説教日:2004年8月1日
聖書箇所:エペソ人への手紙6章18節〜20節
説教題:鎖につながれた大使(2)


 今日も、エペソ人への手紙6章18節〜20節に記されている戒めからのお話を続けます。先週は、20節で、パウロが自分のことを、

私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。

と述べていることについてお話ししました。今日はそれを補足するお話をいたします。
 パウロは、自分は「鎖につながれて」いると述べています。これは、パウロが囚人として投獄されていることを意味しています。けれども、パウロは犯罪を犯して囚人となったのではありません。栄光のキリストから委ねられた「福音の奥義」を知らせる務めを果たしている中で迫害を受けて、投獄されたのです。
 先週お話したことの復習になりますが、3章1節には、

こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。

と記されています。
 ここでパウロは自分のことを「あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロ」と述べています。これには三つのことがかかわっています。一つは、この時、パウロは囚人として牢獄につながれていたということです。第二に、パウロはこのことを、自分がイエス・キリストに捕えられていることの現れであると考えているということです。つまり、自分はイエス・キリストに捕えられて「福音の奥義」を知らせる務めを果たしているから、迫害を受けて牢獄につながれていると考えているということです。第三に、パウロは、自分がイエス・キリストに捕えられている者として牢獄につながれていることは、「異邦人のため」であると考えているということです。
 また4章1節には、

さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。

と記されています。ここでは、パウロは自分のことを、「主の囚人である私」と述べています。これは、文字通りには「私、主にある囚人」です。これには二重の意味があります。一つは先ほどと同じで、この時、パウロが囚人として牢獄につながれていたということです。もう一つのことは、「パウロは自分が牢獄につながれていることは「主にあって」起っていると理解しているということです。これは、投獄という厳しい事態も主の御手のうちにあって起こっているという信仰の告白です。
 これはパウロの主に対する信仰に基づく理解です。パウロの手紙を読んでいきますと分かりますが、パウロは、自分がイエス・キリストに捕えられて「福音の奥義」を知らせる務めを果たしていることの全体が主の御手の支えと導きの中にあると理解しています。それでパウロは、自分がこのように牢獄につながれていることも主の御手の中で起こっていると理解しているのです。
 このような理解はどこから生まれてくるのでしょうか。世間一般の目からしますと、信仰によって目がくらんでしまって無謀なことをしているということになるでしょう。主イエス・キリストを知らない人々からそのように見られることは止むを得ないことです。けれどもパウロには、自分が栄光のキリストから召されて使命を与えられているという確かな理解と使命感があります。この使命感についてのパウロの理解の根底にあることについて、パウロのあかしを見てみましょう。それはいろいろな所に記されていますが、使徒の働き26章9節〜18節には、

以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。私が主よ。あなたはどなたですか。と言いますと、主がこう言われました。わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現われて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。

と記されています。
 これは新任のローマの総督フェストを表敬訪問に来たアグリッパ王に対するパウロの弁明の中で語られたものです。このことの経緯につきましては、後ほどお話しいたします。
 パウロはこのような使命に対する自覚をもつとともに、自分を召してくださった栄光のキリストに対する信頼をもっていました。そのことをうかがわせるパウロのことばを見てみましょう。ピリピ人への手紙1章3節〜8節には、

私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。

と記されています。
 5節では、ピリピにある教会の聖徒たちが「最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来た」と言われています。ピリピにある教会の聖徒たちは、十字架につけられて死んでくださり、死者の中からよみがえってくださって、ご自身の民のために罪の贖いを成し遂げてくださったイエス・キリストを信じたときから、そのイエス・キリストに関する福音のあかしのために生きるようになりました。
 それは、ピリピにある教会の聖徒たちがみな伝道者になったということではありません。一つには、その人々がイエス・キリストを信じて、イエス・キリストが成し遂げてくださった贖いの御業にあずかって罪と死の力から解放され、新しく生まれた結果、考え方と生き方が変わり、その思いとことばと行いのすべてにイエス・キリストに対する信仰と愛が反映していたということです。そして、そのような歩みの中で機会が与えられる度に、福音をあかししてピリピの町に伝道が進められていったということでしょう。もう一つのことは、パウロが、7節で、

