正假名遣と現代かなづかいの切り替へ

周圍の人間が皆「現代仮名遣」を使つてゐる中で、一人だけ正假名遣を使つてゐる事を考へてみる。その人は、正かなの文章を書く時と、「現代仮名遣」の文献を讀む時とで、態度を切替へてゐる。さう云ふ「切替へ」が生ずる時、その人の生き方として「正かな」はどのやうな位置にあると言へるのだらうか。