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レッド・ツェッペリン |
1969年発売
曲目
グッド・タイムス・バッド・タイムス、ゴナ・リーブ・ユー、ユー・シュック・ミー、幻惑されて、時が来たりて、ブラック・マウンテン・サイド、コミュニケイション・ブレイク・ダウン、君から離れられない、ハゥ・メニー・モア・タイムス
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ギター、バッキングボーカル :ジミー・ペイジ
リードボーカル、ハーモニカ :ロバート・プラント
ベース、オルガン、バッキングボーカル :ジョン・ポール・ジョーンズ
ドラムス、ティンパニー、バッキングボーカル :ジョン・ボーナム |
ヒンデンブルグ号が墜落するシーンをジャケットにしたこのファーストアルバムは、ヘビィーなツェッペリン号をイメージづけるのにじゅうぶんでした。
アルバム全体を覆っているゆったりとした感触は、「ゴナ・リーブ・ユー」や「時が来たりて」、「ブラック・マウンテン・サイド」といったアコースティックナンバーからきています。 曲の並べ方は巧妙で、例えば「時が来たりて」でフェイドアウトするとみせかけて、曲が終わらないうちに「ブラック・マウンテン・サイド」が割り込んでくるところとか、その曲が終わった0.5秒後に始まる「コミュニケイション・ブレイクダウン」などは、実にスリリングというほかありません。
驚嘆させられるのは、プラントのロックボーカリストとしての資質、ジョン・ボーナムのテクニックとセンスです。彼らの並外れたパワフルで安定したテクニックは、このアルバムで実証されました。
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レッド・ツェッペリンII |
1969年発売
曲目
胸いっぱいの愛を、強き二人の愛、レモン・ソング、サンキュー、ハートブレイカー、リヴィング・ラヴィング・メイド、ランブル・オン、モビー・ディック、ブリング・イット・オン・ホーム
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ギター、バッキングボーカル :ジミー・ペイジ
リードボーカル、ハーモニカ :ロバート・プラント
ベース、オルガン、バッキングボーカル :ジョン・ポール・ジョーンズ
ドラムス、ティンパニー、バッキングボーカル :ジョン・ボーナム |
デビューアルバムから1年も経たずに、その年の10月にセカンドアルバムが発売されました。ビルボードのチャートで、1969年暮れにはビートルズの「アビィロード」をTOPから落とし7週連続首位に居座ります。
ジャケット内側の、黄金色に輝く飛行船とサーチライト、メンバーの刻印が入ったモノリス、ジャケットは独国空軍の容姿をモチーフにしたもので、インパクトと存在感があります。
冒頭のロバート・プラントの咳から間髪を入れずに張り付くような粘り気のある感触のリフ、間奏の左右に激しく交差しせめぎあう音とエコー音、そして空間を切り裂くペイジのギター、プラントの絶叫はまさに官能的です。代表作「胸いっぱいの愛を」は、ペイジの必殺リフと逆回転エコー、プラントの叫びが散りばめられたロック界不滅の名曲です。
ツェッペリンのセカンドはロックアルバムの金字塔といってよいでしょう。 |
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 レッド・ツェッペリンIII |
1970年発売
曲目
移民の歌、フレンズ、祭典の日、貴方を愛しつづけて、アウト・オン・ザ・タイルズ、ギャロウズ・ボウル、タンジェリン、ザッツ・ザ・ウェイ、スノウドニアの小屋、ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ギター、バンジョー :ジミー・ペイジ
ボーカル :ロバート・プラント
ベース、マンドリン、オルガン :ジョン・ポール・ジョーンズ
ドラムス :ジョン・ボーナム |
これまでツアーに明け暮れながら同時にレコーディングという離れ業をやってのけた彼らでしたが、このサードアルバムはウェールズのコテージ「ブロン・イ・アー」で作曲され、腰を据えてじっくりと作品づくりにかかりました。
ジャケットデザインはカラフルな図柄で、中の円盤がクルクルと周り、くり抜かれた穴からメンバーの顔が見えるという仕掛けで、これまでのツェッペリンの重々しい雰囲気とは違って、アルバムのほとんどはアコースティックギターによる、フォークロックとなっています。
