『 いろいろ言いたい広場 』

2001/01/06 「新年の挨拶」 玉田さとみ

広報担当の 玉田さとみです。

いよいよ21世紀がスタートしました。息子がろう児だとわかって

わずか1年の間に、ろう児がいかに虐(しいた)げられた環境にあ

るかを知り愕然と致しました。手話という立派な言語があるにもか

かわらず、自分たちの言語で教育を受けることができない、または

そのような言語があることさえ知らされない子供たちが大勢いる。

日本のろう児を取り巻く環境は、まるで発展途上国といえます。

更に、勉強不足のマスコミは、日々偏った情報を垂れ流す始末です。

当会が発足した昨年8月から、わずか半年の間に、

フジテレビ「アンビリバボー」、

     「お母さんの声が聞こえる 〜人工内耳の子どもたち〜」
                    (制作・テレビ長崎)

テレビ朝日「ニュース・ステーション」と、

ろう児をもつ親にとっては心が痛む番組が、何度も放送されました。

私たちは、権力もなければ教育関係者でもない“ただの親”です。

でも、誰よりも強くろう児たちの未来を明るいものにしたいと思っ

ています。どうか、みなさんも力を貸して下さい。これから始まる

新しい年が、ろう児にとって良い年となりますよう心から願って、

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2001/01/04 「新年の挨拶」 岡本みどり

「全国ろう児をもつ親の会」会長の岡本みどりです

皆さん、明けましておめでとうございます

昨年の8月に会を発足し、HPを立ち上げてから

既に1万を越えるアクセスがあり、驚いています

本当にありがとうございました


 今年も「選択肢のあるろう教育を目指して!」

そして「バイリンガル教育を目指して!」

活動を続けたいと思っております。

皆さんもこのHPを通じ是非参加してください

今年もどうぞよろしくお願いいたします

2000/12/28 「聴覚障害者たちの論争の根」 ちはる

昨日の投稿を読ませていただいて、驚きました。

昭和初期の京都聾唖学校の様子の中にありましたが、

「口話部生徒には手話部生徒を極端に悪く印象づけるように、

 先生が教育して上級生を軽べつさせるように仕向けること」

なんてことを教育現場で教えてたなんて...。

過去形にしていますが、どうも今でも似たようなことをしている

ようですね。



この内容を読んでなるほどと思いました。

今の聴覚障害者たちの中に手話派と口話派があって、

意見が食い違い論争を引き起こしているのは、

こんなところから来ていたんですね。

学校の中で手話を使う仲間を軽蔑することが良しとされていたら、

それをずっと引きずってしまう大人がいても不思議ではありません。



ストレートに意見を述べさせていただきますが、

『これはろう教育関係者の大罪です!』

手話を大切にしてきた聴覚障害者から訴えられても

おかしくない内容です。

もっともっとこうした内容を公開していくべきです。

そしてそれらが改善されるような抜本的な改革が必要だと思います。

2000/12/15 超おすすめ『手話ビデオ』

『手話ジャーナル』

他の言語を学ぶとき一番大切なのは、

日本語を忘れてその言語で考えることです。

手話を勉強するときも全く同じです。

そのような観点でつくられた手話ビデオというのは

なかなかありません....。

この手話ジャーナルは字幕はありません!

内容を書いた冊子はありますが、本当はそれも見ずに

ただひたすらこのビデオを見るのが良いのではないかなあと思います。

見ているうちに次第に意味がわかってきますから。

ともかく手話を身につけるために必要なのは、

「別の文法を持った別の言語だ」ということをしっかりと

知っておくということではないかと思います。

ろう者に会うチャンスがなかなかない方、こうしたビデオ教材を

使ってみてはいかがでしょうか?

初心者の方 : 手話ジャーナル 初級教材 No.1〜2

上級の方  : 手話ジャーナル 1〜11
        別冊手話ジャーナル

2000/12/21 「希望のもてる将来像」  ろう児をもつ母

「ろう者によるろう児のためのろう学校」という内容がありましたが、

我が子にとっても絶対必要です。是非とも今のろう学校がそうなって

欲しいと思います。聞こえる先生だけでは聞こえない子どもが自分の

将来に希望をもつことは難しいですし、聞こえる人が使うぎこちない

手話では、あらゆる学科の勉強など教えられるはずがありませんから

ね。


 しかしろう者ならだれでもいいかというと必ずしもそうでもないよ

うに思います。子どもが通うろう学校では、日本手話が十分にできな

いろう者の方が教師として働いています...。口話教育によって生

み出された、「ぺらぺらとしゃべるだけの方」や「ろう者社会に入ら

ず聴者社会の中でのみ生活している方」だと、聞くことや音声を発す

ることを要求したり、聞こえる社会への同化をことさら強く求めたり

するからです...。


 最低限必要なのは、日本手話を使いこなすことができ、ろう文化・

ろう社会に帰属している方(そのことに誇りをもっている方)ではな

いかなぁと思います。でもあまりに数が少なすぎてろう者としての意

見を言えずにいるのかもしれませんし、もしかすると聞こえる教員に

気に入られないと生き残れないと考えているのかもしれません。その

意味で、ろう学校においては教員の少なくとも半分以上はろう者であ

って欲しいと思います。


 我が子のために必要なのは、「なることのできない聞こえる大人の

将来像」を与えるところではなく「魅力があり、希望の持てる聞こえ

ない大人の将来像」を与えてくれる場だと思います。

2000/12/15 超おすすめ『手話ビデオ』

おすすめ『手話ビデオ』のお知らせ
ろう児をもつ親やろう学校の先生向けの「手話入門ビデオ」です
環境ビデオのように毎日何気なくこのビデオを見ていると
子ども達の手話が見えてきます
ろう児との関わりでまず大切なことは
おとなが手話を覚えて使う事よりも
子どもが何を言っているかを読みとる事が大切です

お父さん、お母さん、ろう学校の先生
まず、自分が手話で話すことよりも
子ども達が何を言っているのかを読みとろうと努力して下さい
それが出来れば子ども達は信頼してくれますよ

視覚言語『日本手話』を話そう  全5巻
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
監修、指導:(社)東京都聴覚障害連盟
講師:米内山明宏
出演:日本ろう者劇団

各巻45〜50分/カラー/各巻3800円
(全5巻 19000円税抜)

申し込み先
(社)東京都聴覚障害連盟
TEL:03-5464-6055
FAX:03-5464-6057

2000/12/09 海外から見た日本のろう教育 

          米国在住のろう者の方より

アメリカ西海岸から投稿しています。

ろう児をもつ親として、子どもにもっとも適した教育を日本で行いたいと願っていま

すが、日本のろう教育を受けてこられたろう者の方で、現在米国におられ、客観的に

日本のろう教育の現状をみることのできる方からご意見を伺うことができましたので、

掲載させていただきます。


Q;1)米国のろう教育と日本のろう教育とを比較して

    何が違い、何が問題だと思われますか?


A;違いはまず、文化ですね。(文化の影響が大きい。)しかし、米国は聾者の存在

  を認めている。つまり、聾者の言語は手話であって、また、障害者と言うよりも

  民族の1つと考えているのです。ですから、教育にしても、言語や民族なりに考

  えれば当然、それなりに合わせた教育が大切であって合理的です。そう言うこと

  で聾者対応教育ならそれを知り尽くしている(例えば聾者を教育するためには、

  どうやって応答し、理解できる方法は?とか、)聾者が立ち上がって決めるべき

  です。で、健聴者が聾者の言語や民族を無視して口話教育を強制するのはまった

  く、聾者と聾者の文化、民族、言語を減滅するようなことではないですか。「教

  育とは何か?」を考えると「知恵や知識などを教えて育つ。」ではありませんか?

  なら、口話を訓練させる事が知恵や知識を育つものでしょうか?学校ならでは教

  育する場所であり、聾者に教える内容を一番ハッキリと伝わる方法は聾者の言語

  である手話が一番でしょう。よく考えればあたりまえでしょう。


Q;2)日本のろう児をもつ親に対して希望することはありますか?


A;ろう児を持つ親にもそのろう文化を受け入れてその親にも手話を覚え、聾者文化

  を理解し、その子供にそれなりに対応して欲しいと思います。私の一番の願いは

  ろう児を持つことを悲しんではならない事です。何しろ、ろうの世界があり、素

  晴らしいものですよ。


Q;3)日本のろう教育関係者に望むことはありますか?


