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説教日:2004年8月1日 |
このすべては、十字架の死をもってご自身の民のための罪の贖いを成し遂げてから、栄光をお受けになって死者の中からよみがえられ、父なる神さまの右の座に着座されたイエス・キリストが、ご自身をパウロにお示しになったことから始まっています。 使徒の働きには、栄光のキリストがパウロに現れてくださったことに関する記事が何回か記されています。最初の記事は9章1節〜30節に記されていて、その出来事自体を記しています。その後は、22章1節〜21節に記されているエルサレムにおいて民衆に対してなしたパウロの弁明と、先ほどその一部を引用しましたが、26章1節〜23節に記されている、カイザリヤにおいて総督フェストを表敬訪問をしに来たアグリッパ王に対してなしたパウロの弁明の中で、それがどのようなことであったかがあかしされています。ことの流れとしてはエルサレムにおいて民衆に対してなした弁明とアグリッパに対してなした弁明は一連の出来事の中でなされた二つの弁明としてつながっています。さらに、これらのパウロの弁明としてのあかしは、パウロに対する迫害の中でなされました。そのことをたどりながら、それによって見えてくるものを探ってみたいと思います。 エルサレムにおいて民衆に対してなされたパウロの弁明は22章1節〜21節に記されています。それを聞いた群衆の反応が続く22節〜24節に、 人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と言った。そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。 と記されています。 この時、パウロは鎖につながれました。しかし、パウロが生まれながらのローマの市民権をもつ者であることが分かったので、パウロは鎖を解かれ、議会で弁明をする機会を与えられます。パウロが自分は死者の復活のことで裁判を受けているという話をしますと、死者の復活を信じているパリサイ派の議員と死者の復活はないと信じているサドカイ派の議員の間で分裂が起こりました。その騒動の中で、千人隊長はパウロを兵営に連れ出して保護しました。 これらのことがあって、40人以上のユダヤ人がパウロを亡き者とするまでは飲み食いしないと誓って、パウロの暗殺を企てました。23章11節〜13節には、 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。 と記されています。 注目すべきことは、この時に主は、パウロに、 勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。 と言われてパウロがローマであかしをすべきであることをお示しになっておられるということです。これに先立って19章21節に、 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。 と記されていますように、パウロはすでにローマにまで行く志をもっていました。ここで、そのパウロの志が主によって受け入れられていることが明確になっています。 これらのことが根底にあって、後にパウロはカイザルに上訴するようになり、ローマに護送されるようになります。これによって、パウロは自分に対する暗殺の陰謀から守られることになります。けれども、パウロはただ自分の身を守るためだけにカイザルに上訴したのではありません。実際、アグリッパに対する弁明が終わった後のことを記している26章30節〜32節には、 ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。彼らは退場してから、互いに話し合って言った。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない。」またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに。」と言った。 と記されています。 個人的なことになりますが、かつて私はこのアグリッパのことばを読んだときに、パウロがカイザルに上訴したことは失敗だったと感じていました。そして、主はその失敗をも用いてパウロがローマで福音を述べ伝えることができるようにしてくださったのだと思っていました。確かに、パウロが自分の釈放だけを考えていたとしますと、カイザルに上訴したことは失敗であったというほかはありません。けれども、それらの奥に、主がパウロに、 勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。 というみことばをもってみこころを示してくださっていたことがあることを考えますと、パウロはただ自分の身を守るためだけにカイザルに上訴したのではないと考えなければなりませんし、カイザルに上訴したことは失敗であったわけではないと言わなければなりません。 このように、パウロの判断の土台となっていたのは、自分に示されていた主のみこころでした。しかし、パウロがそのように主のみこころを第一のこととしていたからといって、パウロの苦しみが取り去られたのではありません。 話を戻しますと、40人以上のユダヤ人がパウロを亡き者とするまでは飲み食いしないという誓いを立てて、パウロの暗殺を企てていました。それは、祭司長たちが千人隊長に、パウロを取り調べるためにパウロを議会に連れて来るように願い出て、それが許されたらその途中でパウロを襲うという企てでした。そのことはパウロの姉妹の子、パウロの甥である青年が知るところとなり、パウロの耳にも入ることとなります。パウロがそれを、その甥である青年を通して千人隊長に知らせますと、千人隊長はその夜のうちに、パウロをカイザリヤにいる総督ペリクスのもとに護送しました。 その後も祭司長たちからのペリクスに対する働きかけがありましたが、パウロの裁判は延期されます。24章26節、27節には、ペリクスのことが、 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。 と記されています。 そのように、パウロはペリクスによって、2年もの間、牢獄につながれたままにされることになります。