖さがあるということです。そして、教会の聖さは、そのかしらであられるイエス・キリストの教えにしたがって、互いに愛し合うことによって、そして、その愛によって互いを受け入れ合うことによって豊かになると言うのです。
 このことは、先ほどお話ししましたコリント人への手紙第一・1章2節に記されているパウロの言葉に表わされているコリントの教会の人々の聖さについての考え方と同じですね。パウロは、深刻な問題をいくつも抱えているコリントの教会の中に、御霊が生み出してくださる愛による一致が生み出されるなら、それこそが、コリントの教会の人々が、「キリスト・イエスにあって聖なるものとされた」(完了時制・受動態の分詞)ことの現われであると考えているわけです。そして、その手紙を通しての教えによって、そのことをコリントの教会に実現しようとしているわけです。
 アウグスティヌスは、イエス・キリストがこの世にあって、人々の罪のために苦しみながらも、人々を愛し、その救いのために十字架を負ってゴルゴタへの道を歩まれたように、キリストの教会はこの世にある間、この世の罪と苦悩を負い、自らのうちに多くの傷を負ったまま歩ゆんでいると言います。人は、そのように傷ついた教会の中で生きることによってこそ、十字架にかかって死んでくださったイエス・キリストの愛と恵みの深さを知ることができるというのです。
 また、礼典の有効性の問題については、「裏切り者」の執行する礼典を無効として、そのやり直しを主張するドナトゥス派の人々に対して、アウグスティヌスは、礼典は神さまからの賜物であるので、その効果はそれを執行する人の人格にはよっていないということを主張します。礼典を執行する者はキリストの代理者であり、道具であり、礼典の真の執行者はイエス・キリストご自身であると主張しました。このように、アウグスティヌスは、礼典の有効性の「客観性」を主張しました。
 この礼典に関するドナトゥス派の人々の理解は、先ほどお話ししました、祈りに関するドナトゥス派の人々の考え方とつながっている面があります。ドナトゥス派の人々は、祈りが聞かれるかどうかは自分たちの姿勢次第であるということから、些細な妥協によっても神さまとの関係が壊れてしまいはしないかという不安を持っていました。それは、神さまとの関係を人間の資質や姿勢に依存させてしまうことから生まれてきています。終わりの日に至るまでこの世にある間の人間は、自らのうちに罪を宿すものです。それで、ドナトゥス派の理解をもってしまいますと、絶えず恐れと不安につきまとわれるほかはなくなります。
 ドナトゥス派の人々は、自分たちが妥協することなく律法を守ることによって。この世に飲み込まれることなく、教会のアイデンティティを保たなければならないと考えていました。そのようにして、保たれている教会は、この世とは区別され、この世に代わる真の社会であると考えました。
 これに対して、アウグスティヌスは、むしろキリストの教会には、この世を飲み込んでも、教会としてのアイデンティティを失うことなく、この世を変えていくだけの力があるということを信じていました。そして、その教会としてのアイデンティティや、この世をも飲み込んで変革していく力は神さまがお用いになる人間の資質や姿勢に依存しているのではなく、神さまの御言葉に示されている「客観的な」約束と、それに基づくお働きに根差していると理解していました。
 このような、聖書に示されている神さまの贖いの効果野「客観性」と贖いの恵みの「客観的な」有効性が、アウグスティヌスの考えを支えていました。それはまた、後の宗教改革者たちの支えとなっていきます。私たちもそれによって支えられて、「ただ恵みのみ」という立場に立っています。
 以上のことから、地上にある私たちの聖さがどのようなものであるかということが理解されます。
 私たちの聖さの土台は、私たちが、十字架にかかって私たちの罪の贖いを成し遂げてくださり、栄光をお受けになって死者の中方よみがえってくださったイエス・キリストと一つに結び合わされていることにあります。それは、神さまが恵みにより、御霊のお働きをとおしてなしてくださっていることですので、私たちの資質や姿勢によって変わるものではありません。これが、罪の贖いの効果の「客観性」ということになります。私たちは、そのような確かな贖いを信じてそれに頼ればよいのです。
 高い所にある物を取ろうとして踏み台にしたものが、私たちの動きとともにぐらぐらと動いていては、私たちは倒れてしまいます。そのような不安定なものを踏み台にしますと、私たちの方がその不安定なものが倒れないように気をつけなければならなくなります。しかし、しっかりした踏み台は、私たちの身体の動きに左右されないで私たちを支えてくれます。私たちはそれが倒れないようにと気を遣う必要はありません。安心してその上に立つことができます。神さまが御子イエス・キリストにあって備えてくださった贖いは、しっかりした踏み台のような確かさをもっています。それは、私たち次第で効果があったり、なくなったりするものではありません。私たちが「大丈夫」と信じて私たち自身を委ねることができるものです。
 コリント人への手紙第一・1章8節には、

主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。

と記されています。
 これに対して、私たち自身は、自らのうちに罪を宿しており、実際に、罪を犯して、神さまを悲しませます。しかし、私たちが結び合わされているイエス・キリストが成し遂げてくださった贖いは、私たちの底知れぬ罪を包み込んでくださって、それを聖めてくださる力のある贖いです。その贖いの御業に基づいて、神さまが私たちのうちに生み出してくださる聖さは、私たちが罪を犯して、それを認めて告白する度ごとに、私たち自身の現実となって現われてきます。
 その意味で、ヨハネの手紙第一・1章8節に記されている、

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

という約束の言葉は、私たちの聖さが生み出されていく筋道を示しています。そして、この約束は、神さまが御言葉をとおして示してくださった約束としての「客観的な」確かさをもっています。
 ヨハネは、この手紙の中で、この約束の土台の上に立って、イエス・キリストの戒めにしたがって、私たちが互いに愛し合うべきことを、繰り返し説いていきます。そのようにして、自らのうちに罪を宿しているために、さまざまな問題と重荷に苦しんでいる私たちの間に、御霊のお働きによって、イエス・キリストが成し遂げてくださった贖いの恵みに基づく聖さが生み出されていきます。そして、私たちは、終わりの日に、イエス・キリストの栄光の御姿に似た者へと造り変えられるのです。ヨハネの手紙第一・3章2節、3節には、

愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。

と記されています。

 


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