大峯奥駈道縦走(吉野〜熊野本宮) 5月!
日時 2013年5月2日〜7日 天気 5月2日 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 登山コース(吉野・大天井ヶ岳・山上ヶ岳・弥山八経ヶ岳・釈迦ヶ岳・太古ノ辻・行仙岳・笠捨山・玉置山・本宮) 1日目 吉野駅 ⇒ 金峯神社 ⇒ 四寸岩山山頂 ⇒ 二蔵宿小屋 10時45分 12時30分(行動食20分) 14時45分(15分) 16時 歩数21581歩 (小屋泊) 2日目 二蔵宿小屋 ⇒ 大天井ヶ岳山頂 ⇒ 五番関 ⇒ 洞辻茶屋 ⇒ 山上ヶ岳山頂(大峯山寺) ⇒ 小笹宿 ⇒ 5時45分 7時30分 10時(20分) 10時55分(水補給) 阿弥陀ヶ森分岐 ⇒ 大普賢岳分岐 ⇒ 七曜岳 ⇒ 行者還避難小屋 ⇒ 一ノ垰手前 12時25分(水太覗昼食) 14時(10分) 15時15分(10分) 16時30分 歩数37987歩 (テント泊) 3日目 一ノ垰手前 ⇒ 奥駈道出合 ⇒ 聖宝ノ宿跡 ⇒ 弥山 ⇒ 八経ヶ岳山頂 ⇒ 弥山辻 ⇒ 6時 7時20分(10分) 8時10分(10分) 8時50分(10分) 楊子ヶ宿小屋 ⇒ 鳥ノ水 ⇒ 釈迦ヶ岳山頂 ⇒ 深仙ノ宿 11時45分 13時15分(行動食15分) 14時50分(25分) 16時 歩数24589歩 (風雨強い 小屋泊) 4日目 深仙ノ宿 ⇒ 太古ノ辻 ⇒ 地蔵岳山頂 ⇒ 涅槃岳山頂 ⇒ 証誠無漏岳山頂 ⇒ 阿須迦利岳山頂 ⇒ 6時 6時30分(10分) 9時45分(10分) 持経ノ宿 ⇒ 平治ノ宿 ⇒ 転法輪岳山頂 ⇒ 倶利迦羅岳山頂 ⇒ 行仙岳山頂 ⇒ 行仙宿山小屋 11時15分(20分) 12持15分(中又尾根分岐行動食) 14時 15時30分(30分) 16時10分 歩数 34586歩 (小屋泊) 5日目 行仙宿山小屋 ⇒ 笠捨山山頂 ⇒ 地蔵岳山頂 ⇒ 香精山山頂 ⇒ 貝吹金剛 ⇒ 古屋宿跡分岐付近 ⇒ 6時15分 7時55分(15分) 9時10分 11時40分(行動食30分) 奥駈道の記念碑 ⇒ 玉置山山頂 ⇒ 玉置神社 ⇒ 玉置辻 15時(10分) 15時30分(お参り・水補給30分) 16時30分 歩数 33087歩 (テン白) 6日目 玉置辻 ⇒ 大森山山頂 ⇒ 五大尊岳山頂 ⇒ 六道ノ辻 ⇒ 大黒天神岳山頂 ⇒ 七越峰山頂 5時20分 6時40分(15分) 9時(15分) 10時20分(昼食20分) 12時15分 本宮(備崎) ⇒ 熊野本宮大社 13時 13時35分 歩数 18986歩 山上ヶ岳…8 大普賢岳…11 八経ヶ岳…17 釈迦ヶ岳…7 私が北部大峰山脈主要峰の山頂を極めた回数です。 いつかは奥駈道縦走を 大峯を志す者にとって吉野から熊野本宮まで歩きたいと思う筈。 釈迦ヶ岳山頂より南方を望む。地蔵岳、涅槃岳、転法輪岳、行仙岳、笠捨山…その先どこまでも続く南部大峰山脈の稜線。 太古ノ辻で 幾度となく見た“これより大峯南奥駈道”と書かれた案内板 その先を歩きたいと思う気持ちが、この地に来る度に強くなりました。 昨年のGW、3泊4日で吉野から太古ノ辻・前鬼を歩きました。 歩き終えて、来年のGWは吉野から本宮まで走破したい。 ダメでも、まだ歩いたことがない南奥駈道だけでもを歩いてみたいと思っていました。 健脚の方で4泊5日、トレールランは2日・3日で走破する人がいます。 今回、もの凄いバケモノのような人にも出会いました。 