私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。

と述べているように、福音の宣教に携わっているパウロを、どんな時にも覚えて、その働きを支え続けたということがあります。実際、この手紙を読むと分かりますように、ピリピにある教会の聖徒たちは、捕らわれの身となっているパウロのお世話をするためにエパフロデトを派遣しました。しかし、エパフロデトは志半ばにして病気になってしまいましたので、パウロはエパフロデトをピリピに送り返すに当たってこの手紙を記しています。2章25節〜27節に、

しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。ほんとうに、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんでくださいました。

と記されているとおりです。また、4章14節〜16節には、

それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。

と記されています。
 このようにピリピにある教会の聖徒たちは、パウロとともに「福音を広めることにあずかって」きました。このことは、エペソ人への手紙6章19節、20節で、パウロが、

また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

という祈りの要請をして、その手紙の読者たちも「福音の奥義」を知らせる働きに参与してくれることを願っていることを、別の角度から見たものに当たります。
 そして、パウロは、ピリピ人への手紙1章6節で、

あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

と述べています。ここでパウロは、ピリピにある教会の聖徒たちがパウロとともに「福音を広めることにあずかって」きたことは、父なる神さまがイエス・キリストにあって始められたことであると述べています。そればかりか、父なる神さまはそれを完成に至らせてくださるという確信も述べています。同じようなことは、2章13節に、

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

と記されています。これはとてもよく知られている聖句ですが、ここでは「・・・してくださるのは神です」というように、「」が強調されています。そのことを生かして訳しますと、

みこころのままに、あなたがたのうちに働いて、志を立てさせ、事を行なわせてくださるのは神です。

となります。
 このことに照らして言いますと、ピリピにある教会の聖徒たちがパウロとともに「福音を広めることにあずかって」きたことは、父なる神さまがイエス・キリストにあって始められたことであるとともに、それを実現してくださるのも神さまであり、完成に至らせてくださるのも神さまであるということになります。これは、ピリピにある教会の聖徒たちだけに当てはまることではなく、今ここにいる私たちにもそのまま当てはまることです。それは、当然、パウロ自身に当てはまることです。パウロはそのような確信のもとに栄光の主イエス・キリストから委ねられた使命を果たしていました。それは、自分が囚人として牢獄につながれるようになったときにも変わることはありませんでした。それで、エペソ人への手紙では自分のことを「あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロ」と述べ、さらに、「私、主にある囚人」と述べているのです。


 このすべては、十字架の死をもってご自身の民のための罪の贖いを成し遂げてから、栄光をお受けになって死者の中からよみがえられ、父なる神さまの右の座に着座されたイエス・キリストが、ご自身をパウロにお示しになったことから始まっています。
 使徒の働きには、栄光のキリストがパウロに現れてくださったことに関する記事が何回か記されています。最初の記事は9章1節〜30節に記されていて、その出来事自体を記しています。その後は、22章1節〜21節に記されているエルサレムにおいて民衆に対してなしたパウロの弁明と、先ほどその一部を引用しましたが、26章1節〜23節に記されている、カイザリヤにおいて総督フェストを表敬訪問をしに来たアグリッパ王に対してなしたパウロの弁明の中で、それがどのようなことであったかがあかしされています。ことの流れとしてはエルサレムにおいて民衆に対してなした弁明とアグリッパに対してなした弁明は一連の出来事の中でなされた二つの弁明としてつながっています。さらに、これらのパウロの弁明としてのあかしは、パウロに対する迫害の中でなされました。そのことをたどりながら、それによって見えてくるものを探ってみたいと思います。
 エルサレムにおいて民衆に対してなされたパウロの弁明は22章1節〜21節に記されています。それを聞いた群衆の反応が続く22節〜24節に、

人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と言った。そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。

