メモ1

「正字」と云ふ語の孕む問題

「旧式明朝印刷体」と「明治欽定かなづかい」

そこまでして正字正假名と云ふ語を忌諱したがるのかが分らない。それでも正字と云ふ觀念は持ち合せてゐるみたい。

正字と云ふ語が、ある特定の書體の字形・字體だけに限定され、それ以外の書體に基づく字形・字體があたかも正ならざるものとされる事を危惧してゐるのだらうか。

異体字使用

舊字體に就いて。

明治時代以降における活字印刷による発行から当用漢字表・及びそれ以降の常用漢字表が発表される以前までの間、活字表記体として使用されていた康熙字典で使用されている明朝体を元に改良された字体。

旧字旧かな遣いの人が言っている「正字」といってしまうと、いわゆる康煕字典体(群の正字が羣になっていたり、康煕帝の名(玄)の文字が欠けていたり)を表す言葉になってしまったり、どれを正字とするのかでまた解釈が分かれてしまいます。私的には「当用漢字表制定以前、日本の法令で使用されていた旧活字体」とか少し長くなるけどでいいんじゃないか

つれづれなるままに…

石井式には若干の不満が残る。平仮名と漢字との絆を構成する「草略原理」への視点が欠落している様に見えるから…なのだろう。いわゆる「正字」の問題点は、江守賢治氏や杉本つとむ氏も指摘していた筈。この点は仮名についても同様で、西尾先生の仰せ「仮名の新旧論者はどちらも〈整頓主義〉なのです」(No.220)は仮名遣いの問題に留まらず、字体整理の問題とも通底する筈。

漢字整理事業が字体の新旧を分かつ様に、仮名字体もまた正式に分かたれた(明治三十三年)。ー先ず仮名字体を統一する事により、草略原理の柔軟性が失われる。すると仮名は実用面で死後硬直状態に陥り、ひいてはそれが次の漢字整理段階にも役立つ事になる。その証拠に、数度にわたる漢字整理事業は正字・俗字等々の分別や新字体の創作が主で、草略体(草書・行書)の位置付けに関する事は殆ど顧慮されていない。

漢字整理事業の特徴は歴史歪曲にある。現代の器に過去を押し込めようとする。ワープロが出てきた頃は異体字の取り扱いを正体字に「翻訳」する手法を採ろうとしたらしいが、これと似た事が活字時代にも起きた。特殊な字が出てくる度、金属活字を新たに鋳造するのは骨が折れる。「字体・書体は文字の影」…と私は思っているから、表層構造としての字体を整理する事には必ずしも反対しない。しかしー表層構造に目を奪われて、深層構造としての文字概念を無視した点には大いに問題があると思う。ここに歴史歪曲の根本原因があったのではないか。

白川静著『漢字百話』中公新書 p.236

文字としては、本来活字体の正書などあるべきではない。活字は一種の装飾字にすぎないものである。

いまどきの漢字事情

起稿の動機
文字の本質、書字のあり方について、また「字体」「字形」の区別、「旧(新)字体」や「本字」「正字」「俗字」などの語義について、深く追求することなく、「要するに辞書にある『旧字体』を拾えばよい」として、本格的な議論には至らなかった。
そして種々の資料を渉猟する過程で、漢字への認識不足もまた、戦後日本のゆらぎを象徴する事象であることを再認識する。
楷書(手書き)と活字の異同
つまり当用漢字制定の基準の一つは、康煕字典体(活字体)と手書きの楷書とを、できるだけ統一しようというものだった。
もっとも明治以降の日本の辞典編集者や活字製作者がすべて無批判に康煕字典体を受け入れたというのではない。
要するに、伝統的な楷書、康煕字典、明治以降の日本の活字、そして戦後の当用漢字以降の字体の関係は、とうてい一筋縄では説明のできない入り組んだ関係にあり、これが関係者の悩みの種となっている。
ただはっきりしていることは、康煕字典を神聖視して、これに繋がる明治以降の漢和辞典の活字体を、唯一の「正字」とする考え方は短見に他ならず、生きた文字の伝統から乖離するということである。

漢字に就いての四つのレイヤーとその入り組んだ關係。

漢字の正しさに就いて語られる時に紛糾するのは、この四つのレイヤーの無知や混淆だけでなく、どのレイヤーの話なのかを、互ひに明かにしない事が一番の原因であらう。

先づ自身と相手がどのレイヤーに屬するか、またはどのレイヤーを意識してゐるのかを確認する事。