私の場合、如何しても5泊6日が必要で、今年のGW後半の4連休、前後の平日2日間を職場に無理を言って休ませて貰いました。 目指すは、大峯奥駈道の終点、熊野本宮! 大峰山脈を走る縦走路「奥駈道」は1300年の歴史がある山岳古道で大峰七+五靡と呼ばれる修験道の霊場があります。 この「奥駈道」が「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつとして2004年に世界遺産に登録されました。 特に南奥駈道は、歩く人もまれでスズタケで覆われていたらしいです。 “新宮山彦ぐるーぷ”の皆さんが、古道を整理され、今も管理・修復されています。 行仙宿小屋に泊まらせて頂き、小屋番でもある皆さんとお会いする事が出来て、当時からご苦労されたお話を聞きました。 1日目です。 5月2日早朝、この日に片付けないといけない仕事をした後、近鉄電車で吉野駅に向いました。 午前10時半に吉野駅に到着。 準備運動をして10時45分70gの重いザックを背負って出発です。 重くて前屈みにしか立てません(苦笑) 本宮まで辿り着くやろか… 行ける処まで行ってダメなら何処かでエスケープしょう。 吉野中千本付近のお土産屋さんや「柿の葉すし」「だらすけ」のお店の前を通り、お店の方に「何処までですか?」と尋ねられ「本宮です。」と言うと 「頑張って下さい。」とお会いする皆さんから元気を頂く。 吉野警察の派出所に登山届を提出、吉野桜の奥千本にある金峯神社へ、お参りして無事に本宮まで辿り着くことをお願いします。 青根ヶ峰を過ぎて四寸岩山(1235m)へ 昨年は、雨が降り、この先ず〜とレインウエアーを着て2日間歩きました。 今日は、肌寒いけど曇り空で歩くには丁度いいです。 南方が展望できる稜線に出ると大天井ヶ岳が望め、その後方稲村ヶ岳や山上ヶ岳は霧氷で白い。 昨日、洞川から入り山上ヶ岳から歩いて来たという単独さんとお会いして聞くと、標高1500m以上は、強風が吹き雪やみぞれが降っているらしい。 本日の宿泊地、二階宿小屋に午後4時に到着。 先客の初老の単独さん1人。 私と同じで本宮を目指していて、昨年も本宮まで歩いたらしい。 停泊地も私とほぼ同じで明日は行者還避難小屋まで、テントは持っているが、基本的に小屋泊まりらしい。 私は、その次の日は深仙小屋に早く着きたいので、行者の水を汲んで一ノ垰の廃小屋辺りまで歩きテン泊予定であることを言うと 「大丈夫やで、行ける行ける。一緒に行者還の小屋に泊まろう!」 この初老の男性、次の日は私より1時間早出の5時前に出発して大普賢岳の先、水太覗でお会いしましたが、その先でお会いすることがなくて 行者の小屋にも居ませんでした。 夕方6時頃、もう一人単独さんが、入って来ました。夕食を作っていて着替えの服が、ペットボトルの水を零して濡れた?とかで朝引き返すと言ってました。 近くに水場はありませんが、この小屋にはロフトに毛布が置いてあり、冬場に樹氷を観に大天井ヶ岳に登っても泊まれそうです。
二階宿小屋を5時45分に出発、2名は先に出ました。 先ずは、大天井ヶ岳を超えます。 この山は、逆コースの五番関から登ると隠れピークがいくつもあって割としんどい山です。 五番関まで下り、砂地の崩れかけた急なトラバース道を歩き、広い尾根の登りを超えます。 早朝3時に行われた大峰山寺の戸開式に参加された行者さんと会うようになり「よう参り!」とお決りの挨拶。 岩場の長いクサリ場を過ぎて、清浄大橋から来た道と合流し洞辻茶屋で一息。 温かいお茶を頂き、大きいザックを背負っていると色々と聞かれます。 