と記されています。
 この時、パウロは鎖につながれました。しかし、パウロが生まれながらのローマの市民権をもつ者であることが分かったので、パウロは鎖を解かれ、議会で弁明をする機会を与えられます。パウロが自分は死者の復活のことで裁判を受けているという話をしますと、死者の復活を信じているパリサイ派の議員と死者の復活はないと信じているサドカイ派の議員の間で分裂が起こりました。その騒動の中で、千人隊長はパウロを兵営に連れ出して保護しました。
 これらのことがあって、40人以上のユダヤ人がパウロを亡き者とするまでは飲み食いしないと誓って、パウロの暗殺を企てました。23章11節〜13節には、

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。

と記されています。
 注目すべきことは、この時に主は、パウロに、

勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。

と言われてパウロがローマであかしをすべきであることをお示しになっておられるということです。これに先立って19章21節に、

これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。

と記されていますように、パウロはすでにローマにまで行く志をもっていました。ここで、そのパウロの志が主によって受け入れられていることが明確になっています。
 これらのことが根底にあって、後にパウロはカイザルに上訴するようになり、ローマに護送されるようになります。これによって、パウロは自分に対する暗殺の陰謀から守られることになります。けれども、パウロはただ自分の身を守るためだけにカイザルに上訴したのではありません。実際、アグリッパに対する弁明が終わった後のことを記している26章30節〜32節には、

ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。彼らは退場してから、互いに話し合って言った。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない。」またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに。」と言った。

と記されています。
 個人的なことになりますが、かつて私はこのアグリッパのことばを読んだときに、パウロがカイザルに上訴したことは失敗だったと感じていました。そして、主はその失敗をも用いてパウロがローマで福音を述べ伝えることができるようにしてくださったのだと思っていました。確かに、パウロが自分の釈放だけを考えていたとしますと、カイザルに上訴したことは失敗であったというほかはありません。けれども、それらの奥に、主がパウロに、

勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。

というみことばをもってみこころを示してくださっていたことがあることを考えますと、パウロはただ自分の身を守るためだけにカイザルに上訴したのではないと考えなければなりませんし、カイザルに上訴したことは失敗であったわけではないと言わなければなりません。
 このように、パウロの判断の土台となっていたのは、自分に示されていた主のみこころでした。しかし、パウロがそのように主のみこころを第一のこととしていたからといって、パウロの苦しみが取り去られたのではありません。
 話を戻しますと、40人以上のユダヤ人がパウロを亡き者とするまでは飲み食いしないという誓いを立てて、パウロの暗殺を企てていました。それは、祭司長たちが千人隊長に、パウロを取り調べるためにパウロを議会に連れて来るように願い出て、それが許されたらその途中でパウロを襲うという企てでした。そのことはパウロの姉妹の子、パウロの甥である青年が知るところとなり、パウロの耳にも入ることとなります。パウロがそれを、その甥である青年を通して千人隊長に知らせますと、千人隊長はその夜のうちに、パウロをカイザリヤにいる総督ペリクスのもとに護送しました。
 その後も祭司長たちからのペリクスに対する働きかけがありましたが、パウロの裁判は延期されます。24章26節、27節には、ペリクスのことが、

それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。

と記されています。
 そのように、パウロはペリクスによって、2年もの間、牢獄につながれたままにされることになります。それは、ペリクスガ「パウロから金をもらいたい下心があった」のと、「ユダヤ人に恩を売ろうとして」いたからでした。
 ローマの総督であるペリクスが「パウロから金をもらいたい下心があった」というのは、理解しがたいことかもしれません。これは、この時パウロがエルサレムに上ってきたことと関連しています。この時パウロがエルサレムに上ってきた目的については、使徒の働きにははっきりと記されていません。ただ先ほども引用しました19章21節に、

これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。

と記されているだけです。けれども、パウロの手紙のいくつかの個所ではその目的が明らかにされています。たとえばローマ人への手紙15章25節〜27節には、

ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

と記されています。パウロはさまざまな点において苦しい状況にあったエルサレムにある聖徒たちを支えるために異邦人クリスチャンたちが献げた献金を携えてエルサレムに来たのでした。ペリクスはそのような事情を知っていたのでしょう。
 パウロが、エルサレムにある聖徒たちを支えるために異邦人クリスチャンたちが献げた献金を携えてエルサレムに来たのは、まさに、パウロがエペソ人への手紙3章5節、6節において、