「貴方を愛しつづけて」は、スローなブルースナンバーで、粘りつくようなバスドラとスネアの音、そして乾いたトーンのギターと、オーソドックスですが斬新に聴こえます。
「ギャロウズ・ボウル」はこのアルバムのお薦めで、英国トラッドのバラッドという新境地への自信が読み取れます。続く「タンジェリン」は美しい旋律とともに味わいのある曲となっています。
サードアルバムは各メンバーが作曲、作詞、リフづくりに参加し、初めてツェッペリンとして本来の体制で完成したアルバムとして光を放っています。 |
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レッド・ツェッペリンIV |
1971年発売
曲目
ブラック・ドッグ、ロックン・ロール、限りなき戦い、天国への階段、ミスティ・マウテン・ホップ、フォア・スティックス、カリフォルニア、レヴィー・ブレイク
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ギター :ジミー・ペイジ
ボーカル :ロバート・プラント
ベース、オルガン :ジョン・ポール・ジョーンズ
ドラムス :ジョン・ボーナム |
4作目のジャケットには、薪を背負った老人の絵が朽ち果てた壁にかけられているデザインとなっています。
ジャケット内側にも文字らしきものがなく、岩山に立つ老人の絵しか描かれていません(この老人はタロットカードの「隠者」で、過去の自分との対話というような意味があります)。内袋には曲名と必要な情報は記載されていますが、タイトルのようなものはなく、その代わりにメンバー個々のシンボルマークが描かれており、このため通称フォーシンボルズとも呼ばれていました。
サードアルバムで見せたアコースティックムード一色といった雰囲気とはまた異なるものの、全体に落ち着いた雰囲気が感じられ、4枚目にして初めてツェッペリンの生身が垣間見えると同時に、力作であるのも事実です。
異彩を放っている「限りなき戦い」は、プラントとしての初のデュエット曲で、フェア・ポート・コンベンションのサンディ・デニーとの共演を果たしています。名曲「天国への階段」は、ジョーンズのリコーダーの美しいイントロから入り、途中からボンゾのドラムスが入るドラマチックな曲で、ペイジの構築されたギターソロとプラントの印象的な歌詞と共に、中期ツェッペリンがみせた魂の結晶です。
この時に収録されたと言われる「ブキー・ウィズ・スチュ」、「夜間飛行」、「ダウン・バイ・ザ・シーサイド」のほかに「ノー・クォーター」の初期バージョンもあったというのですから、この時点でツェッペリンは、古典的ロック、フォーク、ブキ、そしてプログレ風アプローチまでも視野に入れていたわけです。
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 聖なる館 |
1973年発売
曲目
永遠の詩、レイン・ソング、丘のむこうに、クランジ、ダンシング・デイズ、ディジャ・メイク・ハー、ノー・クォーター、オーシャン
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ギター :ジミー・ペイジ
ボーカル :ロバート・プラント
ベース、ピアノ・メロトロン :ジョン・ポール・ジョーンズ
ドラムス :ジョン・ボーナム |
ヒプノシスのデザインによる退色したかのような摩訶不思議なジャケットは、北アイルランドのジァイアンツ・コーズウェイが舞台となっています。彼らのアルバム作りにかける情熱は4作目から一段と深くなり、レコーディングをスタートさせてから1年後にアルバムが発表されるという事態にまでなりました。 そのアルバムづくりにかける執念は、またもやジャケットは文字なしのデザインとなって現れ、アルバムに白い帯をかけるということでレコード会社と合意し、発表に至っています。
アルバムの帯には「メロトロンの使用により更に巨大になったL・ZEPP」と書かれてあり、このメッセージが意味するところはレッド・ツェッペリンはプログレに踏み込んだというものでした(メロトロンが使われているのは「レイン・ソング」と「ノー・クォーター」)。
「ノー・クォーター」はこのアルバムの一番のお薦めの曲です。ジョーンズのピアノとずっしりと重いボンゾのドラムスと、無機質のペイジのリフ、沈んだプラントのボーカルが暗闇へと誘われるかのように響きます。
このアルバムはビルボードのトップ40に39週居座り続けたというファーストアルバムと同等の成績をあげていることも事実で、サウンドの良さとともにこの時期のツェッペリンは技量としてのピーク時にあったと推測できます。 |
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 フィジカル・グラフィティ |