「何処まで」「「ザック何リットル、何キロぐらい?」とか 「持たせて」と言って背負う人も「これ背負って吉野から」と目を丸くする行者さんも 西ノ覗付近から霧氷が融けて、みぞれが降っている様な樹林帯の中を歩き大峯山寺に到着。寺には、数組の行者や登山が休憩していました。 樹木のない山上ヶ岳山頂では、みぞれまじりの雪が舞っていました。 寒かったです。 小笹宿で水分補給、スポーツ飲料の粉末を融かして行動水1リットルを作る。 阿弥陀ヶ森分岐にある結界門をくぐり大普賢岳へ、今回も大普賢岳の山頂を踏まずにトラバース道を歩き水太覗にお昼過ぎに着きました。 ザックのウエストベルトで胃を圧迫して長時間歩くので食欲がなく食物が受けつけません 行動食を水で流しこみます。 二蔵宿でご一緒になった初老の男性を大普賢岳に登られた間に追い抜いてしまい、此処でお会いしました。 同じ本宮を目指す横浜から来た単独さん、言葉数が少ない人で小屋に入らずテン泊で縦走、今日は私と同じで荒廃した避難小屋までと言っていました。 避難小屋が風除け、テントが2張りが限度で早く着いたものが張れそうです。 水場で3g給水して行者還避難小屋に3時頃到着。 外にテントが2張り、小屋の中には男性1人寝ていました。 後から着いた40歳ぐらいの単独男性に挨拶されて、私に話しかけてきました。 モンベルの相当年期の入った古い60gぐらいのザックを背負って、今日吉野から歩かれ楊枝ノ宿小屋まで行く予定だったとの事。 大普賢と行者還の山頂に登らなければよかったと言い、今日は弥山までか〜 まだ先まで行きたいなぁ〜と言ってました。 1日で吉野から弥山、バケモノみたいな人がいますね! バイケンソウの緑だけが目立つ稜線は風が強く吹いています。 1時間ほど歩くと単独男性とすれ違い、一ノ垰まで行ったけど風が強くてテントを張る場所が無いので、仕方なく行者還避難小屋まで戻るらしい。 廃小屋前にテント1張りあったとの事 横浜の人かな? 私も廃小屋は諦めて、途中に大木が根こそぎ倒れて風避けになる所を見付けており、そこまで戻るか、先で探すか 考えながら歩いていると木が重なり合って風避けになり、丁度ソロテントの張れるスペースがあるので、ここに決めました。 (行者還トンネル西口へ下れる分岐近くで、僅かな踏み跡がありました。) テントの張り綱を木に縛って風から守ります。 夕食を済ますとすることが無く、寝てしまいました。 夜中に足音が聞こえるぐらいシカが近くまで来ました。シカの鳴き声と風の音で何度も起きました。
4時30分に起きて5時30分までに出発しょうと思っていましたが、寝過ごしてしまい5時10分に起きました。 朝食は棒ラーメン、普段はパンとコーヒーです。 朝からラーメン、普段の生活では考えられないですが、直ぐにできて食べやすい物、5泊分のパンは嵩張って持参できません。 賞味期限もあるしね。 撤収して6時10分歩き始めました。 テン泊の場合、如何しても食事と撤収に1時間掛ります。 奥駈道出合まで来ると、トンネル西口から登って来られた登山者で賑やかになります。 挨拶を交わしたり話をしながら進み聖宝ノ宿跡でザックを下して大きい休憩。 一息入れた後は弥山まで一気に登ります。 登山者の多さにびっくりです。 弥山小屋のトイレで用を足し八経ヶ岳へ 8時45分八経ヶ岳山頂です。 少し霞んでいるけど、この時期としては、展望良。 本日、目指す釈迦ヶ岳も霞んでいます。 周囲の人に写真を撮って貰い先へ 暫く行くと右足の裏が痛くて弥山辻で登山靴を脱いで休憩。 最近、下りで痛くなることがあります。