![]() |
説教日:2003年4月6日 |
第三の役割は、 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。 というものです。これを直訳しますと、 地上を照らすために、天の大空で光るものとなれ。 となります。つまり、第三の役割では、「地上を照らす」ことが大切なことなのです。 第一の役割は、昼と夜とを区別することでした。また、第二の役割は、「しるし」、「季節」、「日と年」のためになることでした。このような第一と第二の役割は、神さまがこの世界を歴史的な世界としてお造りになったことと深くかかわっています。第一と第二の役割は、この世界の時間がもっているさまざまな意味にかかわって、その区切りをしたり、リズムを生み出したりしているものです。それは「歴史と文化を造る使命」を委ねられている人間の活動にとって大切な意味をもっています。 これに対しまして、「地上を照らす」ことにかかわっている第三の役割は、天体がもたらす「光の効果」とでも言うべき面を示していると思われます。これが具体的にどのようなことを指しているかについての記述はここにはありません。それで、これは実際に神さまがお造りになったこの世界を見て判断するほかはありません。そのようなこととしてまず考えられることは、この世界との関係という点から見たときの天体の中心である太陽が地上を照らすことによって、地が暖められるということです。 詩篇19篇5節、6節には、 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。 勇士のように、その走路を喜び走る。 その上るのは、天の果てから、 行き巡るのは、天の果て果てまで。 その熱を、免れるものは何もない。 と記されています。太陽からの光によって地が照らされて地が暖められることは、地上の生きものたちや植物の生存にとって欠くことができないものです。 また、太陽からの光による光合成は、地上の植物の生長に欠かすことはできません。 けれども、この第四日の御業とのかかわりでこれらのことを考えることに問題がないわけではありません。 これまでお話ししてきた創造の御業の記事についての見方にしたがって見てみますと、太陽の光によって地が暖められるということは、すでに、第一日の御業によって地に光があるようにされたことによって始まっています。それで、 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。 と言われているときの天体の「地上を照ら」すという役割に地を暖めることを含めることには問題があるのではないかと問われることになります。 また、植物は第三日の御業で芽生えて育っています。それで、光合成による植物の生長ということを、第四日の御業において、 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。 と言われているときの天体の役割に含めることにも問題があるのではないかと問われることでしょう。 確かに、ここにはそのような問題があります。けれども、この第四日の御業では、それまでにすでになされていたことに新しい意味が加えられて、その役割が与えられたという可能性があります。初めにお話ししましたように、神さまが、 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。 と言われて、太陽と月を中心とする天体の役割をお与えになったことは、これだけが独立している役割ではありません。私たちが住んでいるこの地との関係で天体に与えられている三つの役割は、私たちがそれを理解するために区別したもので、実際には、これら三つの役割を切り離すことはできません。これら三つに分類された役割は、この地との関係において、天体に与えられている役割の三つの面ということができます。その意味で、この、 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。 という造り主である神さまのことばによって与えられている役割は、ほかの二つの役割と密接につながって果たされるという、新しい意味をもつようになっています。 さらに、ここには、それまでにすでになされていた役割が、神さまの創造の御業の進展によってもたらされた新しい事態とともに、それが新しい意味をもって継続するようにされているという面があります。 その新しい事態ということですが、第四日の御業は、第一日の御業によってこの地に光があるようにされたということを踏まえているだけではありません。第四日の御業は、さらに第二日の御業によって大気圏が形成された後、地殻変動によって陸と海が分けられ、蒸発作用によって地が乾き、植物が芽生えるようになった後に、太陽と月を中心とする天体が、地に対して持つようになった役割を確立してくださったものです。そのようになるためには、それまで地を覆っていた水蒸気などが大気の循環によって晴れ上ることが条件です。それで、第四日の御業によって、最終的な大気の晴れ上りがもたらされたと考えられます。それによって、それまで十分に見えなかったさまざまな天体が地から見えるようになっただけでなく、より豊かな太陽の光が、地に注がれるようになったと考えられます。その点で、すでにある程度なされていた役割が新しい状況の中で、より豊かなものとなったと考えられるわけです。 神さまが天体にお与えになった第一と第二の役割は、この世界の時間がもっているさまざまな意味にかかわって、その区切りをしたり、リズムを生み出したりしているものです。それは「歴史と文化を造る使命」を委ねられている人間の活動にとって大切な意味をもっています。そのような人間の歴史と文化を造る活動は、時間的なリズムによって律せられていますが、そのような活動そのものと活動の環境を根底から支えているのは、天体、特に太陽から豊かに注がれる光です。この点に関しては、後ほどもう少しお話しします。 これまでお話ししたことは、いわば天体に与えられている第三の役割を物理的な面から見たものですが、これには、それに基づく比喩的な意味が考えられます。造り主である神さまが、 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。 と言われて天体にお与えになった役割は、地上を照らすことにあります。 ここで、天体が地上を「照らす」ことを表わすことば(動詞オールのヒフィール語幹)は、しばしば、私たちの歩むべき道を示すことを表わします。第四日に確立されたことは、物理的な光が地上を照らして、それを明るくすることです。それによって、後に神のかたちに造られるようになる人間を初めとして、地上に存在するものにとって、自分のまわりのものや出来事がよりよく見えるようになりました。特に、神のかたちに造られるようになる人間にとって、その光は自分たちが歩むべき道を示すようになります。これは物理的にも人間の活動にとって大切なことです。 聖書の中では、しばしば、このことが比喩的に用いられて、神さまが私たちが歩むべき道を照らして示してくださることを表わすようになります。 