A;それはただ、ろうの文化を知り尽くし、手話を使って教育する事です。



日本のろう教育の現状についてもっと多くの方に知っていただき、それが世界的にみ

てどうなのか、何が必要なのかといったことについて今後もいろいろな方に伺ってい

きたいと思っています。また、こちらにあるろう学校を見学し、校長先生とも話をす

ることができましたので、次の機会にでも投稿させていただきます。

2000/12/08 「国立特殊教育総合研究所の文献」について

                     ボンジュル

>2000/11/15 「国立特殊教育総合研究所の文献」 うめとも

> 国会図書館にあった国立特殊教育総合研究所の文献にこんなすごいも

> のがありました。

> これは「聴覚障害児の言語教育における手指法の活用と社会適応の研

> 究」(研究代表者菅原広一 平成元年3月)の中の「聾教育における手

> 指メディア活用の研究 手話の位置づけを中心として」(小田侯朗)の

> 内容です。日本手話が言語であることを国立特殊教育研究所の研究者が

> 既にはっきり認めており、バイリンガル教育を含めて自由に聾教育はそ

> の可能性を模索すべきだと提言しているのです。



正直に言わせれば、「この論文がすごいですか?」と疑問符.....。



国立特殊教育研究所で務めておられる小田侯朗さんのことは昔から知っており、

また、いろいろな論文も知っていて、一部読んだことがあります。今回の論文に

ついてはまだ読んだことがありませんが、10年以上前の論文ですね。実際に視

察したのはもっと古く12年以上前の話になると思います。



この論文の出現で、ろう教育の何が変わったか? ろう学校の何が変わったか?

ろう社会の何が変わったか?それら展開を調べてあるのでしょうか?実はですが、

具体的な展開が全然出ていません。



この論文が難しすぎた?

国立特殊教育研究所には、ろう学校教師を対象とした定期的な研修が行われてい

ると聞いています。この論文を書いた本人も、特に、ろう教育に関する研修や大

会に呼ばれて、全国各地へ回って講演していますから、内容が難しかったかどう

かは関係なさそうですね。



でも、何も期待効果が現れていません。一体なぜでしょうか?ろう教育に関わる

ろう者の多くは、見向かないのか?それが事実だったら、見向きしないとはなぜ

でしょうか?

2000/12/06 インテグレーションの恐ろしさに関して

                  インテ経験者 招き猫より

このたび、初めて投稿させていただきます。私は20代後半のインテ経験者

です。このサイトを見て世の中は変わりつつあるのだと感じました。特に親

御さんの意見・投稿を見て思いました。


 「いろいろ言いたい広場」に娘さんのことを投稿された方のインテグレー

ションの恐ろしさを読んでかつての私が経験したこととまったく同様のこと

が書かれており、本当に身につまされるものばかりでした。



 私は小学部3年まで聾学校に通っておりました。そこでは教師たちの問題

もあり、また同級生からのいじめもあり、聾学校そのものに嫌気がさし、自

らの希望で地元の小学校にインテしました。だけど、それが間違った選択で

あると言うことを知るのはその時は知る由もありませんでした。今だからい

言いますが、「聾学校の方が断然良い!!」と。現に今居る聾学校が仮に良

くなくてもいろいろな聾学校を見て回ってこれと言う所に替わっても良いじ

ゃないですか?聾学校に行くことに関してもっとこだわっても良いじゃない

ですか?聾学校での思い出の中では先ず幼稚部の時は言われる事が解らなく

て叩かれる事はしょっちゅうでした。発音が正しく出るまで何時間も座らさ

れたりもしました。それは、大抵の方も同様でしょう。



 次に小学部の時ですが、大抵は怖い顔した親が後ろの席で構えている(爆)

など等いろいろありますが、今でも頭に焼き付いて離れない1コマがあるん

です。それは手話に関することです。

 ある日、家でテレビで母の通訳(?)により栃木県のある聾学校で手話を

使って勉強していると言う話を聞きました。それを翌日聾学校の授業の時に

手話のことが話題になった時に持ちだしました。そしたら、先生はこう言っ

たんです。「あんただけが栃木へ行け!!」と。これを言われた時、私は聾

学校の中に漂う変なものを感じました。「手話を使うのは頭の悪い人だけだ」

「聴こえないのはだめだ」「聴こえる人のようになれ」と言うようなのを。

未だ、何も染まっていない年頃であった私はその教師の言うことを変に思い

つつも手話を否定して聴こえる人のようにあるべきだと思い込んでしまいま

した。ただ、教師の対応や同級生のいじめが限界にきたため、比較的のんび

り(ほんまかいな?!)できた地元の小学校に変わりたいと親に訴え、晴れ

て(?!と思った)4年生からインテしました。だけどだけど!!それは苦

痛の始まりであったんです。内容は「インテの恐ろしさ」と全く同じです。

いじめにも会いました。担任の教師の無理解によるクラスメイトのトラブル

などがあり、教師からもクラスメイトからも聾としてのプライドを傷つけら

れました。そこでも、周囲の圧力からか「聾者は健聴者の下にいるべきもの」

と思わされてきました。結局、受身でしか行動できない自分になっていって

しまいました。

 それっておかしいですね。どっちに行っても良い環境でないということは。

プライドをどこに行っても傷つけられるだけとは・・・。

ただ、幸いなるか家庭教育面では元聾学校教師である方から個人的に手話を

使って勉強を教わっていたんです。その教師は聾手話が出来る方でした。私

の記憶によると口パクで説明された記憶がどうもないんです。手話でされて

いた様に思います。(母に聞くと身振りだったんちゃうの?って言われます

が、身振りにしてはきちんと整然と説明できているから手話でしょう。)そ

のおかげでしょうか話の内容がよく掴めました。その手話による勉強の時に

日本語の使い方、意味の説明を手話を交えてしてくれました。新しい言葉の

説明も手話やリアルな絵によるビジュアルなものでした。今でも頭に残って

います。



 手話は本格的に勉強し始めたのは中学に入ってからです。きっかけは難聴

学級の担任から「大人になったら必要だから手話を勉強しましょう!」とい

う言葉があったからです。聾の後輩も居ましたから直ぐに覚えました。聾同

士で喧嘩らしい喧嘩も出来るようになりましたし、同じ立場ならの悩みなど

を話すことが出来るようになったのが良かったです。それと同じ頃に母が手

話を覚え始めました。(注:対応手話です。母いわく聾手話はあまり読めず、

頭の中で文章にならず、また絵がかけないからなかなか難しいとさ。今じっ

くり教えている所です。)そして、その頃から手話があるのが当たり前と言

った感じになりました。テレビの通訳から日常の世間話まで手話で話してく

れるようになりました。それからか、聾学校時代に抱てしまった手話に対し

て抵抗感は無くなりました。ある意味での聾としてのプライドを取り戻せた

様な気がします。



 当然のことですが、他の聾の子供を持つお母さん達の中には手話を遠ざけ

口話にこだわり、それだけで話す方がおられましたが、何となく心の距離を

感じていました。(今でも感じますよ。)そんな親をもつ聾の子達はどんな

気持ちで毎日を過ごしているのだろうかと思わずにいられませんでした。他

人でも心の距離を感じるというのに。親子がこんなことで心の距離感を持っ

てしまうのは悲劇ではないでしょうか?



 世の聾児をもつ親御さんへ!聾の子供と豊かな家族の絆を結ぶために聾手

話を身に付けてください。本当に聾としてのプライドの保てる環境にしてい

ってください。

 私自身、結婚して子供が出来たとしたら、聾・健聴のどちらであったとし

ても手話で育てていきたいです。親自身が聾ですから・・・。聾としてのプ

ライドを子供に伝えたいです。自分の子供だけではなくこれから生まれてく

るだろう聾児たちにも。

2000/11/25 「GC講演会」  PRETTY

 本日(11月23日)、京都にて「スウェーデン・バイリンガルろう

教育の実践を学ぶ−アダムスブックはどのようにして作られたか」

という講演会(主催:全日本ろうあ連盟日本手話研究所ろう教育研

究部)がありました。

 その講師、グニラ・クリスターソンさん(女性、スウェーデン

人?)のお話の中で、個人的になるほど…と感じた事です。

 「大切なことは、コミュニケーションが発達の鍵であること。あ

なたが学ぶことのできる言語を、そして今学んでいることを話し合

うことができる言語を持たなければならない」

(アダムスブックとは、スウェーデンのマニラろう学校の元教師で

現SIH(国立障害児教育研究所)のグニラ・クリスターソンさん

が作成した手話でスウェーデン語を教えるための教材)

2000/11/24 「ほんとびっくりですね」  たけちゃんママ

 初めてこのページを見せて頂いたのですが聾学校で手話を使えない学

校が沢山あるということにとても驚き、また悲しくもなりました。悲し

いことに聾学校は県立なので行きたい学校を選ぶことが出来ないんです

よね。

 私のかわいい長男のたけるは半年のころから奈良聾学校に通っていま

す。住所は三重県なのですが最初に診察を受けた病院が奈良だったとい

う事もあって奈良聾学校の早期教育相談?(通称ひよこ組)に通ってい

ます。以前までは近辺の他府県の生徒も受け入れてくれていたようなの

ですが、来年度からはそんなことは許されなくなってしまって、来年幼

稚部にあがる前に引越しをするか、三重聾学校に行くか今悩んでいると

ころです。

 学校を選ぶのってすごく悩みますよね、その子の一生が学校によって

大きく左右されるように感じて・・・そんな時このページをみて「あ、

よかった、私達はまだ恵まれてるんだ」って思ったんです。奈良も三重

も手話を大切に考えてくれているんです。そりゃあ、しゃべる事ができ

たら社会に出てからも困らないんじゃあないかなあとは思います。でも

話す事よりもっともっと大切な事があるのに・・・

 手話を使える子って話せなくても手でいっぱいお話してくれますよ。

遊びも広がるし気持ちも通じ合えるし、いきいきしてます。子どもが子

どもらしく生きていける場をつくってあげないとかわいそうですよね。

口話だけの教育なんて間違ってます!