慣れた金剛山でも下山時に痛むことがあります。 マッサージして休憩したり、鎮痛消炎効果のあるスプレーを使うと治りますが、また痛んでくることがあります。 明星ヶ岳のトラバースを過ぎて奥駈道の崩壌個所へ、毎年崩れが酷くなっているように思います。 そのうちの歩けなくなるかも、特に雨天時は、足を滑らして奈落の底、気を付けないと怖い所です。 舟ノ垰で横浜の男性が昼食をしていて、私のテン泊した場所と今日出発した時間を聞いてきました。 彼は、予定とおり一ノ垰の廃小屋の強風が凌げる所でテン泊をして5時30分出発、今日は天狗平でテン泊の予定と聞いた。 後で思いましたが、千丈平の間違いだったかも? 天狗平には水場が無くて、私がテン泊予定である深仙ノ宿の水場の場所と水量が少なくて、もし器に水が溜まっていなかったら だいぶ時間が掛かることを教える。 天狗平まで行くなら この先、この方とは、もう出会うことは無いでしょう 舟ノ垰の先、七面山が望める場所の崩れもどんどん進んでいるようで、何時か迂回して歩かなくてはならないのでは 黒い雲が広がり天気が怪しくなってきて、雨が降ってきました。 レインウエアーを着て、ザックカバーを着けます。 弥山から歩かれ前鬼に下りる男性とお会いし、暫くお話しながら一緒に歩きました。 孔雀の「鳥の水」で喉を潤し、洗顔も… 釈迦ヶ岳が大きく望める様になってきましたが、ここからが中々大変です。 何度も歩いていますが、雨の中を70gのザックを背負って、クサリ場、ロープ、急な岩場、やせ尾根のポールなど嫌な難所を過ぎると 最後は、山頂までの急登 ゼイゼイ言いながら、登りきると釈迦ヶ岳山頂です。 今年もお釈迦さまにお会いすることが出来ました(^^) お釈迦さまが、笑い顔で迎えてくれました。 ありがとうございます。 雨は小降りになりましたが、空は黒い雲で覆われ、今日歩いてきた山々の稜線だけ望めます。 太尾登山口から登って来られた方に記念写真を撮って貰い、ブナ林の笹原を一挙に下ります。 深仙ノ宿には予定とおり4時前に到着。 お堂の前にザックを置いて深仙小屋の中へ、先客3名いました。挨拶をしてお話を、2名は雨宿りで前鬼に下りるらしい。 この小屋は、4〜5人しか寝るスペースがありません。 今日は、テン泊の予定でしたが、雨が降っているし、明日濡れて重たくなったテントを背負うのが嫌やし…イジケテシマイ小屋泊に 少し離れた崖の近くに犬連れの男性のテント1張りがありました。 弥山から歩かれ前鬼に下りられる男性が4時半ごろ着きました。 前鬼の小仲坊に予約されているらしい。 雨宿りの2名と5時頃に前鬼に向いました。 太古ノ辻まで30分、そこから前鬼まで地図では下り1時間30分となっていますが、如何しても2時間かかり暗くなるので、 気を付けて下さいと言って、もう一人の小屋泊と3人を見送る。 前鬼までは、目印のテープが多くなり歩きやすくなりましたが、谷が広く大きい森でテープを見落として迷ったら本当に怖いです。 (私、下山時に暗くなって 経験あり) 濡れたレインウエアーをロープに吊るして、水を汲みに行きます。 器にいっぱい溜まっていたので漏斗を使いウォーターバックへ 小屋に戻ったら初老の男性が到着していました。 前鬼から登って来られ、明日は行仙宿小屋泊まりで私と同じです。 前鬼からもう一人男性が登って来ました。 小屋に入るか迷っていましたが、新しく買ったテントを張ってみたいと言って テン泊されました。 夜、雨が止んで風が出てきました。風は益々強くなり、ゴウゴウと音が鳴り響き、もの凄い強風です。 