南極旅行日記
- 本番編 -


後記


 今回の旅では船酔いを一番に恐れ、酔い止め薬を御使用書きに記された量と回数の倍、飲んでいた。
 使った量は、なんとトラベルミンを3箱全部!
 (あ、行きと帰り、WALLABYさんに少し分けてさしあげたから「3箱全部」っつうのは言い過ぎか・・・。)
 ま、 (^^ゞ そのせいもあってか、ホントーに酔わなかった。

 ただ帰りの時など、服用を忘れていてさえ酔わなかったことを考えると、煙に巻かれた気分である。
 もしかして、常軌を逸脱した大揺れのため、船酔いどころじゃなくなっちゃったのかしらん?

“私だけは絶対酔う!”

 そうとばかり思い込んで事に備えてきただけに、今でも不思議・・・。
 首をひねってばかりいる(笑)。


 それにしても、近くて遠い南極と言ったらいいのか、遠くて近い南極と言ったらいいのか・・・。
 でも今の私には、両方が共に正直な気持ちだ。

 あれだけの大変さ、全て天候任せのため遅々として予定通りにはならなかった南極クルーズ。
 上陸予定地を目の前にしてさえ、その強風のためゾディアックを降ろせず、長時間のサウナ待機にも関わらず上陸中止を知らされた時の落胆が、今でもありありと胸の中に蘇る。

 ただ、そんな悪条件を乗り越えた先に待っていた出会い、風景や生き物達との出会いは、想像よりも遥かに鮮烈な印象を心の中にねじ込んでいった。
 厳しい南極でもあったし、優しい南極でもあったと、つくづく思う。

 神様は、どんなお考えで彼の地をこの世にお造りになったのだろう?
 次に訪れられるとしたら、その時は一体どんな表情を見せてくれるのかしら?
 それを考えると体内中の血液が泡立ってくるような、そんなドキドキを感じてしまう。


 旅に出る時は、いつものことではあるが、残った身内にかけてしまう心配を考えると気が重い。
 毎回、「もしかしたらこれがお別れになるかもしれないな」と、心の片隅で思っている。
 それでも行きたい。
 必要だから。

 ・・・なだけに、手段はどうあれ旅先通信を欠かせないのだが、ニューヨーク入り後に届いた夫からのメール。
 ウシュアイアから送ったメールへの返信なのだが、「ともかく陸地に降り立ったみたいでホッとしてる。両方の実家にも南極写真を送っておいたよ」と書かれてあった時は、私もとても嬉しかった。
 そして「自分もスーツケースを持っての旅ではないけれど、毎日旅をしている気分だ」とも書かれてあった。

 夫の場合は丁度仕事が忙しく、多分転換期を迎えていることもあるのかもしれないけれど、旅は“スーツケースを持つことだけが旅ではないな”と、そんな文面からも実感。

 私の旅は終わったのかしら?
 南極旅行、終わったのかしら?
 終わったという気がする時もあれば、まだまだ続いている気もする。
 一体何だったんだろう?
 今回ほど、全てにおいて消化不良なまま形だけが終わった旅って、ないような・・・。

 そうだ。
 帰宅時、自宅のドアを開け靴を脱ぎ、廊下を抜けてリビングに向かう一瞬。
 その旅毎に、受ける印象が違うのだが、今回の場合は“狭い”とも“広い”とも“懐かしい”とも感じなかった。
 全くの無感という、一体これは何なのだ??
 夫の顔を見て、初めて「ただいま」という気持ちになれた。
 家さえ、実はどこにあっても、どんな形であっても、さほど重要ではないということなのか。


 色々な気持ちを色々な形を通して拠り所にして生きていたつもりが、今回の旅では全て取っ払われてしまった気分。
 歳を重ねてゆくにつれ、知らず知らずのうちにも既成概念の枠に縛り付けられていってしまうのが、ふと見回したら枠が消えていたような、そんな気分。

 これ以上言葉を重ねていっても、思うことを上手く表現出来そうにない。
 だから旅行後、マリン・エクスペディション社側の添乗員さんからのメールで得た情報だけを書いておく。