2000/11/17 「国立特殊教育総合研究所の文献」(2) 山羊

うめともさんが紹介された

「聾教育における手指メディア活用の研究 手話の位置づけを中心として」

(小田侯朗)の続編とも言える?小田氏の論文です。



「わが国の聾教育におけるトータルコミュニケーションの理念と方法に関す

る一考察」平成2年2月 国立特殊教育総合研究所 研究紀要 第17巻



以下、「結語」より抜粋:

 TCは「聞こえないこと」と「聞こえること」を同等の立場におこうとし

た。そしてバイリンガル教育は聞こえないことを前提にした積極的な成功モ

デルを示そうとしている。さらに聴覚・口話法は「きこえること」に近づく

モデルをさがし続けている。



ご希望の方は、FAX番号を明記して、下記まで。

o-yagi@ztv.ne.jp

2000/11/16 「ろう教育はかやの外?」 ろう児をもつ親

最近教育改革という言葉を良く聞きます。

「ゆとり」とか「自主性を重んじる」とか「詰め込み型の見なおし」などなど

様々な意見が出されています。

 それ自体はとても望ましいことだと思うのですが、ろう児を取り巻く環境は

どうでしょうか?教育白書等をみてもあまり考慮されているとは思えません。

障害児を地域校で受け入れるための入口を広くするといったことが発表されて

いましたが、ろう児にとってのインテグレーションは百害あって一利無しとい

ってもよいほど抑圧状態を強いることですので、ろう教育としては後退したの

ではないかとすら思います。

ある時期ろう学校もインテグレーションを勧める傾向がありましたが、その多

くが抑圧状態に耐えかねてろう学校に戻って来ている現状をみて、ろう学校も

あまりインテグレーションを勧めなくなっているにも関わらず...。

 日本の教育改革において、ろう児というのはどうでもよい、かやの外の存在

なのでしょうか...。もっとろう児の教育についても真剣に考慮して欲しい

です。

2000/11/15 「国立特殊教育総合研究所の文献」 うめとも

 国会図書館にあった国立特殊教育総合研究所の文献にこんなすごいも

のがありました。

 