12時頃、気になったのでテントの様子を見に行きました。風で立って歩けません 私「大丈夫ですか?」と聞くと「怖くて外に出れません」「テントの状態見ますね!」「お願いします。」 テントはモンベルの“クロノスドーム”3型 ペグはVペグではなくてアルミの棒ペグで風上のペグは抜けていました。 私「ロープに石を噛まして固定しますね!」 「お願いします。」 周囲を石で固定して「これで大丈夫と思いますが、ダメならポールを抜いて下さい。小屋に避難して下さい。」と言って 犬連れのテントへ 私「大丈夫ですか?」「はい、ここは風の通り道で無いのですが、テントの周り見て下さい。」 私「見ましたよ。問題無いと思います。」「ありがとう」 小屋に戻る。 東の空が少し明るくなる4時ごろまで強風が続きました。 山では、天気が回復する時、強風が吹くこと多いです。
大台から昇るご来光を望み、朝食を摂ります。 テン泊の男性は、昨夜は怖くて寝れなかったのでしょう。 まだ、ぐっすり寝ています。 今日同じルートを歩く前鬼から登って来られた男性は、とっくに出ました。 私は、6時、相変わらず遅い出発。 30分ほど歩きます。 太古ノ辻です。 これから先は南奥駈道。 初めて踏む地… 山は低くなっていきますが、アップダウンの繰り返しの縦走道で南奥駈道の方がキツイ歩きと聞きます。 登山者も少なくなります。 昨年は、ここで前鬼に下りました。 歩き始め吉野でお会いして、ここまで一緒に歩いた東京から来られた親子(子供さんは小学校2年生)は、本宮を目指して進まれ別れました。 シロヤシオと草原の緩やかな稜線歩きが続きます。 6月頃、新緑とシロヤシオの白い花が咲く頃、もう一度訪れてみたい所です。 振り返れば、釈迦ヶ岳のきれいな山容を望め気持ちの良い歩きです。 昨日までと違って天気が良くなると強い日差しで暑くなり、こまめに水分補給しながら歩きます。 横浜の男性がテン泊したと思われる天狗平は、広い草原です。 昨晩は、風が強かったのか? 今日は何処まで行く予定なのか? もう、この先追い付く事が出来ないでしょう。。。 嫁越峠を過ぎると急な道を30分ほど登ると地蔵岳です。 ここまで南下するとミツバツツジが咲いています。 証誠無漏岳を越えて阿須迦利岳の登りで登山道を修理している年配の男性にお会いしました。 作業道具と木材を背負って登山道を直しておられます。「ありがとうございます。」とお声を掛けると笑顔で挨拶してくれました。 阿須迦利岳の山頂でザックを下して休憩していたら登って来られ、お話をすると穏和な方でした。 笹の急坂を何処まで下るのと思うほど下り切ると持経ノ宿に到着。 着くなり女性が、「コーヒー入れますので休憩して下さい。砂糖は入れますか?」 私「あ、はい」 「そこに僅かですが、ハッサクも置いてますので、どうぞ(^^)」 私「ああ、ありがとうございます」と言うのが精一杯で親切と言うか、 山中に若い女性が居て、こんな優しい“おもてなし”が、あると思っていなかったので、少しの間、ビックリと戸惑いでキョトンとしていました。 コーヒーとハッサク、本当に美味しかったです。 小屋番は他2人の男性が居て、薪を割ったり昼食の準備や部屋を片付けたり、 そこへ、登山道を整備していた方も帰って来られ、皆さんの楽しそうな会話を聞いているだけで気分は、ホットしました。 その皆さんの写真を撮らせて貰っていたら、一緒に撮ろうとなって、先ずは女性と次に小屋番の方と撮りました。 皆さん、本当に親切で気さくな方々でした。 一度林道に出て登山道に入り、ミズナラの巨木を見て、平治ノ宿に着きました。 