 ホテルマネージャーのナイジェルさん、ウシュアイアの病院での診察の結果、骨折まではされなかったそうだ。
 再び次のクルーズから職場復帰なさっているそう。
 良かった良かった。

* 99/04/01 小桜インコの“こまちゃん”に、耳齧られつつ自宅より


 今日写真を保存するために、今ではめったに起動することさえないMS-DOS時代の外付けHDDを整理していたところ、1991〜2年のASCII-NET PCS(うわぁ!ASCII-NET閉鎖どころか、ASCII-NET統合前だよぉ)の通信ログが一部だけ出てきました。
 メンバーを募り旅先通信SIG発足に向けての準備期、7〜8kgのラップトップパソコンに替わってようやく3kg台のノートパソコンが登場し、今で言うモバイルの気配が微かに漂い始めた頃のものです。
 隔世の感で眺めていたら、その中に「夢はいつか南極へ!どうやら車一台分で行けるらしいの」という自分の書き込みを発見しちゃって爆笑。
 谷山浩子さんが南極ツアーに参加して行かれたとか、そんな具体的な旅の噂を耳にしたのが、丁度この頃だったんですネ。

 去年の夏、ふとした偶然で実際に南極ツアーのパンフレットを手にすることが出来、旅の実現に向け、加速度的に情報収集や用意に奔走することになったのですが、その肩をそっと支えて続けてくださったのが、同じくパソコン通信黎明期に通信を始められた、今は亡き“友人スミス”さんの思い出です。

 特に、亡くなられる直前の前向きな御姿勢には心底胸打たれるものがあり、「夢は、状況が揃うのを待っていては実現できないことが殆どだ」と、そんなことを身を持って教えられた気がしています。
 そして御家族の皆様が、あれほどのリスクを抱えつつ、あの頃のスミスさんの意志をしっかりと受け止められたことには、まるで昨日のことのように胸の内が熱くなってきてしまう。

 今でも周囲のことはすごく気に掛かるし、そのため機を逃してしまうことも多く、人と反する場合の自分の意志を表明するのは難しいけれど、やって後悔するのとやらずに後悔するのとではどちらが良いのか?というと、感じてナンボの人間なんですもん、やって後悔した方がずっとイイ!と、最近はそう考えてそう行動することの方が多くなってきたような・・・。

 ただ、私に、あれだけ強い家族としての精神的繋がりが築けているだろうか?と考えると、かなりに疑問。
 “単なる我が侭者”としか捉えてもらえない部分も多々あるだろうなぁ。精進精進。(^_^ゞ


 ところで300bpsのカマボコ型音響カプラ、誰かいりませんかね?(笑)
 1985年くらいに活躍していた骨董品的なお品物ですが、新しいものに入れ替えてゆく中、これだけが手元に残っちゃってるもんで・・・・。
 うちにあっても全く意味無しだし。

 *99/04/07 追記


 郵便局のある基地には行けなかったため、切手代と共に添乗員さんに託した南極からの葉書。
 これらが続々届き始めたようである。
 ニューヨークの友人宅には4月8日に届いたそうだ。
 投函されたのは、ポートロックロイのイギリス基地。消印は3月8日になっていたそうな。

 日本には何時届くのだろうと期待していたところ、我が家には4月23日に到着。
 自分自身は訪れていない地から投函された葉書、なんだか不思議な嬉しさに包まれて眺めてしまった(笑)。

 だけど冷静に考えると恥ずかしいよなぁ・・・。
 最初の2,3枚は、それこそ1枚に20分くらいかけてマトモな内容(?)をマトモな字で書いたのだけど、その後は揺れにまかせつつ勢いだけで書きなぐってしまっただけに、続々と入ってくる「届いたヨー」の報告に、赤面しまくり!

 もうあと2ヶ月もすれば来シーズンの南極ツアーの情報が旅行雑誌に登場かぁ・・・・。
 早いもんだな。こっちはまだビデオの編集も、もといホームページの公開も完全には終わってないのに。(^^ゞ

 *99/05/01 追記


後記