 「日本手話は手の形・動き・そして位置などを巧みに利用した関係表

現をもつ言語であり、日本語とは異なった独自の体系をもつものである

と言える。」

 「『諦め』や『忍耐』のもとに安定した自己像ではなく、『自信』と

『積極性』をもった自己像をいかに形成していくかの問題である。この

積極的なアイデンティティこそ、より広い社会への適用を容易にさせる

力となる。日本語の十分な獲得をその基礎におくものが一方におり、他

方には手話を含めた制限の少ないコミュニケーションをその基礎におく

ものがいる。そうした現実にはこれらの間に無数の立場が存在する。

 以上、母語という概念を中心にしながら手話が聾者とどのような繋が

りをもつかを考えてきた。手話が聾者にとって母語か否かといった二つ

の対立する意見は、それぞれの理想的な条件のもとではいずれも成立し

うる考え方である。十分な聴覚保障がなされ、日本語の獲得に障害がな

い環境が保障され、社会が彼らを正当に受け入れる場合、日本語は彼ら

にとって第一言語として十分なものとなる。また手話がそれ自体として

のみならず、日本語にも対応した豊かな表現力、記録性等をもち、健聴

者も含めた社会での手話によるコミュニケーションが十分に保障される

なら、それは聾者にとっての第一言語となりうる。さらにこれらの条件

が整うなら手話は日本語の、日本語は手話の獲得にとって十分な基礎と

なる。

 しかし現実にはこれらの条件は満たされておらず、聴覚保障も手話表

現の有効領域も十分とはいえない。そしてこれらのギャップをうめるの

が教育であり社会の受容的な変化である。障害の発見から始まる早期の

聴覚活用と保障工学等により、音声言語を基本とした日本語の習得と使

用の可能性を追求しているのが聴覚口話法であるなら、メディアの統合

と一般社会の受容的な変化の可能性に基づき、より豊かなコミュニケー

ションの実現を目指すのがトータルコミュニケーションであり、手話が

聾という状況に本質的に関わる豊かな言語であることを前提にして、積

極的なアイデンティティ確立と社会参加を目指すのがバイリンガル教育

といえるかも知れない。」

 「聾教育はもっと自由に可能性を模索する時期にある」



 これは「聴覚障害児の言語教育における手指法の活用と社会適応の研

究」(研究代表者菅原広一 平成元年3月)の中の「聾教育における手

指メディア活用の研究 手話の位置づけを中心として」(小田侯朗)の

内容です。日本手話が言語であることを国立特殊教育研究所の研究者が

既にはっきり認めており、バイリンガル教育を含めて自由に聾教育はそ

の可能性を模索すべきだと提言しているのです。



 この文献を入手したい方は

    umetomo@syd.odn.ne.jp

宛にお名前とFAX番号をご連絡下さい。 

2000/11/13 「川崎聾学校の敵前逃亡?」 神奈川在住ろう児の父

 11月12日、日曜日 神奈川県川崎市に於いて、「第7回聴覚障害

教育を考える神奈川フォーラム」が開催されました。

 川崎市を中心に活動するスマイルフリースクールの代表の方などがパ

ネラーとしてパネルディスカッションも開かれ、聾教育について活発な

議論が交わされました。

 ところが、この集会にはパネラーとして地元川崎聾学校の教員が出席

予定だったのですが、集会の直前になって突然、出席を断ってきたとい

うことでした。これに対しては主催者の方も大変お怒りで、休日にもか

かわらず参加した140名ほどの聴覚障害者や親達は川崎聾学校のあま

りの無責任な態度にあきれかえっておりました。

 県や教育委員会も後援して、聴覚障害教育について関係者が議論を深

めるための貴重な場となっているこの集会に対して、今日の川崎聾学校

の対応は余りに無責任と言わざるを得ません。川崎聾学校は現在でも聴

覚口話法によって教育を行っている聾学校ですが、残念ながら、今日の

対応は公開討論の場から敵前逃亡したとも受け取られかねません。

2000/11/09 「日本のろう教育は国連標準規則違反」 ろう児をもつ親

 1993年に出された国連での基準規則には「各々の民族や社会の中で、

ろう児に対する教育に手話を用いるように、考慮すべきである。」とはっき

り明記されています。

 手話の使えない教員が教えている日本のろう教育は「国連の基本規則に反

する行為」を行なっているわけです。ろう児の手話言語を奪い人間教育すら

まともにできない音声による教育を行っているろう学校。このようなろう児

に対する人権侵害を世界に訴える方法はないものでしょうか。

2000/11/08 「日本におけるろう教育の歴史」 ろう児をもつ親

「シリーズ 福祉に生きる 佐藤在寛」(清野 茂著 大空社)という本を読ん

で、日本において口話法を推し進めた川本宇之介が書いたとんでもない内容を

目にしました。

「..聾唖者の数は少なく、正常者の数は多い。少ない数の為に、多い数が犠

 牲にならねばならぬというのは、古今東西未だに例のないことである..」、

「少数者は多数者の犠牲になるのもやむなし」...。


すなわちろう者は聴者に合わせなければならないというまことに自分勝手な主張

ではないですか。口話法というものはこうした「強者の論理」を土台にして打ち

立てられた身勝手な方法であることを知っておく必要があると思うのです。



口話法全盛期でとんでもない労力をかけて口話を教えていた昭和初期ですらしゃ

べれるようになった人について手話の素晴らしさを知っていた在寛はこのように

書いています。



「ラジオで放送させたりするいわゆる看板生徒の中には口話を上手に用いて健聴

 者に近い成績をあげるものもいるが、これは、せいぜい2、3割で他の7、8

 割の犠牲者はどのようにして救おうとするのだろうか。いわゆる看板児童、秘

 蔵弟子といわれる子どもも普通の子どもとは全く同じとはいえない。聾唖教育

 は金持ちで時間のある家庭の子どもだけを教育するわけでもないし、天才教育

 でもない。」



今やその割合は更に悪化していると見るのが普通です。日本においていかにろう

者の言語である手話を奪っていったか、どういう思想のもとに聴覚口話法が台頭

していったのかがわかってきた気がします。さらにこうした歴史を学びつつ今の

ろう教育を改善していくために生かして欲しいと切に願います。そして今現在そ

うである「ろう教育の暗黒時代」を一日でも早く抜け出して欲しいと思います。

2000/11/03 「野生児の伝承の実態」 手話修行中の2児の母

野生児については、まだまだ検証中というところで、授業の題材にする

にはふさわしくないと考えます。ちょっと文献を今思い出せないので、

ここで書けませんが、ヨーロッパで同じように野生で育った男の子につ

いて、「教育を受けなかったからしゃべれなかった」のようにずっと言

われてきたけれど、当時の社会の風潮から、知的障害がある子が捨てら

れて、奇跡的に生き延びて保護された、と考えるのが妥当ではないか、

という精神科医のコメントを読みました。



それにしても、ろう学校の先生も、さまざまなのですね。

2000/10/29 「ろう児のための運動会」 ろう児をもつ母

 先日ろう者によるフリースクールの運動会に参加しました。以前都内の

ろう学校の運動会を見学に行ったことがあったのですが、そこではあまり

にろう児や難聴児にとって不自然なプログラムが並んでいたので、今回は

とても楽しく参加することができました。



 以前のろう学校の運動会はどうだったかというと、

 1.先生が”声だけ”でプログラムの紹介をする

 2.選手宣誓を生徒が”声だけ”でする

 3.地域校の運動会のように常に音楽が流れている

 4.応援合戦の時音楽に合わせて踊っている

 5.幼稚部の子どもがお母さんと音楽に合わせて踊る

 6.勝手な行動をする子どもを常に制止する教員の姿がある



等々、まるで地域校の運動会と何ら変わりない光景が見られたのです!!

一体ここはどこの運動会だっけ?とろう学校に来ている事を忘れてしまう

くらいなのです。かろうじてここがろう学校だと認識できたのは開会式の

時、校長とPTA会長の挨拶時に他の先生が手話通訳をしていたことくら

いです。でもそれ以外の時間には全くと言っていいほど情報保障はありま

せん。子どもたちに対してはもちろんのこと、運動会を見に来ているろう

の御両親への配慮もまるで無しです。



 ろう学校の先生たちの意図はすぐ分かりました。ろう学校での口話教育

のおかげでこーんなに話せるようになったんですよ。音楽に合わせて踊る

事だって行進する事だってできます。地域校の運動会と何ら変わらないプ

ログラムが子の子達はこなせるんですよ。と言わんばかりなのです。



 しかしもちろん生徒たちの発音は聴者並にきれいなわけではありません。

何を言っているか分からない子がいっぱいです。あのように音楽に合わせ

て踊るのだって一体どれくらいの時間を費やして練習したのか分かりませ

ん。恐らく先生たちに怒られながら聞こえない音楽に合わせて踊る練習を

必死にしていたのでしょう。



 その証拠に大人のろう者の中には運動会の行進の時に音楽が流れている

ことを大人になってから初めて知ったという人がいっぱいいるそうです!



 それに対して昨日のフリースクールでの運動会はろう児が自然に楽しめ

参加できるプログラムがいーーーっぱいでした。



 1.かけっこの時のスタートの合図は旗を振る

 2.生徒の選手宣誓やプログラムの紹介はもちろん手話

 3.玉入れの時に入った玉を数えるのももちろん手話

 4.音楽に合わせて踊るなどもちろん無し

 5.子どもたちの目が手話で話すスタッフの手に釘付けとなっている

 6.誰も手話を制止しないので、子ども同士手話で楽しくやり取りをし
   
   ている。



 それ以外にも障害物競走や借り物競争、綱引きにリレーと運動会のプロ

グラムが満載でしたが、子どもたちはキャーキャーさわいで、これぞろう

児にとっての運動会を満喫していました。



 聴者の親の為に運動会があるのではありません。運動会は子どもたちが

楽しむためにあるのです。いつでもろう学校の先生たちは誰のためのろう

学校なのかを全く履き違えているようです。

2000/10/26 「ろう者の手話を知らない教員」 ろう児をもつ親

「ろう者の手話」が本来の手話であり、独自の言語だというのは常

識です。日本においては日本手話ですし、アメリカだったらASL、

その他ほとんどどこの国に行ってもろう者が使う手話が独自の文法

を持った独自の言語であることは言うまでもありません。

テレビとかで聞こえる人がやっている、音声に合わせて手を動かす

のはあれは単なる日本語。日本語の単語を手で表しただけなのです

から独自の言語でもなんでもなく、日本語を十分に理解できている

人にしか分かりません。

当然日本語を知らないろう児が理解できるはずがありません。日本

語を完全にマスターするまで親や先生の言っていることが分からな

い。つまり今までの口話教育と大した差はないのです。



聞こえる人が覚えやすいからって「これこそ本当の手話。これを使

えば大丈夫」なんて、自分勝手な主張をされるろう学校の先生など

に出会うことがあります。自慢げに「私は手話通訳奉仕員をしてる

から手話は十分できます」なんて言います。そのくせ、ろう者と面

と向かって手話で会話すると相手の手話が読み取れないのです..。

日本語対応手話を取り入れた一部のろう学校でも既にろう児が使う

手話を読み取れない現象が発生しています。十分な意思の疎通がと

れないのです。そんなことで、十分な教育ができるはずがりません。



大人のろう者の手話が読み取れない先生にろう児の手話が理解でき

るわけがありません。聞こえる人が実現できるからそれが最も良い

方法だと言うのはあまりに身勝手です。



世界各国で行なわれているろう児のための「バイリンガル教育」は、

当然ろう者の手話を使って教育を行ない、ろう児はろう者の手話を

第一に習得しています。だからこそ教師と生徒の意思の疎通がとれ

てあらゆる科目の勉強ができ、地域校と全く同じレベルの学力を身

につけるという成果が出ているわけです。そういった国においては

ろう者の手話が使えるということがろう児を教える最低限の条件な

のです。



日本においても早くそうしたろう者を中心とした教員がろう児を教

える環境が整って、地域校と同じレベルの学力を身につけられるよ

うになって欲しいと思います。

2000/10/25 「英検を受けて」 Kitty

はじめまして。ろう者です。

英検を受けました。初めて特別措置をうけました。

10年ぶりの受験で、ほんとうに大変でした。



私は「聴覚障害者の英検問題を考える会」というなかで

聴覚障害者にとって、英検はどういうことになっているのか?

と知りたくて、また、同じような気持ちで居るだろうろう者と

話をしたく、あれこれ調べてまた実際に受験してみました。



<特別措置>

リスニング・・・口話で行ないます。

つまり、ゆっくり読み上げます。

一般受験ではなくて、ろう学校の先生が担当する場合は、

英検協会のきまりに外れない範囲で、?指文字?なども。

私は今回、準1と2級を受けて、準1のほうは、ネイティブ。

2級のほうは、ろう学校の先生でした。

だから、2種類の受験のしかたを受けたことになります。

ですが、どちらも完全ではありません。

なにしろ、聞こえないので。



<特別措置がよかったかどうか>

補聴器をつけて良く聞こえる難聴者には救済です。

補聴器をつけても聞こえないろう者には何の救いにも

なりません。



<外の世界>

今回、色々がんばって、私なりに、考えることを人に

文章で伝えるという作業をしたほうです。

その結果、ある事実にぶつかりました。

「リスニング試験」「聴覚障害者への特別措置」

「口話」「読話」「指文字」「代替措置」「字幕」

「アメリカ手話」・・・etc



これらの言葉を、「外の世界」の人は知らないことが

多いです。

だからこそ、逆にすっきりいってくれます。

「聞こえないのだから筆談してもらえるのでは?

頑張って紙に書くんだ!」と。



私がとある健聴者に、全く手話もろう者もしらない

メルフレなのですが、試験直後の感想を書いて送ったら

「ごめんね。頑張って読んだけど、Kittyさんがすごく

怒っているということと、悔しかったということは

分かるんだけど、特別措置とか口話とかいわれても

なんのことか分からなくて3割しか理解できなかった」



それが世間の現実なんだな。と思いました。

だから、こんな問題がある!と訴えても、分かってもらえ

にくいんじゃないかと思いました。

分かってもらえるためには、どうしたらいいかを考えて

いく必要がありそうです。



以上、初回の書きこみなのに、ダラダラ長文失礼しました。

「考える会」のホームページアドレスを紹介してよろしい

ですか?

