出産後、退院まで

 子供たちは 保育器に入って「すやすや」おねんね。 私はいつの間にやら自分の病室のBETのうえで「すやすや」おねんね。
これが出産直後。暢気なもんだけど、私はパニックに陥ったために、お医者さんに寝かせて貰い、 その後熟睡体制に入ったのでした〜。そう・・・かなり、長いこと寝てたのよね〜。 
術後の点滴も処理も全部知らないもの・・・。子供たちに会ったのは 産後どれくらい後だったろ〜。
忘れちゃった。「初乳あげたい」と頼んだけど 安静第一と言われて あげられなかっのが、 一番の残念だった事。でも 子供たちを 順番に 病室に 連れてきて貰えるようになってから  初乳をあげたよ。
まだ 私は動けないので お乳の時間に一人ずつ連れてきてくれたの。 足首には 「
」「」と 書かれてあって、「区別が付くまで外さないでね」と 言われたけど、どっから見ても 全然似てないので 「こりゃぁ 大丈夫」と思った。
琴葉の時と違い、全然おっぱいが 張ってこないので 聞いたら「帝王切開は 体の回復の方へエネルギーが行くから他の人より 遅い」みたいなこと 言われたけど、   結局全然張ってこなくて
3ヶ月で断念。ほんとに残念だった。
もっとあげたかったなー。  これは 母乳育児がいい とか ではなくて、 個人的な趣味の問題だけどね。 だって 次産む予定無いし・・・・・。

夜中に
「授乳の時間ですよ〜」って放送で起こされて、授乳室通いをするのも、 なんだかすっごく楽しくて、やめられないのよー。夜中に病院の廊下を 歩き回るなんて 普通は出来ないじゃない?、
これは出産直後の特権だね。(って私だけか???そんなこと思うやつ・・・) 我が子は約2500グラムと2000グラムという 双子にしては 大きい方 だったので、保育器も空いてる間だけ入れて貰ったようなものでしたっ。 それでもやっぱり 2000グラムの赤ん坊って 小さいね〜。

パパさんと 名前は産前に二つ決めてて、どっちに付けるかは 生まれてから って 言ってたんだけど、どう見ても「こっちが笙花、こっちが絃菜だなぁ」って 思ってたら、パパさんも そうだったらしく 何にも もめずに決まっちゃいましたー。
笙花は笙花って顔してたのよー はじめから、・・・・そして 絃菜も・・・・。
不思議だねぇ〜。私たちが名前を考えたんじゃなくて、そうなることに決まってた みたいな錯覚を覚えたね。
「この名前にしてね」って 信号送ってたのかもしれない。あの二人。。。。

お腹は・・・・痛かった〜 麻酔切れたら もう 病人。くしゃみしても痛いし (アレルギー性鼻炎持ってんだわ私)、笑っても痛い。お腹にホッチキス みたいなの止まってるから服が擦れても痛い。トイレも行けないし、もちろん シャワーだって何時になったら浴びられるのかさえ解らない・・・。
3日ほどしたら、「そろそろ起きあがる訓練しなさい」と言われたけど、ベットに座るだけで 30分かかる。トイレは部屋の中にあるのに 到着するのに 小1時間かかる。
つまり、「あ トイレ行きたい」と思ってからでは間に合わない。
「そろそろトイレでも行っときますかね。」という ばぁさんの心境ね。

楽しかったのは 入院中の生活態度。 だって 1日中テレビは付けっぱなし、 雑誌は読み放題。のど乾いたらジュース飲んで、ケーキ食べて、夜は1時2時まで 深夜テレビ見て、翌日は昼までぐぅーぐぅー寝て、< 食事は栄養満点のものが 時間になると運ばれてくるし、もう 
極楽・極楽。
夏だったから「怪談特集」なんか見ちゃったり、朝なんて 点滴の針刺しに 来てんのに 起きないで寝たままの私。こんなこと もう2度と出来ないと 思ったから堪能させて貰いました〜。

悲しかったことは 一つだけ。長女に会えない寂しさが 一番辛かった。
連れてきて貰ってもいいんだけど、よくさー 「帰りたくない」って泣くって 聞いてたから、むやみにそんな悲しいことさせるのは可哀想なんで いっさい 退院まで連れてこないようにして貰ったの、で もう 会いたくて会いたくて・・・・。
写真見つめては 恋人を思う少女のように溜息ついてたなー。


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