言葉は生き物である

人が「言葉は生き物である」と云ふ譬喩を用ゐる時、果たしてどのやうな生き物を念頭に浮かべられるのか。

「言葉は生き物である」しかし言葉には肉體のやうな遺傳と云ふ形式が禁じられてゐる

  1. 言葉は變化するものだ。
  2. だから、言葉は好き勝手に變化させても良い。

この「だから」は、非論理的な「だから」である。

言葉が變化するものである事は私も認める。「言葉は生き物である」と云ふメタファも認めよう。しかし、生き物を遺傳子操作か何かで好き勝手に作り替へ續けたら、終ひには生態系がをかしくなるであらう。生き物が進化する事と、人間が他の生き物の進化を操作する事とは、區別されなければならない。同樣に、日本語の表記が萬葉假名から歴史的假名遣まで變化してきた事と、戰後の國語國字改革で表記が變化させられた事とは、區別されなければならない。

釣瓶雜記(2003年1月)

そもそも「言葉」といふ生き物にとつて、首輪は必要だらうか

大和但馬屋日記 - とある誤解を解く試み

言語といふものは、自然に生まれたものであるが、生きものであるかぎり、あるルールに従つてゐるのである。生きものだから変化するのではなく、生きものだから正確に運動するのである。それを個人の勝手で使つておいて、言葉は変化するとうそぶくのは、本末が転倒してゐる話である。

大和但馬屋日記 - 言葉は疲労するか