みなさまの率直なご意見を、書きこんでいただければ、と

思います。

会としては、ある程度の当事者・関係者たちの意見を頂いた

上で、英検協会にアンケートの結果も合わせて報告すること

を考えています。宜しくお願いいたします。



「聴覚障害者の英検問題を考える会」

http://page.freett.com/deafstep/index.htm

2000/10/24 「我が家のコミュニケーション」 ろう児をもつ母

 我が家には聞こえる娘と聞こえない息子がいます。息子はまだまだ小さい

のでいつもオットセイのような格好で(注1:ずりばいをしているのです)

家中を動き回っています。

 夕食の準備をしているときにふと子どもたちを見ると。息子が固まって

(注2:声も出ないほど真っ赤な顔で)泣いていて、その横でお姉ちゃんが

ごめんなさいの手話をしていました。常日頃から「声で言ったって分からな

いんだから”ごめんね”って手話でやんなさい!」と怒鳴っていたのがやっ

と功を奏してきたようです。

 「弟くんに何したの?」と私が聞いてもひたすらごめんねの手話をしてい

るので、こりゃ相当ひどいことをしたなと思っていると「頭をふんづけた」

と答えが返ってきました。あわわわわ。まあでも子ども同士の衝突は避けら

れないものですが、コミュニケーションがちゃんととれているから、そのあ

と私が息子を膝にのせて抱っこすると、ふんづけたお姉ちゃんをみてニコニ

コ笑っておりました。

2000/10/15 「無神経という差別」  都内・ろう児をもつ親

「オオカミに育てられた少女」に関する投稿を拝見して、非常に驚きました。実は、

息子が通う都内のろう学校でも、幼稚部が発行している小冊子の「きこえとことば

のコーナー」で、「オオカミに育てられた少女」の話しが紹介されていたのです。

それも、裸で床に置いてある皿に顔をうずめて食事をしてる、リアルな挿絵つきで

・・・。すごく不愉快でした。気分が悪くなりました。

そこで、先生に何を意図しているのか?「きこえとことば」を教育しないと、聞え

ない子は獣と同じという意味なのか?と質問しました。先生の答えは「子供が育つ

上で環境というのがとても大切という意味で載せた」でした。環境が大切というこ

とは、親なら誰だってわかっています。それを、わざわざ「きこえとことばのコー

ナー」に載せた意味は?と聞くと、「他意はない」との答え。それじゃあ、あまり

に無神経だと思いませんか。私は息子の第一言語を日本手話として、手話による教

育を実践しています。「きこえ」とそこから来る「ことば」には、まったく執着し

ていません。ならば、私の息子は獣と同じ!ということになりますよね。と問い詰

めると、「そういう意味じゃない・・・」と。



たぶん、先生が言ってるのは本心なんでしょう。決して、ろう児をバカにしたり、

教育しないと【野生児】や【猿】になる、とは思っていないのでしょう。しかし、

自分が「ろう学校」の先生であるという認識が甘過ぎます。いえ、認識しすぎて麻

痺しているのかも知れません。これこそ「善意の絨毯」の典型でしょう。



これが、1つのろう学校だけでないとすると、もしかしたら、ろう学校に代々伝わ

る教育方法なのかも知れませんね。もし、そうだとしたら完全な差別問題だと思い

ます。ろう学校の中は、一般社会よりはるかに「無神経な差別」が横行しているよ

うな気がします。

2000/10/13 「狼に育てられた子」  merusa

 茨城県の某ろう学校の幼稚部で、先生が親達にこの話をしたそうです。

 狼に育てられた子の話しですが、プリントまで配って説明をされたそうです。

この話を聞いた私は、親にも、子どもにも失礼な話しだと思いました。聴覚口

話法のろう学校では、聞こえない子に向かって、しゃべって授業をしています。

同然ながら情報はきちんとはいってはいません。子どもたちの分かる言語が育

つ環境にはないのです。言語は先生や親が教えるものではありません。環境の

中で本来本能として持っている能力をのばして行くものです。

この話しをどんな風にろう児と結びつけたいのでしょう私は、ろう児が自然に

学べる手話言語を重視せず、聞こえない耳だけを使いなさいという現在のろう

教育のほうが、よほどこのお話に近いと思うのです。

「手話は言語です」「音声言語だけが全てではありません」

皆さんはどうお考えでしょうか



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(裸の人間が皿に口をあててものを食べている絵もある)

 1920年10月、イギリス人のシング牧師が、インドのミドナプールに近いゴダム

リの森の狼の洞穴で捕らえられたばけもの(2人の姉妹)は、恐ろしい形相はし

ていたが、まさに人間の子であった。シング牧師は、自分の経営する孤児院に連

れてきて、夫人と共に手厚く養育した。

 2人の年齢は、大きい方が8歳くらい、小さい方が1歳半くらいで、カマラと

アマラと名づけられた。最初のうちも、孤児院に連れてこられてからも、2人は

完全に夜行性肉食獣の生活をしていた。立って歩くことはできず、四つん這いで

あった。両手は手の役目をせず、前足となっていた。カマラは走るのが非常に速

く、他の人間がどんなに速く走っても追いつけなかった。寝るときは2人重なり

合って寝ていた。

 歯は鋭く、犬歯特に発達していた。異臭も異常に発達し、70m先に投げ捨てら

れた鳥の内臓を嗅ぎつけて食べた。下の表面はザラザラしていて、皿の牛乳は舌

の先でペチャペヤと飲んだ。食べ物は、必ず鼻をクンクンさせて匂いを嗅いでか

ら、皿に直に口をつけて食べた。生の肉が大好きだった。

 明るいところを嫌い、昼間は薄暗い部屋の隅にうずくまり、目をしょぼつかせ

てぼんやりしていた。夜になって暗くなると急に元気になり、怪しいまでに目を

ランランと光らせのそのそと動き回った。11時と1時には「うおっ、うおっ」と、

ものすごい遠吠えを繰り返した。遠吠えをするにも関わらず、喉の発生器官は、

声を出すことはできなくなっていた。

 風の吹いてくる方向や物音に敏感であった。暑さ、寒さも気にならないほど皮

膚も丈夫になっていた。怒りの表情以外は何の感情も示さなかった。人間を嫌っ

て寄せ付けず、裸でいることを好んだ。

 こんな子供たちも、シング夫人の献身的な愛情でしだいに人間らしさを取り戻

していった。小さい方のアマラは、2ヶ月目には、喉が乾くと「ブー」と言って

水を欲しがった。しかし、年上のカマラが同じ言葉を言えるようになるまでに2

年もかかった。

 翌年、アマラが病気で死んだが、カマラは、この時初めて涙を見せた。カマラ

は、死んだアマラのそばから離れたがらず、1週間近くも食べ物を受け付けなか

ったが、やがてシング夫人の愛情で元気を取り戻した、いっそう夫人に親愛の情

を示すようになった。

 根気のいる訓練の結果、カマラは。膝で立って歩けるようになり、3年目には

2本足で立てるようになった。しかし、走るときは、四つ足だった。

 はじめは。犬やハイエナの子など動物を遊び相手にすることを好んでいたが、

子供たちと一緒にいることを喜ぶようになった。ある時は、怪我をした赤ん坊を

夫人に知らせたりした。また、子供たちに置き去りにされると。悲しがって泣く

ようになった。

暗闇を恐れるようになり、犬に吠えられるとギョッとして怯えるようになった。

 衣服を着るのを嫌っていたのに、数年後には裸でいるのを恥ずかしがるように

なった。赤い色の服を好んだ。夜はベッドで毛布を掛けて寝るようになったし、

排便等も決まった場所でできるようになった。簡単な仕事は言いつけられなくて

も自分からやり、褒められると、非常に喜んだ。また、他の子が何ももらわない

のに、自分だけがビスケットをもらったりすると返すようになった。

 このカマラも1929年、尿毒症のため、手厚い看護にも拘らず、17歳で死んでし

まった。9年という長い年月にわたる愛情に満ちた養育にも拘らず、年齢は17歳く

らいになっても、知能は、3歳児にも満たない程度しか発達しなかった。

(J.A.U.シング「狼に育てられた子」より)

2000/10/11 『指導法の「欠陥」のすり替え』 山羊(教員)

>先生は言います
>「聞えない子は、体験したことが消えていってしまいます。
>その場で、絵にして体験を焼きつけ、家に帰ってから、
>その絵を見ながら、体験を再び確かなものにして下さい」と・・・。


すごいですね〜 無知というか、「偏見」もここまで来ると…

聞こえる子でも、体験したことを母子コミュニケーションを通して反芻しないと、

記憶が薄れていきますよね。聴覚口話法だと、この母子コミニケが成立しにくい

から、確かに「消えていってしまう」のでしょう。でも、手話でコミニケしてい

たら、仰られる通り聴の子どもと同じように体験が定着しますよね。


問題は、「聴覚口話法」という指導法の欠陥を「聞こえない子は…」という「人

間の欠陥」にすり替えていること。



でも何で「体験カード」という親にとって面倒な「絵」に拘るんかねえ。ボクは

デジカメ(普通のカメラでもいい)で撮って親子で見ながらお話しすれば、いい

と思うんだけどぉ(たとえ聴覚口話法でも)。



今度、その先生に聞いてみません?

「絵は苦手だから、写真を撮ってはいけませんか?」って。

きっと明(迷)解答が返ってきますよ!

