自分の帝王切開を見るぞ

予定日は8月20日なんだけど、7月の後半になった頃から だんだんと動けな くなってきました。というのも 35週で 子宮低長が 36.5cm、 腹囲が  98cm 体重が 17.3Kg増という  とんでもない体になっていき、お医者さんからも体重増加注意を言い渡されて しまったのでした。
 おまけに 一番始めに出てくると予想される位置にいる子が 逆子になっていました。はぁ〜普通分娩をすると 最初に出てくる子(逆子の方)の 顎と、後から出てくる子(第2子)の顎とが、引っかかってしまう危険性が有るとのこと。 その時点で 緊急の帝王切開に切り替えるとするとお産がすでに始まってしまって いるので、子供も母親も 命の危険性が出てくるらしく、先生に最初から帝王切開で 行った方が良い。と言われてしまいました。あ〜ああ

私の行っていた産婦人科の先生は なるべく普通分娩をと 言う主義なので、 その先生が帝切にしようと 言うくらいだから 危険率は高いのだろう と 私も普通分娩に固執するのは止めました。でも あ〜あぁあ

38週に入った週にしようと言うことで、帝切予定日は 8月6日と決定しました。 しかし、 あと1週間というのが 長い長い。お腹の大きさが並じゅぁあないもんね。 だって ウエストが
1mも有るのよ〜。 自分の足下が見られない!!!そして この巨体を引きずって、当時2歳半の 上の子と買い物行ったり、お散歩行ったり、するんだけれど、5歩も歩けば もう 足の付け根が痛くて歩けない・・・。
ましてや暑い夏の真っ盛り 「はーはー」言いながらの毎日はそりゃあ辛かった。
そしてそして、今度は足がむくんでしまったのだぁぁああ。 どっから見ても
象の足もしくはサリーちゃん足
子供を長く長くお腹の中に入れて置いてやる方が良い とは判っているんだけど、 もうなんでもいいから早く産んでしまいたい。と言う気持ちが毎日のように 膨らんでいくのよね〜。

8月3日
 上の子を最後のチビッコプール(私の住んでいるところに無料のプールが有るの。 ただし小学生からは入れない。)に連れていったときは 監視員のおばちゃんに  あまりのお腹の大きさにぴっくりされちゃいました。そりゃあそだよねぇ

8月4日
 いよいよ入院。帝王切開するためには事前に検査がいるので、 ちょっと早くから入院して管理するのね。その日の朝 上の子(琴葉)は  何も知らずに ぐぅぐぅ寝ていました。今日から2週間もお母さんと 離れることも知らず。  今でも はっきり覚えてる。あの朝、琴葉が どんな格好で どんな風に 寝ていたか・・・・
 心音計ったり、胸部のレントゲン撮ったり、血液採取したり、と「私は病人?」 とも思えるくらいいろいろな検査をした。それも 重い重い体を引きずって・・・。
私はこの時の自分を
とど(海馬)みたいだったと今でも思ってる。

8月6日
 とうとう手術の日。「14時頃ね」と看護婦さん。「大丈夫だからね」と優しく 言ってくれてたんだけど、私は全然不安も心配もしていなかった。それどころか (今思えば お気楽な思考回路をしていたなぁ・・・と思うのだけど、)この時点で 私は手術をこの目で見てやろう!と密かに考えていたのよね。
 手術室に入って 背中に注射(部分麻酔というやつ)をして貰うのだけど、 まずここで難関・・・・。 看護婦さんが「猫のように丸まって下さい」と 言うんだけど指示に従えない私・・・。何故って? だって あのお腹で 丸まれるわけがない・・。普通に立つことも普通に座ることも 出来ないのにさっ。それで最後は看護婦さんが無理矢理私を丸まらせる ということになってしまいました〜。

 さて 
手術室。 私の右手には血圧計、左手には血管確保のための点滴、 お腹を囲むように台が置かれて、その上に緑色のシーツみたいなのを被せて、 さあいよいよ。うまい具合(?)に 被せてあるシーツは ちょっとずれてて お腹が見える。しめしめ自分の手術が自分で見れる と ここまでは 私は平静。
そして「試すから痛いかどうか言ってね」と先生。お腹に
つーっと針が 刺さっていくのが判る。故に「痛い」と言う私。もう1回打つのかな?とっころが 先生の次の言葉は「じゃあ始めます」なのだぁ。なんだってぇぇええ????  さあ 私はもうパニック。今思えば 針を刺して冷静に「痛いです。」と答える というのは 麻酔が効いていると言うことなんだろうけど、その時の私には そんな風に考える前にただただパニックに陥ったのだ。 
自分の体にメスが入っていく感覚も、ぐいっぐいっと お腹を広げてるのも 判るのよー!!  そして 
ごそって何かが引っ張られた気がした次の瞬間 「んぎゃぁ」。第一子の誕生です。感動?とおんでもない その時の私は パニックの頂点に達していたから、「痛い」「怖い」を小声で ぶちぶちぶちぶちぶちぶち と譫言のようにつぶやくだけで、 看護婦さんが見せに来てくれた 我が子の顔を見る余裕も何もあったもんじゃあ  ありませんでした。だって まだ もう一人を 引っぱり出してる最中なんだもの・・・。 しくしく・・・。 この時平常は低い私の血圧が 上がったり下がったりしたらしく、 先生が「大塚さん 生きてる?」なぁあんて聞くもんだから 「えっ??私は生きてちゃおかしい状態にあるの??」なんて考えちゃって、 よけいによけいにパニックになったのでした。
 2人目も無事引っぱり出されて、看護婦さんが見せに来てくれたときも 「はい・・見た見た」とだけ答えた私。(なんてやつ)
先生に
「全部終わったら寝かせてあげるからね」と言って貰い、その後 睡眠薬か何かで私はぐっすりと眠りの中に落ちていったのだぁ。
最初に考えてた 偉そうな事は 全然出来ませなんだ。目は常に 間違っても見ることの無いようずっと ずっと上を向いたままだったんだから。 ああ 情けない・・・。
 この時にね。私 決心したの。盲腸炎だけは 絶対ならんとこう!と・・・。 もう 部分麻酔は嫌だ!!絶対 嫌だ!!。何があっても 
嫌だ!!!!!!


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