それは、ペリクスガ「パウロから金をもらいたい下心があった」のと、「ユダヤ人に恩を売ろうとして」いたからでした。 ローマの総督であるペリクスが「パウロから金をもらいたい下心があった」というのは、理解しがたいことかもしれません。これは、この時パウロがエルサレムに上ってきたことと関連しています。この時パウロがエルサレムに上ってきた目的については、使徒の働きにははっきりと記されていません。ただ先ほども引用しました19章21節に、 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。 と記されているだけです。けれども、パウロの手紙のいくつかの個所ではその目的が明らかにされています。たとえばローマ人への手紙15章25節〜27節には、 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。 と記されています。パウロはさまざまな点において苦しい状況にあったエルサレムにある聖徒たちを支えるために異邦人クリスチャンたちが献げた献金を携えてエルサレムに来たのでした。ペリクスはそのような事情を知っていたのでしょう。 パウロが、エルサレムにある聖徒たちを支えるために異邦人クリスチャンたちが献げた献金を携えてエルサレムに来たのは、まさに、パウロがエペソ人への手紙3章5節、6節において、 この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。 とあかししている、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの主にある交わりを、具体的な形で実現することであったのです。パウロはそのような理解のもとにエルサレムにやって来ました。 パウロはその途中でカイザリヤに滞在します。その時のことを述べている使徒の働き21章10節〜14節には、 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまった。 と記されています。 預言者アガポは事実を述べただけで、パウロがエルサレムに上ることは主のみこころではないとまでは言っていないと考えられます。けれども、そこに居合わせた人々は、パウロのことを心から心配して、エルサレムに上らないようにと説得を試みました。けれども、パウロはこのことにいのちを懸けていました。まさに身をもって「福音の奥義」をあかししようとしていたのです。 そして、実際に、アガポが預言したことは成就します。ローマの総督ペリクスは、そのように異邦人の義援金を携えてエルサレムに上ってきた「パウロから金をもらいたい下心があった」のと、「ユダヤ人に恩を売ろうとして」パウロを2年間も牢獄につないだままにしておいたのです。 2年後にペリクスに代わってフェストが総督として赴任してきました。すると祭司長たちユダヤ人のおも立った人々は、パウロのことをフェストに訴えました。フェストはカイザリヤにおいて、パウロを訴える者たちとともにパウロを出廷させて、弁明の機会を与えました。その時にパウロはカイザルに上訴する意思を表しました。このことから、パウロが囚人としてローマに護送されていくことになっていきます。 その数日後に表敬訪問のためににカイザリヤにやって来たアグリッパ王に、フェストはパウロの件を相談しました。それで、パウロはアグリッパに対して弁明をする機会を得るようになり、アグリッパたちに弁明をしました。ました。その結末を記している26章28節〜32節には、 するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」と言った。パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。彼らは退場してから、互いに話し合って言った。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない。」またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに。」と言った。 と記されています。 使徒の働きにおいては、この後、パウロがローマに護送されて行った次第が記されており、最後にローマでの宣教の様子がまとめられています。 これらのことを見てみますと、パウロを支えていたのは栄光のキリストから委ねられた「福音の奥義」を知らせるという使命に対する自覚と、その働きへの志を起こさせてくださり、実現させてくださったのは父なる神さまであり、完成に至らせてくださるのも父なる神さまであるという信仰と、栄光のキリストに対する信頼でした。そうであるからこそ、パウロは牢獄につながれていても、「福音の奥義」を知らせるという使命に生きていました。そして、すべてを父なる神さまがキリスト・イエスの日において完成に至らせてくださることを信じて、その日を待ち望んでいました。 私たちは、パウロが宣べ伝えた「福音の奥義」からしますと異邦人として、今ここにおいて、栄光のキリストのからだである教会に連なっています。洗礼と聖餐という、イエス・キリストが定めてくださった聖礼典においてあかしされている贖いの恵みによって栄光のキリストと一つに結ばれ、それゆえにお互いに一つに結ばれています。この聖礼典は、イエス・キリストがご自身の十字架の死と死者の中からのよみがえりによって成し遂げてくださった贖いの御業から溢れ出る恵みを見える形で表し、栄光のキリストが信仰をもってこれにあずかる者たちの間にご臨在してくださって、その恵みによって生かしてくださると約束してくださっている恵みの手段です。 私たちは、このような意味で、栄光のキリストがご臨在してくださるキリストのからだとして、ここに存在しています。このような意味をもっている教会は、私たちが始めたものではありませんし、私たちが実現したものでもありません。父なる神さまが栄光のキリストにあって働いてくださって、私たちに志を与えてくださり、私たちを「福音の奥義」にしたがって一つに結び合わせてくださったものです。そして、福音のみことばにおいて約束されているとおり、やがてイエス・キリストの再臨の日には、すべての点においてきよめられたキリストのからだとして栄光の主の御前に立つものとしてくださいます。 |
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