たとえば、出エジプト記13章21節には、 主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。 と記されています。また、詩篇119篇130節では、 みことばの戸が開くと、光が差し込み、 わきまえのない者に悟りを与えます。 と言われています。 そして、最終的には、主ご自身がご自身の民を照らしてくださることが示されています。イザヤ書60章19節、20節では、 太陽がもうあなたの昼の光とはならず、 月の輝きもあなたを照らさず、 主があなたの永遠の光となり、 あなたの神があなたの光栄となる。 あなたの太陽はもう沈まず、 あなたの月はかげることがない。 主があなたの永遠の光となり、 あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。 と言われています。また、ヨハネの福音書1章9節では、 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。 と言われています。ヨハネの福音書8章12節に記されているようにイエス・キリストご自身も、 わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。 と言われました。 そして、黙示録21章23節〜26節には、新しい天と新しい地において、これらすべてのことが最終的に成就し完成することが述べられています。そこでは、 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。 と言われています。 これらのことは比喩的に表現されているのですが、そのために、太陽と月を中心とする天体が地上を照らしていることが比喩のために用いられています。言い換えますと、造り主である神さまが、 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。 という役割をお与えにならなかったら、これらの比喩は成り立ちませんし、これらの比喩をとおして示されている神さまと私たちの関係において与えられている霊的な恵みを理解する手がかりもなくなってしまうということです。 最後に、これまでお話ししてきたことを踏まえて、神さまが天体にお与えになった三つの役割を全体的に見ておきましょう。 より広く見ますと、天地創造の第一日から第四日までの御業においては、この後に創造されるようになる生きものたちの生存にとって基本的に必要な環境が整えられています。 第三日までの御業によって整えられたのは、地に光があるようにされ、光とやみが分けられたたこと、大気圏が形成されたこと、地の隆起陥没によって陸と海が分けられたこと、地に植物が芽生えさせられたことなどです。これらのことは、人間だけではなく、すべての生き物にとって等しく必要な環境を形成しています。 これに対しまして、第四日の御業においては、少し意味合いが違っています。1章14節〜19節に、 ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。こうして夕があり、朝があった。第四日。 と記されている第四日の御業は、これまでお話ししてきたことから分かりますように、特に、天体の役割をわきまえ、さまざまな意味をもった「時」をわきまえている人間を念頭において遂行されています。確かに、第四日の御業においても広く生きものたちの生存に必要な環境が整えられたと言えますが、それ以上に、後に神のかたちに造られるようになる人間に特有の活動の場が整えられたと言えます。 そして、今日お話ししてきましたように、その第三の役割においては、神のかたちに造られている人間が歩むべき道を照らすという面があります。 1章27節、28節に、 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 と記されていますように、神のかたちに造られている人間は、「歴史と文化を造る使命」を委ねられています。 詳しいことは後ほどこの個所を取り上げるときにお話ししますが、この使命の大切さは、その歴史的な性格にあります。というのは、神さまは、この世界を時間的で歴史的な世界としてお造りになったからです。 生めよ。ふえよ。地を満たせ。 というこの「歴史と文化を造る使命」の最初の命令が、自分たちの子を生み、これを主にあって養育していくという歴史的な積み上げがあります。さらにそれが地を満たすまでに歴史的に継承されていかなければなりません。 このようにこの「歴史と文化を造る使命」には、自分たちの生涯を通しての時間的な積み上げがあるだけでなく、それが子々孫々にわたって継承されていくという歴史的な積み上げがあります。このようなことに対して、神さまは、すでにこの第四日の御業において、やがて神のかたちに造られるようになる人間が歴史的な使命を遂行するために必要な舞台を整えてくださっているのです。 これも後ほどその個所を取り上げてお話しするようになるときにお話ししますが、「歴史と文化を造る使命」を委ねられた人間の文化的な活動と、その時間的な継承による積み上げとしての歴史を造ることは、人間が神のかたちに造られていることに基礎をもっています。しかし、それだけではなく、神さまは、神のかたちに造られている人間が、さまざまな意味をもっている「時」をわきまえて文化的、歴史的な活動をするのにふさわしく、人の住み家である地を整えてくださいました。そのために、太陽と月を中心とする天体は重要な役割を果たしています。 その第一の役割は、昼と夜とを区別することでしたし、第二の役割は、「しるし」、「季節」、「日と年」のためにあることでした。このような第一と第二の役割は、この世界の時間がもっているさまざまな意味にかかわって、その区切りをしたり、リズムを生み出したりしているものでした。これに対して今日お話しした第三の役割は、そのような神のかたちに造られて「歴史と文化を造る使命」を委ねられた人間の活動そのものを支えること、特に、人間が歩むべき道筋を指し示すという大切な役割です。それは、文字通り、神のかたちに造られている人間が住んでいるこの世界のものごとを照らし出し、それがよく見えるようにすることですが、それがさらに、造り主である神さまご自身が私たちの心のうちを照らしてくださって、神さまのみこころの道を踏み行かせてくださるということをあかししています。 詩篇43篇3節、4節には、 どうか、あなたの光とまことを送り、 私を導いてください。 あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かって それらが、私を連れて行きますように。 こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする 神のみもとに行き、 立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう。 神よ。私の神よ。 と記されています。 |
![]() |
||