(第149回)


説教日:2008年5月11日
聖書箇所:マタイの福音書6章5節〜15節


 今日も、主の祈りの第4の祈りである、

 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

という祈りについてのお話を続けます。
 これまで、この祈りの背景となっている旧約聖書の御言葉として、創世記1章29節、30節に記されている御言葉を取り上げてお話しました。
 今日は、もう一つの背景となっていると思われることを取り上げたいと思います。
 すでにお話ししましたように、この祈りには「日ごとの糧」の「日ごとの」と訳されている言葉(エピウースィオス)をどのように理解するかという問題があります。この問題についてはすでにお話ししましたので繰り返しませんが、結論的には、「続く日のための」あるいは「来る日のための」という理解がいちばん可能性が高いと思われます。しかし、これと新改訳の「日ごとの」という理解は実質的には同じことになります。というのは、「続く日のための糧」を与えてくださいという祈りを朝に祈るとしますと、それは、実質的にはその日のための糧を祈り求めることになります。また、その祈りを夕方に祈るとしますと、それは次の日の糧を祈り求めることになります。いずれにしましても、1日1日の糧、「日ごとの」糧を、その都度、祈り求めることになります。
 このこととの関連で思い出されることがあります。それは、出エジプトの時代に、主がマナをもって荒野を旅するイスラエルの民を養い続けてくださったことです。
 マナのことは出エジプト記16章に記されています。1節〜3節には、

ついで、イスラエル人の全会衆は、エリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にはいった。そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」

と記されています。
 ここには、主がマナを与えてくださるようになったいきさつが記されています。このことが起こったのは「第二の月の十五日」であると言われています。出エジプト記12章2節に記されていますように、最初の過越のあったニサンの月がイスラエルの年の最初の月と定められました。その月の14日が過越の日です。イスラエルの民は第1の月の15日にエジプトを出ました。ですから、「第二の月の十五日」というのは、イスラエルの民がエジプトを出てから1ヶ月後のことであるということを示しています。
 また、このことが起こったのは「シンの荒野」においてのことであると言われています。エジプトを出たイスラエルの民の数について、12章37節、38節には、

幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。

と言われています。この「壮年の男子」に、女性と子どもたちを加えれば、優に2百万人は越えるという大変な数であったわけです。そこに「羊や牛などの非常に多くの家畜」もいたことを忘れてはなりません。そのようなイスラエルの民がエジプトを出てから1ヶ月が経ちました。その間に十分な食料は得られず、人も家畜も少しずつ弱ってきていたことは想像に難くありません。
 そのような状況にあったイスラエルの民が「シンの荒野」に入ったのです。2節、3節には、

そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」

と記されています。イスラエルの民が「つぶやいた」というのは、言うまでもなく、不信仰に基づく不平、不満を表すことです。そして、つぶやいたのが一部の人々ではなく、「イスラエル人の全会衆」であったということが、イスラエルの民の不安の大きさと、そのような中で主を信じる者がほとんどいなかったという、二重の意味での問題の深刻さを物語っています。


 イスラエルの民のつぶやきは、

エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。

というものでした。
 「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていた」というのは誇張された言葉であると考えられます。確かに、エジプトの奴隷の状態にあったイスラエルの民が飢えていたという記録が聖書の中にはありません。しかし、いつも「肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていた」というほどまでに食べていたわけではなかったでしょう。現状に不満があると、過去のことがよく見えてくるという心理の現れであると思われます。
 「主の手にかかって死んでいたらよかった」という言葉は、主のさばきの御手によって殺されていたらよかったということを表しています。これは、一つの見方では、あの過越の夜にエジプト人とともにさばきを受けて死んでいればよかったということか、あるいは、紅海でエジプトの軍隊が滅ぼされたときにいっしょに死んでいたらよかったということであると考えられています。
 また、「主の手にかかって死んでいたらよかった」という言葉は、今ここで飢えて死のうとしていることは「主の手にかかって」死ぬことであるという思いを表している可能性もあります。どうせ「主の手にかかって」死ぬのであれば、このような飢えにさいなまれて死ぬよりは、エジプトの地で死んでいたほうがよかったという思いを表しているということです。その場合には、主は自分たちを滅ぼすためにここに連れ出したというような思いが、イスラエルの民の中にあるということになります。
 実際、それに近い思いはすでにイスラエルの民の中にありました。紅海のほとりにおいてエジプトの軍隊の戦車が迫ってきたときのことを記している14章11節、12節には、イスラエルの民がモーセに、

エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。「私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。」事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。

と言ったことが記されています。
 イスラエルの民は、このような事態になるのであれば、エジプトを出ないで、奴隷のままでいたほうがよかったと言っています。これは、モーセに対して語られた言葉ですが、実質的には、主に対する不信を表すものです。というのは、イスラエルの民は、エジプトに対してなされた主のさばきの御業と自分たちになされた救いの御業を知っていました。また、主のご臨在の現れである雲の柱に導かれていましたから、ここまで自分たちを導いてこられたのは主であることも知っていたからです。ですから、イスラエルの民はこのように言うことによって、主が自分たちのためになしてくださった御業を否定しています。
 ご存知のように、この時は、21節、22節に、

そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。

と記されていますように、主が紅海を分けてくださったので、イスラエルの民は紅海を渡っていきましたが、イスラエルの民を追って海に入ったエジプトの軍隊は全滅してしまいました。そのことの結末を記している14章31節には、

イスラエルは主がエジプトに行なわれたこの大いなる御力を見たので、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセを信じた。

と記されています。
 しかし、そのすぐ後のことを記している15章23節〜25節には、

彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。その所で主は彼に、おきてと定めを授け、その所で彼を試みられた。

と記されています。

私たちは何を飲んだらよいのですか。

という言葉自体は、必ずしも不信仰の表れではないのですが、その前に「民はモーセにつぶやいて・・・言った」と言われていますので、これがイスラエルの民の不信仰の表れであることが分かります。イスラエルの民が紅海において主の御業を目の当たりにして主を信じたということも、一時的なことでした。しかし、この時も、主はモーセをとおして御業をなさってイスラエルの民の渇きをいやしてくださいました。
 これらのことから、イスラエルの民の不信仰の根深さをうかがい見ることができます。それはまた、私たちの現実であるということも感じます。私たちは、私たちの罪の贖いのために父なる神さまがご自身の御子をもお遣わしになったことを知っています。また、御子が十字架にかかってくださり、私たちの罪に対するさばきを私たちに代わって受けてくださったことを知っています。このことをとおして示されている父なる神さまの愛と御子イエス・キリストの恵みに触れています。そうでありながら、ひとたび試練の中に入りますと、救いを疑ったりします。また、主に従ううえでの困難に直面しますと、救われていない時の方が気楽であったというようなことを言い兼ねません。人間としての資質においては、イスラエルの民は私たちの現実を映し出す鏡です。
 いずれにしましても、16章に記されています、シンの荒野におけるイスラエルの民のつぶやきは、実質的に、出エジプトの出来事以来、主が自分たちになしてくださったすべての御業を、「揚げ句の果てはこのようなことになった」というように、全く無意味なものとして否定するものです。
 そうではあっても、主は限りない忍耐をもってイスラエルの民に接してくださいました。16章4節、5節には、

主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。六日目に、彼らが持って来た物をととのえる場合、日ごとに集める分の二倍とする。」

と記されています。
 4節に記されていますように、主は、

見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。

と言われました。このことが実際にどのようなことであるかは、これを聞いているイスラエルの民は理解することはできませんでした。実際に、このことが実現したときのことを記している13節〜16節には、

それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」

と記されています。
 14節にマナの降ったことが記されています。新改訳ではマナのことを記す言葉が「地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいもの」と訳されています。ヘブル語本文にはこのような細かい描写はなく、「地に降りた薄い霜のような薄いフレーク」というように言われています。
 また、31節には、マナのことが、

イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。

と記されています。この「マナ」はヘブル語では「マーン」です。「マナ」という言葉は、旧約聖書のギリシャ語訳である七十人訳の「マンナ」からきています。ただ、この出エジプト記16章では、七十人訳も「マーン」と音訳しています。このヘブル語の「マーン」は、先ほど引用しました15節に、

イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。

と記されている中に出てくる「これは何だろう」という言葉の「何だろう」という疑問詞「マーン」を受けています。

 彼らはそれが何か知らなかったからである。

と言われていますように、これはイスラエルの民が見たことも聞いたこともないものでした。実際に、マナはそれまでの、またその後の人間の経験を越えた食べ物でした。35節に、

イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた。

と記されていますように、主はそのような人間の経験を越えた食べ物をもって、40年の間変わることなく、イスラエルの民を養い続けてくださいました。
 先ほど引用しました16節に戻りますが、そこには、

主が命じられたことはこうです。「各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。」

というモーセの言葉が記されています。それぞれが1日分に当たる「一オメルずつ」取るようにと命じられました。また、その日のマナは次の日まで取っておいてはならないと命じられました。ところが、それに違反する者たちが出てきました。20節には、

彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。

と記されています。しかし、安息日のためには、その前の日に2倍の「二オメルずつ」を集めました。22節〜24節には、

六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。』」それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。

と記されています。
 ところが、これにも違反者が出ました。27節〜29節には、

それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。」

と記されています。このことは、安息日を守ることの大切さを教えていると理解されています。
 同時に、安息日の分に限って、マナは翌日まで取っておいても「臭くもならず、うじもわかなかった」ということに、また、安息日にはマナが降らなかったということに、マナが特別な意味で主が備えてくださった食べ物であるということが示されています。
 いくらマナがそれまでイスラエルの民が経験したことがない食べ物であるとしても、40年もの間、変わることなく、主が真実にマナを降らせてくださったのであれば、イスラエルの民はマナが降ることは当たり前のことと考えないとも限りません。それも、マナが安息日にも他の日と変わることなく与えられるということであったとしたら、なおさらのことであったでしょう。そのような中で、安息日の前の日に限って2日分のマナが与えられたこと、そのマナだけが次の日になっても「臭くもならず、うじもわかなかった」ということ、また、安息日にはマナが与えられなかったということは、マナは主が特別に備えてくださった食べ物であることの変わることのないあかしでした。
 とはいえ、民数記11章4節〜6節に記されていますように、やがてイスラエルの民は、マナに対しても苦情を言うようになります。
 このように、契約の神である主は40年もの間、変わることなく、真実にマナを降らせてくださいました。そして、優に2百万人を越えたであろうイスラエルの民を養い続けてくださいました。
 出エジプト記16章11節、12節には、

主はモーセに告げて仰せられた。「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。』」

と記されています。
 ここで主は、

 わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。

と仰せになりました。もちろん、主はイスラエルの民の心のうちにあることをすべて知っておられました。ですから、「つぶやきを聞いた」ということは、特別な意味で耳を傾けてくださったということを意味しています。実際、そのようにして、主はマナを備えてくださいました。
 しかし、そうであるからと言って、イスラエルの民が不信仰のゆえにつぶやいたことがよしとされているのではありませんし、よかったわけでもありません。ただその時の飢えが満たされるということだけを考えるなら、いずれにしてもマナが与えられたのであるから、よかったということになります。しかし、イスラエルの民の主に対する信仰の成長という点では、このことをとおしてイスラエルの民の信仰が成長することにはなりませんでした。
 もしイスラエルの民が困難な状況の中で苦しみつつ、なおも、あのエジプトと紅海における主の救いとさばきの御業やマラにおいて主が水を飲めるようにしてくださったことなどを覚えて、主がともにいてくださることを信じ、主の御手を待ち望んでいたとしたらどうだったでしょうか。その場合には、主がマナを与えてくださったことによって、その信仰はよりいっそう強められていったことでしょう。そのようなことを繰り返しながら、イスラエルの民の信仰はさらに成長していったはずです。そのようにして、主は信じる者たちを、試練をとおして、ご自身へと近づけてくださいます。
 しかし、実際には、イスラエルの民はマナをいただきつつも、試練にあうたびに主を試みる不信仰を重ねていきました。そして、ついには民数記14章22節、23節に記されていますように、主から、

エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。

という宣告を受けることになりました。
 また、先ほどの出エジプト記16章12節で主は、

あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。

と言われました。主がマナを備えてくださったことは、イスラエルの民が主を知るようになるためでした。主がご自身の契約の民とともにいてくださって、真実に支えてくださっておられることを知るようになるためでした。そのような目的のためには、毎日その日の分のマナを主の御手から受け取っていくことが大切なことであったのです。これは、

 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

という主の祈りの第4の祈りを祈ることにも当てはまることです。私たちも毎日その日の糧を主の御手から受け取ることによって、主が私たちとともに歩んでくださっておられることを感じ取り、ますます主に信頼して歩むように導かれています。

 


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