1974年発売
曲目
DISC1(A面)
カスタード・パイ、流浪の民、死にかけて
DISC1(B面)
聖なる館、トランプルド・アンダー・フット、カシミール
DISC2(C面)
イン・ザ・ライト、ブロン・イ・アー、ダウン・バイ・ザ・シーサイド、テン・イヤーズ・ゴーン
DISC2(D面)
夜間飛行、ワントン・ソング、ブギー・ウィズ・ステュー、黒い田舎の女、シック・アゲイン
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ジミー・ペイジ
ロバート・プラント
ジョン・ポール・ジョーンズ
ジョン・ボーナム |
1974年ツェッペリンは、スワンソングというレーベルをつくり、6枚目のアルバムは翌年2月にスワンソングからリリースされ、初めてのダブルアルバムとなりました。
1974年はツェッペリンにとっての充電期間であり、68年のデビュー以来から初めてツアーのない年だったのです。
ジャケットはこれまで以上の凝ったデザインの豪華仕様で、ニューヨークのマンハッタンのアパートを元にしており、ジャケットは表と裏の窓がくりぬかれ、演劇、映画のシーンの人たちに混ざってメンバーが顔を覗かせているといった趣向になっていました。
このアルバムでは「流浪の民」と「黒い田舎の女」は「聖なる館」に収録のために録音されていて、いくつかの曲は過去のアルバム収録予定だったため、どこかしら以前のツェッペリンの匂いが感じられます。
南モロッコで休暇していたプラントが歌詞を書いたといわれる「カシミール」は、東洋的アレンジを加味したものです。シンプルで重厚かつメロディアスな「流浪の民」は、もともとはアコースティック・ブルースナンバーとしてリハーサルされたといわれています。野生的でルーズな味わいの「シック・アゲイン」は、このアルバムのラストに収まるべくして生まれたかのようなナンバーです。
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 プレゼンス |
1976年発売
曲目
アキレス最後の戦い、フォー・ユア・ライフ、ロイヤル・オルレアン、俺の罪、キャンディ・ストア・ロック、何処へ、一人でお茶を
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ジミー・ペイジ
ロバート・プラント
ジョン・ポール・ジョーンズ
ジョン・ボーナム |
75年にリリースされた前作「フィジカル・グラフィティ」は彼らの集大成的なアルバムでしたが、今度のスタジオ盤は今現在のツェッペリンの姿をそのまま表していました。
ジャケットにはヒプノシスによる黒いモノリスを登場させ、前作よりもそれほど期間をおかずにリリースされたこのアルバムは、ジミー・ペイジ監修のもとにギターサウンドを中心とした煌びやかなパワーに満ち溢れたアルバムでした。
実は、1975年8月にロバート・プラントが休暇中ロードス島で車の事故で重傷を負ったため、ツェッペリンは予定していたワールドツアーをキャンセルせざるをえず、ツアーの代わりにアルバム製作へと方針転換を図ります。このアルバム製作にかかった期間は18日間と言われています。完成は1975年11月でした。
このアルバムで最も注目を浴びるナンバー、ギリシア神話に登場する英雄アキレスをもとにプラントが作詞した「アキレス最後の戦い」。ペイジの華麗なフレージングが響き渡り、ボンゾの重量感のあるドラムスが構成力を保ちながら音を積み重ねていく様は圧巻です。
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 永遠の詩 |
1976年発売
曲目
[A面]ロックン・ロール、祭典の日、永遠の詩、レイン・ソング
[B面]幻惑されて
[C面]ノー・クォーター、天国への階段
[D面]モビー・ディック、胸いっぱいの愛を
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ジミー・ペイジ
ロバート・プラント
ジョン・ポール・ジョーンズ
ジョン・ボーナム |
デビューから7年目にしてリリースされたライヴアルバムは、73年のニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンの演奏です。
ステージの模様は映画「狂熱のライヴ(THE SONG REMAINS THE SAME)」で日本では77年に上映されました。
ロンドンのリハーサル・シアター、オールド・ストリート・スタジオ(1973年のUSツアー前に練習をした)をイラストにしたというジャケットは、これから始まるステージ開始前の静かなときを刻んでいるかのようでもあり、あるいは未来の姿なのでしょうか。