2000/10/10 「ウソはやめて」 ろう児をもつ親

息子は、ろう学校の乳相に通っています。そこで、先生から「体験カード」

を作るようにと言われています。たぶん、どこのろう学校でも同じでしょう。

先生は言います



「聞えない子は、体験したことが消えていってしまいます。

 その場で、絵にして体験を焼きつけ、

 家に帰ってから、その絵を見ながら、

 体験を再び確かなものにして下さい」と・・・。



これは、ハッキリ言ってウソ!です。息子の記憶力は、2歳年上の聴の兄

より優れています。例えば、旅先に、好きなおもちゃをリュックにつめて

持って行きます。ミニカーやウルトラマンの人形など、全部で20個ほど。

息子は、その一つ一つを全て把握しているのです。帰るとき、どれか一つ

が足りなくてもすぐにわかる、聴の兄や聴の両親には、サッパリわからな

くても、息子はわかっています。



1ヶ月ほど前にあった出来事と、似たような出来事が起きると、「ボクも

○○だったよ」と、以前の出来事をもう一度報告してくれます。なぜ、ろ

う学校の先生は、根拠のない事をまことしやかに言うのでしょうか?

「聞えないから、わからないだろう」と、想像で教育しているのでしょう

か?


お願いだから、根拠のないことを言わないで下さい。

勝手な想像で、聞えない子を判断しないで下さい。



聴覚口話法だけで育てている聞こえない子はそうかも知れないけど、彼ら

の言語である手話を用いて育てている聞えない子は、聴の子供と同じよう

に身も心も発達しています!



ろう学校の先生へ、

お願いだから、ウソはやめて下さい。

先生個人の意見や偏見、差別を教育に取り込まないで下さい。

2000/10/09 「我が子が通うろう学校でも・・・」 ろう児をもつ親

「素人の担任と素人の校長」を読んで、親として同様の憤りを感じまし

た。ろう学校では、あまりにろう児たちの事を理解せず、教員による教

員のための、学校運営がまかり通っていて、本来主役であるはずの子供

達のための・・・っていうところが欠如しています。


私の子の通う、ろう学校の中学部では、今春赴任してきた数学の教師は、

手話も指文字も稚拙で生徒とコミュニケーションが成り立っていません。

口話だってモゴモゴご話すのでわかりづらく音声付きで聴の親の私が聞

いていてもわからないくらいです。

そんな訳で、子供に数学を教える何ていうレベルになく1学期が終わる

頃、子供達はみな、先生不信になっていました。保護者達もその異変に

気付き夏休み前、中学部の保護者が全員で校長あてに文書を出しました。

「数学の授業が分からないだけでなく学級崩壊にもつながる心配が・・

・」と、しかし、夏休み中に本人も頑張るといっているって事で正式の

返事は出ないまま・・・。生徒達にも、その教師は、「手話を頑張る」

なんて空手形を出していたものだから、2学期が始まってその進歩の無

さに生徒達からも総スカン!学校が、保護者対策でおこなった教科懇談

でも数学教師に対しての多くの批判が集まった。その席で12月までに

手話でのコミュニケーションを確約したけど、本当に大丈夫なの?もし、

コミュニケーションが確立できたとして、生徒達はこの10ヶ月間棒に

振らされ誰が責任を取ってくれるのだろう。校長も、養護学校からの赴

任で3年め、そろそろろう児の特質を理解した人事配置をして欲しい。

「万歳!!万歳!!」だけでは子供は育たない・・・。

2000/10/07 「素人の担任と素人の校長」 九州在住ろう児をもつ母より

Mろう学校の幼稚部1年に在学しています。
先日月1回行われる「お話発表会」がありました。
その際の担任の先生や校長先生の対応をみて
私自身が感じたことを投稿させていただきたいと思います。

息子は130dB、手話でコミしています。
どの学校でもお話発表会なるものはあるのでしょうか?
簡単に当校について説明しますと
担任の先生が絵カードを見せてそれを生徒が話すと言うもの。
黒板を背に発表者が立つ、それを幼稚部の生徒や親が後ろから
見ているというものです。絵カードを持った担任もこの中に居ます。

生徒は口話もあれば手話もある。
今のところ息子だけ手話なのですが。
息子の番になりました。
先生が絵カードをめくっている間(その間先生は息子を見ずに
絵カードを見ている)に息子は手話をし終わってるんです。
それ(お話が終っているということ)に気がつかない先生は
また同じ事をさせようとする、息子は嫌がる、遊びに走る。。。
3枚目(合計11枚)ほどのところで、先生は絵カードを置いて
自分で手話をして、しかもそれは間違ったもの
(微妙な違いですが)、息子もそれを真似て終ってしまいました。
毎日毎日練習して、私もお話発表会を前提にイベントを作ったりして
3週間前には出来あがっていた息子のお話。
なのに、本番で単なる「猿真似」になってしまいました。

担任にすれば養護学校この春赴任してきたばかり、手話を覚えようと
もせず、そのくせ手話は大切ですと口先ばかり。授業も黒板を見て
書きながら話す事も多いです。
そんなことは、今回問題にしていませんが、息子に行った「お話発表
会」の体裁を繕ったとしか言いようのないもの(もっと適切な言葉があ
るとは思うのですが、ヒットしません)は、学校全体の問題として校長
先生に直接私の方から報告したいと考え、同級生の母親全員と校長とで
面談を行いました。その時のやりとりです。

校長宛に出した文書にそれ(←辞職するだのしないだの)を書きました。

とても攻撃的な文章ですと断った上で、すると校長は震えた怒り声で

「人事のミスと言うのはあなたがいうことでしょ!?
人事権は私にあるんだ。辞める辞めないはあなたが言うことではない。」



私 「だったら、養護学校から来たばかりの先生を担任にはするのはおかしいです。
せめて副担でしょ?」

校長 「しかし、やはリ人事云々と言うのは失礼だ。(省略)
私も今年赴任したばかり。今年度の人事は前校長がしていった。」

私 「現校長がIさんだから現校長の名前で文書を書きましたが、
校長自身を責めているわけではありません。」

ここら変から穏やかになって、、、

校長 「学校とは組織だから。私に任せればいいんだ。」

私 「これまでも学年主任とも話し合って何の解決も得られないままなんです。
同級生が辞めた前後、校長に何か動きがありましたか?ありませんでしたよね。
では、我々親がこうやってでしゃばるしかないではないか?」

同席の親 「時間があったら、授業を見てください。」

校長 「うぅぅ〜〜〜ん。でも、見ても分からんからなぁ。。。
私は今まで進学校でがんがん言ってきたものだから。私も知らないこと
ばかり。」

私 「ですから、親がしゃしゃり出るんですよ。ご存知ないと思われましたので。」


最後に一言

校長 「感情論になってはいけない」

私 「怒るのも感情、泣くのも感情。担任はすぐ泣きます。
私、今は冷静です。しかし、怒っていないとは言えません、
それぐらいの感情は持ち合わせています。
ただ、このお話発表会の事実が息子のことであって怒らないのであれば
私は息子の母親ではありません。無責任な親です。」

校長 「今の人事を変えるわけには行かないのは承知して欲しい。
来年度の人事に考慮させて頂きたい。
その結果どうなるかは私に任せて頂きたい。」

確かに校長も言っていました、毎年春のクラス担任発表で
ハズレの先生に当たるとがっかりする声も聞かれると。

また校長が、46歳にもなって保母みたいにプールに入らなきゃいけないのも
かわいそうだと言うので、「私のおばは50を超えてますが現役の保母です。」

には、苦笑してました。



この後校長に呼ばれた担任は授業終了後、ぼ〜っと我々の前に立って
何か言いたげにしていました。
見かねた親が「何か言いたい事があるんですか?」と聞くと、
担任は蚊の泣くような声で何か言ってましたけど、聞き取れませんでした。

聞き取れない話が終ったところで私は
「泣く前に言いたいことを整理してから、事を消化してからお話下さい。」

と言って教室を出ました。


 これは、単にいち教師の資質や能力といったことによるものではなく、
「専門性をほとんど求めない今のろう教育人事システムから生じる悲劇」
だと思うのです。学校内には手話言語習得など専門性の必要性を求める
教師もいるのですが、反対する教師たち(専門性を身につけたくない教師、
上の言いなりになっている教師)によって押しつぶされてしまいます。
 進学校から異動したばかりの校長と、養護学校から赴任したばかりの
担任。ろう児の教育に聞こえないことに関する何の専門性もいらない
はずがありません。

ろう教育が聞こえない私たちの子どもに適した教育に
一日でも早く変わって欲しいと思います。

2000/10/06 本の紹介 山羊(教員)