この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。

とあかししている、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの主にある交わりを、具体的な形で実現することであったのです。パウロはそのような理解のもとにエルサレムにやって来ました。
 パウロはその途中でカイザリヤに滞在します。その時のことを述べている使徒の働き21章10節〜14節には、

幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまった。

と記されています。
 預言者アガポは事実を述べただけで、パウロがエルサレムに上ることは主のみこころではないとまでは言っていないと考えられます。けれども、そこに居合わせた人々は、パウロのことを心から心配して、エルサレムに上らないようにと説得を試みました。けれども、パウロはこのことにいのちを懸けていました。まさに身をもって「福音の奥義」をあかししようとしていたのです。
 そして、実際に、アガポが預言したことは成就します。ローマの総督ペリクスは、そのように異邦人の義援金を携えてエルサレムに上ってきた「パウロから金をもらいたい下心があった」のと、「ユダヤ人に恩を売ろうとして」パウロを2年間も牢獄につないだままにしておいたのです。
 2年後にペリクスに代わってフェストが総督として赴任してきました。すると祭司長たちユダヤ人のおも立った人々は、パウロのことをフェストに訴えました。フェストはカイザリヤにおいて、パウロを訴える者たちとともにパウロを出廷させて、弁明の機会を与えました。その時にパウロはカイザルに上訴する意思を表しました。このことから、パウロが囚人としてローマに護送されていくことになっていきます。
 その数日後に表敬訪問のためににカイザリヤにやって来たアグリッパ王に、フェストはパウロの件を相談しました。それで、パウロはアグリッパに対して弁明をする機会を得るようになり、アグリッパたちに弁明をしました。ました。その結末を記している26章28節〜32節には、

するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」と言った。パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。彼らは退場してから、互いに話し合って言った。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない。」またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに。」と言った。

と記されています。
 使徒の働きにおいては、この後、パウロがローマに護送されて行った次第が記されており、最後にローマでの宣教の様子がまとめられています。
 これらのことを見てみますと、パウロを支えていたのは栄光のキリストから委ねられた「福音の奥義」を知らせるという使命に対する自覚と、その働きへの志を起こさせてくださり、実現させてくださったのは父なる神さまであり、完成に至らせてくださるのも父なる神さまであるという信仰と、栄光のキリストに対する信頼でした。そうであるからこそ、パウロは牢獄につながれていても、「福音の奥義」を知らせるという使命に生きていました。そして、すべてを父なる神さまがキリスト・イエスの日において完成に至らせてくださることを信じて、その日を待ち望んでいました。
 私たちは、パウロが宣べ伝えた「福音の奥義」からしますと異邦人として、今ここにおいて、栄光のキリストのからだである教会に連なっています。洗礼と聖餐という、イエス・キリストが定めてくださった聖礼典においてあかしされている贖いの恵みによって栄光のキリストと一つに結ばれ、それゆえにお互いに一つに結ばれています。この聖礼典は、イエス・キリストがご自身の十字架の死と死者の中からのよみがえりによって成し遂げてくださった贖いの御業から溢れ出る恵みを見える形で表し、栄光のキリストが信仰をもってこれにあずかる者たちの間にご臨在してくださって、その恵みによって生かしてくださると約束してくださっている恵みの手段です。
 私たちは、このような意味で、栄光のキリストがご臨在してくださるキリストのからだとして、ここに存在しています。このような意味をもっている教会は、私たちが始めたものではありませんし、私たちが実現したものでもありません。父なる神さまが栄光のキリストにあって働いてくださって、私たちに志を与えてくださり、私たちを「福音の奥義」にしたがって一つに結び合わせてくださったものです。そして、福音のみことばにおいて約束されているとおり、やがてイエス・キリストの再臨の日には、すべての点においてきよめられたキリストのからだとして栄光の主の御前に立つものとしてくださいます。

 


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(c) Tamagawa Josui Christ Church