オープニング・ナンバー「ロックン・ロール」でいきなりパワー全開になります。キーを落として歌ったプラントと、ボンゾのシャッフルするドラミング、重心のある歪んだレスポールサウンドとベースに驚嘆させられました。
B面全てを占有して収められている「幻惑されて」は、ファーストアルバムにも収録の曲で、初期のステージからの定番です。
「胸いっぱいの愛を」は4人一体となって突き進む重戦車のごときで、途中のテルミンを効果的に使ったパフォーマンス、そしてお馴染みのプレスリーなどのメドレーもあり、たった4人から発せられる音の宝石箱がここにあります。
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イン・スルー・ジ・アウト・ドア
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1979年発売
曲目
イン・ジ・イヴニング、サウス・バウンド・サウレス、フール・イン・ザ・レイン、ホット・ドッグ、ケラウズランブラ、オール・マイ・ラヴ、アイム・ゴナ・クロール
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
ジミー・ペイジ
ロバート・プラント
ジョン・ポール・ジョーンズ
ジョン・ボーナム |
1977年8月のUSツアー中、プラントの息子が伝染病で急死したためツアーはキャンセルされ、一年以上の空白期間をおいて、レッド・ツェッペリンはストックホルムのスタジオでアルバムのレコーディングを開始します。
新作は1979年8月にリリースされました。前作スタジオ盤から3年ぶりの新作でした。合わせるようにしてネブワース・フェスティバルへも出演します。
ヒプノシスによる酒場の写真が印刷されたスリーブは6通りあり、外袋に入れてあるため、開封するまでどのジャケットかわからないという凝った仕様で、さらにレコード袋は水に浸けると色が出るという仕掛けがされていました。
「CAROUSELAMBRA」では、ジョーンズのキーボードに先導され、プラントが混沌とした心境を歌います。「IN THE EVENING」も混沌をどこか表していて、良いとき悪いときは順番に訪れる<運命の輪>を示唆しています。
このアルバムではジョーンズが指揮をとったとされていますが、プラントのカラーも色濃く感じられます。特に「ALL MY LOVE」は二人の合作で、甘美なフレーズをジョーンズとペイジが奏で、プラントが亡き息子への愛を歌い上げています。 |
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最終楽章
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1982年発売
曲目
ウィアー・ゴナ・グルーヴ 、プア・トム、君から離れられない、ウォルターズ・ウォーク、オゾン・ベイビー、ダーリーン、モントルーのボンゾ、ウェアリング・アンド・ティアリング
プロデュース :ジミー・ペイジ
エクゼクティブプロデューサー :ピーター・グラント
エレクトリック・ギター、サブ・オクターバー、電子処理 :ジミー・ペイジ
ボーカル :ロバート・プラント
ベース、ピアノ :ジョン・ポール・ジョーンズ
ドラムス、ドラムオーケストラ :ジョン・ボーナム |
突然の不幸はバンドの骨格であるジョン・ボーナムの死でした。
ツェッペリンは1980年12月4日声明を発表し、12年間のバンド活動に幕を閉じます。
「最終楽章」は解散声明後の約二年後にリリースされました。
アルバムには、過去の未発表曲がまとめられています。
「WE'RE GONNA GROOVE」は、熱く燃えるような曲で、1970年公演のオープニングナンバーでした。「I CAN'T QUIT YOU
BABY」は、1970年ロイヤル・アルバート・ホールでのステージのサウンドチェックの録音らしく、初期の勢いのある頃のパワーに満ち溢れています。
「BONZO'S MONTREUX」は、追悼曲とも思われ、1976年9月モントルー・マウンテン・スタジオでの録音で、それにペイジが処理を施しています。
華々しいロックシーンを駆け抜けてきたツェッペリンの終焉は、悲しい現実そのものでしたが、『ボンゾに代わるものは誰もいない』、ということが、彼らの出した結論であったのです。 |
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レッド・ツェッペリン解散後 |
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