トータルコミュニケーション研究会
 「北欧のバイリンガル教育その理論と実践」
                 身体障害者定期刊行物協会 1000円

TEL 03−3416−1698

FAX 03−3416−5780


久しぶりに「身震い」を感じながら読んだ本です。

視察報告編と資料編とからなっています。

「どうせTC研が出した本だから」と両サイドから“無視”されそうな

危惧を感じますが、現地の関係者が直に喋った言葉や資料に、ウソも誇

張もないでしょう。「どうしてバイリンガル教育が可能になったか」

「どのようにしてそれが可能になったか」、

子育てに直接関係する内容ではありませんが、今後のわが国の聾教育に

バイリンガル教育を期待する親御さん方にも参考になると思います。

2000/10/05 「障害者観発展途上国 日本」 ろう児をもつ父

従業員が、障害のある家族をもっている場合に給付金がもらえるとのことで、
会社の組合内にあるボランティアクラブ?のようなものの資料をみてみました。
どのような組織かはよくわからなかったのですが、
手に入れた申請書を見て唖然としてしまいました。
記入する欄に「障害内容」(これもきらいですが)というのがないのです。
かわりに「傷病名」というのがあるではありませんか...。

担当の方に連絡してこの「傷病給付申請書しかないのですが」というと、
「ああ、それです」とのこと。
信じられませんでした...。


ほとんどの障害は病気ではありません。
病気は「治す」ために薬を飲んだり手術をしたりするわけですが、
障害は「治す」といった類のものではありません。

日本の障害者に対する間違った考え方、いいかげん変わってくれないものでしょうか。
障害は「治す努力をするものであり、健常者に近づくことができた人だけが受け入れられる」
というばかげた論理が今尚まかり通っているのです。

障害は病気ではありません!
治すものでもありませんし、大半は治るものでもありません!
治すべきは障害者をありのままで受け入れようとしない健常者側の心の中身です!

日本は世界に恥ずべき「障害者観発展途上国」だと思います。

2000/10/04 「ろう児向けのおもちゃを発見!」 ろう児をもつ母

今日保育園に我が家のろう児くんをお迎えに行くと、子どもがくまのプーさん

とこぶたのピグレットがひもでつながったぬいぐるみを手にガシっと持ってや

ってきました。「まあ、可愛いですね。」と言うと先生が「これ面白いのよ。」

と私の手にこぶたを握らせてプーさんをもってひもをひっぱりました。


 すると何とこぶたくんがブルブルふるえるではありませんか!!この世の中

子どものおもちゃと言えば音が出るものがほとんどなのに、そのおもちゃは全

く音が出ないで、ただ手に振動が伝わるだけなのです。音が分からないろう児

に楽しめるおもちゃって少ないよな〜、と常々思っていたのでとってもうれし

くなりました。


 思わず先生に「まあ素晴らしい!まるでろう児向けのおもちゃです。」と言

ってしまいました。そのぬいぐるみにはSEGAのマークがついていたのでも

しかするとユーフォーキャッチャーの景品なのかもしれません。う〜む私も欲

しい!

2000/10/03 「障害児は同じ人間」 ろう児をもつ父

先日”「重度障害」児と学童保育”という学習会に参加しました。
学童保育で障害児を受け入れている自治体の職員から、
どのような形で受け入れるようになったのかについての
説明がありました。
指導員が言っていたのは「私たちが受け入れなかったらこの子はどうなるの?」、
「新しい事業として始めるべき」といったことで、とても使命感があるように
感じました。また、それを実現するために、複数の児童館の職員間での話し合いをする
委員会をつくり(行政は反対したが実現させた)、どのように対応していくか
について話し合ったり、勉強会を行なったりすることにより、受け入れることが
できるようになったとのことでした。

私が住む自治体では、ほとんど受け入れていません。
重度だけでなくろう児を含む障害児をほとんど受け入れていないといっても
言いすぎではないと思うほどです。
どうして受け入れられないのでしょうか?
経済的な理由その他によって母親が働かなくてはならない場合は
多々あると思うのですが、そのような住民側の要望はほとんど無視し、
自治体の都合だけを優先するのです。
「お金がかかるから」、「手間がかかるから」、
「責任が重いから」などなどが主な理由ではないかと思います。
また特におかしなことは、
障害と病気が混同されていることです。
障害児を受け入れるかどうかという話しになるとすぐ、
「緊急時の医療体制はどうするか」とか、「児童館では医療行為はできない」
といったことになってしまいます。実際今回講演してくださったところでも
マッサージを医療行為とするかどうかという議論がかつてあったようです。

障害児は手間がかかるのであずかれない。
その結果その障害児を追い出すことになっても構わない、いや、
出ていって欲しいと考えているのではないかと思うほどです。

障害児は同じ人間です。同じ子どもです。
障害児をもつ家族も同じ住民です。
なのにどうしてこんな差別を受け、侮辱されなければならないのでしょうか。

2000/10/02 本の紹介 ろう児をもつ母より

シリーズ 福祉に生きる 19 佐藤在寛    
            著者 清野 茂   大空社


「聴覚口話法」がろう児のためという理由ではなく、ろう児にとってそ

うとうな負担があろうが、不完全な教育方法であろうが、政治に利用さ

れ日本中に広まった方法だということが、歴史の中から証明された

2000/10/01 「DEAF KIDS NEWSを読んで・・。」ろう児をもつ父親

 先日、人工内耳をつけた子供のドキュメンタリーが、テレビで放送さ

れました。人工内耳をつける事によって音が聞こえ障害がなくなるとい

っていました。親は、自分の子のためにと手術までさせる。手術後も言

葉を入れるため頑張る。(子供にも頑張らせる)しかし、何かそこに

は、違和感を感じました。子供を自分の価値観だけで取り返しのつかな

い手術をして良いのだろうか・・・?本当に子供のためになっているの

だろうか・・・?

 そして、ここのHPを読み、特に「DEAF  KIDS  NEWS」を読ませて

いただいて、その違和感もはっきり分かりました。それはろう児を持っ

た親が、音声言語だけが「言葉」と思い(教えられ)それだけの情報で

自分の子の教育と将来について考えるからです。手話という視覚言語の

存在とその言語で育った、ちゃんとした(?)大人を見れば安心してそ

ちらを選ぶでしょう。番組で言っていた「乳児期の早期発見」の後の、

「補聴器、人工内耳による教育」でなく、「手話による教育」の方が大

事でしょう!聴者の社会に適合させた教育よりも、自分の子供の個性に

あわせた教育を考え、選択できる基本的な情報をきちんと厚生省、文部

省、ろう学校、医療機関でろう児をもつ親達に伝えて欲しいと思いまし

た。まずはあの番組を作った製作者と、出演していた長崎のろう学校の

教師、厚生省の役人にこのHPを読んで自分たちがいかに愚かだったの

か反省してもらいたいものです。また、それと共に、このHPでは引き

続き、当事者の私たちろう児をもつ親にきちんとした情報を伝えていっ

てほしいとおもいます。「全国ろう児をもつ親の会」の皆さんありがと

う。これからも頑張っていください。(私も早速、このHPの署名をし

ました)


2000/09/29 「ろう学校、手話教育導入を」 9/14(木)茨城新聞

                            (OKAさんより)

【県議会 記者席から】



「ろう学校、手話教育導入を」  (わりと大きな見出しで)

 

「読唇術による口話法では(実社会で)限界がある。

手話の必要性を認識して欲しい。」

文教治安委員会では、鈴木孝治氏(公明)がろう学校での

早期手話教育導入について執行部に検討を求めた。

 ろう学校で手話教育が行われていない事実は

一般的に知られていない。県内学校でも口話法を軸とした指導。

手話は高校ではじめておそわり、教員も採用後四ヶ月程度の

自主的研修で覚えるという。

「ろう学校の危急の課題として手話の出来る人材が求められている」

と訴えた。

                      (転載許可済み)

2000/09/26 「手話講座」     トマト

 ろう児のためのフリースクール「龍の子学園」に参加してみたのです

が親向けの手話講座などがあり大変ためになりました。手話はまだまだ

うまくないですが、先生の魅力的な手と豊かな表情にぐんぐん引き込ま

れ、あっという間に時間が過ぎてしまいました。もし、子どもが聞こえ

ないと分かったときから親が手話を習っていたら、子どもともっとたく

さん手話で話せたのになあと思います。どうしてろう学校の先生は「手

話はダメ」と言ったんだろう?こんなに子どもは自分の思いを伝えられ

るのに。もっと早く手話を習いたかったなあ。そうすればスタッフと遊

んでいる時みたいな、楽しそうな笑顔にいっぱい出会えたのになあ。今

からでも遅くないよね。よーし母はがんばって手話を覚えるぞー!これ

からもいっぱい君とはなしたいもんねー

2000/09/25 「親に手話を教えました」     とん

 とんです。

 今日、23日、郷土の森(東京・府中)で手話を教えてきました。

 デフフリースクール「たつのこ学園」の親向けの企画の一環として、前から行

われているものですが、今日は久しぶりに私が赴いて、手話を教えてきました。

 手話の初心者、経験者とバラバラで、何をシラバスにして教えようか直前まで

悩みましたが、結局選んだのは「タイム・テーブル」。数字、月日、時間、〜前、

〜後、〜から〜までといったようなタイム・テーブルに関する手話と、それに関

連づけて、朝の行動もシラバスに含めました。

 初心者は前に、経験者は後のほうに回っていただき、初心者を中心にコミュニ

ケーションを取りながら手話を教えました。1時間半があっという間に終わって

しまいましたが、終わった後はエネルギー切れで赤ランプが点灯…。出席された

皆さん、1時間半も「ご法度・声」と、慣れない「目と手を使ってのコミュニケ

ーション」お疲れ様でした。

 それはさておき、ろうの子どもを持つ親御さんは、もっと成人ろう者と会って

手話でコミュニケーションをとってほしいなと。たつのこ学園の手話講座は、あ

くまでも手話への取っ掛かりを提供しただけに過ぎないと(個人的には)思って

います。自分からろう者の中に飛び込んでいくことも(勇気が必要かもしれませ

んけど)大事ではと思いました。

 ろうの子どもは、あっという間に成人ろう者負けの手話の語り手になっちゃう

のですから…。

2000/09/24 「知りませんでした」 まゆ

私は健聴者で、子供もいませんが参加させていただいてもよろしいでしょうか?


知りませんでした。ショックです。

私はこれから手話を勉強していこうと思っています。

聾学校で手話の使用を禁止なんて・・・

そして、その世界が正しいと思わされている人が

大勢いて、もっともっと「普通に」となってしまう。

[地獄への道は善意・・・」に書かれている、北欧のバイリンガル

教育の進んだ国の話、この意見が本当だと思います。

手話という言葉ですよね。

私も頑張ります。手話を一つの言語として認識してもらえるように。

皆さんも頑張ってください。

2000/09/23 「チェック機関になってください」 ろう児をもつ母

 ずっとROMしていましたが、共感を覚える内容ばかりなので、
思いきって投稿することにしました。

 ろう学校に行くと母親は先生という名の専門家の前に全く無力な
存在になってしまいます。先生の言っていることがたとえおかしくても
また旧態依然の考え方でも、親がそれを正そうものなら「お母さんは聞こえない
子の教育についてまだ素人だからねー」とあっさりかわされてしまいます。
またそれを訴える場を持っていませんでした。

 ぜひこの「全国ろう児をもつ親の会」が正しいチェック機関となって
自分のやりたい放題で子ども自身の立場をぜんぜん考えていないろう学校
や先生たちを監視していって欲しいと思います。

2000/09/22 「不充分なコミュニケーション」 ろう児をもつ親

 聴覚口話法でずっと子どもを育ててきたのですが、
最近ほんとにこれで良かったのかと考えるようになりました。
確かに子どもとはある程度のコミュニケーションはできるのですが、
内容はとても聞こえる同年代の子どものようにはいきません。
子どもは何度も言えばうなずいてくれますが、
実際は分かっていないということが多々あります。

ろう学校の先生はそれでも「十分話せてるじゃない」と言うのですが、
やっぱり成人のろう者が使っている手話が必要じゃないかと思っています。
いろいろな聴覚障害者の方をみても、手話を使ってない方はほとんどいないのですから。
そう思い最近手話を勉強しはじめているのですが、
手遅れではないかと不安に感じています。
どうしてろう学校では将来必要なコミュニケーション方法である手話を
早い段階から教えてくれないのでしょうか。


2000/09/17 「初めて知りました。。。」    鉄人28号

 手話が出来ないろう学校教師がいることを、このホームページで

初めて知りました。

皆さんのご意見に全面的に賛成します。

出来ることは少ないでしょうが、今後も協力させて貰います。 

ろう児を持つお父さん、お母さん、どうか希望を捨てないで頑張って

ください。

2000/09/15 「手話コース」も    山羊(教員)

 私自身は「TC・トータルコミュニケーション」に賛成する者ではありま

せんが…と、先ずお断りした上で…



 以前、TCが普及していった頃のアメリカの聾学校では、ひとつの学校の

中で「口話コース」と「TCコース」の両方を設けている学校があったよう

です。最初「口話コース」に入っても、定期的に子どもの「評価」をして、

「TCコース」へ変わることも勧めたりしたようです。



わが国の聾学校に手話を採り入れさせることを考えた場合(どんな手話かは、

ここでは置いといて)、こういう発想は現場の先生たちに比較的受け入れら

れやすいと思います。

現に、「このクラスは(親の要求もあるし)手話を積極的に使おう」と暗黙

の了解をしている学校があります。



「聾児の言語は手話だ!認めろ!」と、私自身は“玉砕”方式が好きな性格

ですが、「学校の基本方針は口話法でも結構。でも『手話コース』も認めて」

みたいな“もみ手”作戦も、当面手話を認知させて行くには効果があるのか

も知れません。

2000/09/13 「法令改正の次は・・・」    ろう学校PTA

 先日、「聴覚障害者を差別する法令の改正をめざす全国集会」に参加しました。

集会には多くの人達が参加しており、運動も改正支持署名223万人以上、全国

1029の地方議会で意見書が採択され、7000万円以上のカンパがあったそ

うです。

 ろう児をもつ親としては、子供達の将来の「夢」の選択肢が広がりとても嬉し

く思います。

 そして次は、現在のろう教育の現場の改正だと思いました。法律の改正で獲得

した「夢」の実現のためきちんとした教育システムが必要です。今は、子供とコ

ミュニケーション出来ない先生が、出来なくても当たり前という教育を行ってい

ます。これがきちんと改善されれば21世紀には多くのろうの医者や薬剤師が社

会で活躍しているはずです。

2000/09/10 「校長の言葉」    神戸(ろう児をもつ親)

 関東にあるC県で聾教育フォーラムが開催され

2校のろう学校の校長が出席しました



 いろいろと討論される中で、ろう学校ではなぜ学力がつかないか?と

いう問題に触れたとき、Aろう学校校長は



「聾学校の先生方は、みんな一生懸命教えているのですよ」

「あんなに一生懸命教えても子供たちが分からないのです」

「これだけやっても理解できないのは子どもの能力の問題です」

と言われました



 となりに座っていた、Bろう学校の校長も

「本当にそうなんですよ」

「子どもの能力はそれぞれだからね」と口をそろえて言われました



 Bろう学校の校長は、養護学校から転勤したばかりで、子供たちとは

コミュニケーションがまったく取れない方だそうです



 子どもとコミュニケーションとれない方が、子どもの能力を正確に判

断できますか

子どもを信じていない教師が、子どもに何を教えられますか

子どもの一番の理解者であって欲しいろう学校の校長が、こんな発言を

堂々とみんなの前で発表するとは、親達は安心して子どもをろう学校に

預けられません

2000/09/09 「子供のこころ」    ソニア

  聞えない子のための学校なのに、

  どうして耳が使える子、しゃべれる子が評価されるのか不思議です。

  だって、耳が聞えない子のための学校でしょ。

  聞き取りをしろ、正確に発音しろって、無理難題を押しつけておいて、

  一生懸命話す子供に先生や親は「何?なあに?」と何度も聞き返す。

  私だったら、もう人と話すことがイヤになってしまうだろうなぁ。

  しかも、物心ついたときからズット・・・、

  いったい子供の心はどうなるのだろう。

  言葉も聞き取れない、手話も読み取れない先生は、

  子供の言いたいことがわからないのに、

  どうやって教育をするのかなぁ。

  まずは、子供の「ことば」を読みとってから

  全てが始まると思うのだけれど・・・。

  何のストレスもない言葉、それが子供の心の成長には不可欠ですよね。



2000/09/08 「はじめまして!」    菜々子

   私は某ろう学校に勤める聴覚障害者(ろう学校卒業生)です。

  ろう学校に異動して数年経ちますが、ろう学校の現況には目に余る

  事が多いなと感じておりました。

   しかし、私が現場にいないことから言いたくても言えない、又は

  ろう学校OBの方にぼやく程度で我慢していたところ、たまたまこの場

  所を紹介されてみてみましたところ、まったく私の思っていたことが殆

  どだったのでよくぞ言ってくれたと思いました。

   ろう教育の今後を憂える者として、このホームページに期待しています。

  がんばってください。



2000/09/06 「地域の保育園の方がまし?」    ろう児をもつ母

   息子が通う保育園の担任の先生に手話でコミュニケーションをとってほしいので、

  「よかったらこれを使ってください」と足立ろう学校の幼児手話辞典を一冊差し上げたら、

  その先生が音頭をとって、なんと他の先生方16名が手話辞典を購入してくださいました!

  ろう学校では1人の先生に手話を使ってもらうだけでほんとにたーいへんなのに、

  この差ってなんでしょう..。

  ろう児をみるのははじめてだというのにこれだけ努力してくれるなんて、

  とってもうれしいです。

  ほんとうはろうの友達ができるろう学校の方がいいに決まってるんですが、

  ろう学校では手話のできない先生の職を守るためであるかのように

  必死になって口話教育の必要性を訴えてきます。

  それが子どもの将来にどれだけ悪い影響を与えるかも考えずに..。


















も ど る

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