誰も居ない無人の小屋ですが、中が整理されていてとてもきれいな小屋でした。新宮山彦ぐるーぷの皆さんが、きれいに管理されています。 相変わらず巻道なしの山の形状とおりに上がったり下がったりの繰返しで、進む方向を見るだけで疲れが増します。 転法輪岳、倶利加羅岳を越え「折角上がったのに、また下るの、もう勘弁して〜」「んで、あそこまで登るん」「もう嫌や〜」と言ってしまいました。 アップダウンを何度も繰り返して、急坂をヘナヘナになりながら登り切ると電波塔などの施設があり、もう少し先まで登ると行仙岳山頂です。 ここは携帯が繋がります。 2日振りに電源を入れると着信メールや伝言(殆どが仕事関係) 先ずは、かみさんに電話して元気に歩いていることを言う。 その後、仕事の着信をひとつひとつ処理するのに30分以上掛かりました(^^ゞ 予想はしていましたが、山中で仕事の相手との話は嫌ですね! 山頂から30分ほど下ると行仙宿山小屋に到着、16時10分、本日は小屋泊です。 小屋に入ると7〜8人の男性と女性が1人いました。 「後ろで誰か歩いていましたか?」聞かれ 私「後ろの事は、ちょっとわかりませんけど」 「そうですね!」と 「そしたらソロソロ夕食の準備しょうか」女性が「鍋に火を入れます。」 話をしていると深仙を先に出た初老の男性が、ポリタンを背負って入って来ました。 男性「結構キツイですね!往復30分かかりました。」 小屋の人が「あなたも汲みに行きますか?」 私「あっ、はい」 (この段階では、何がどうなのか まったく理解していません。キョトンとした顔をしていると) 小屋人「泊る人は、自分の使う水を汲みに行って貰うようにしています。今日は水が十分あるので、もういいですわ」 私「自分だけ行かないのは、気が引けます。行かせて下さい。私の為、食事が遅れるのなら食べて下さい。」 小屋人「待ちますよ!」 私「直ぐ、行ってきます。」 小屋人「昨晩は、登山者が多かったので山菜の天ぷらだけやったけど、今日は少ないし山彦のメンバーも揃ったので、川魚や特別に伊勢海老も 調達できたので楽しみやで」と言う。 7gのポリタンを用意して貰う。深仙からの男性が「ストックを持った方がいいよ」と教えて貰う。 急勾配に木や鉄階段、ロープにクサリ場を下りる。 10分ほど下ると岩の割れ目から僅かに水が落ちて堰き止めた所に水が溜まっています。漏斗を使ってポリタンが満タンになるまで水を入れます。 満タンのポリタンを背負って戻ります。一日歩いた後のこの急坂はキツイですが、私のザックに比べたら軽いです。 それに皆さんが待っていると思うと一挙に登り小屋へ 「ご苦労さん」 「なぜ、水汲みをして貰うか? 雨の多い大峯・大台でも、歩いていてご存じのとおりで水場は少ないでしょう。水の大切さを分かって欲しいからです。」 今日の登山者は4名。 前鬼から登り深仙からの同ルートの人。 明日は、4時半ごろ出発して下北山村の浦向に下りてバスで帰る。 何処から登ったか分からないですが、本宮を目指す姫路から来た72歳の男性。 日本百名山完走し、明日は玉置神社に宿泊の予約しているらしい。 もう一人は、和佐又から登られたトレールランの方、62歳で明日は、本宮まで走るとの事。 そして、私の4名です。 “新宮山彦ぐるーぷ”代表の玉岡さんが、挨拶され「カンパイ」 玉岡さん「山菜の天ぷらやお酒はあるけど、ご飯は炊かないので各自用意して下さい。」 10種類ぐらいの山菜の天ぷらが、次々と揚げられて頂きました。 おいしかったです。 お酒は、弱いので普段は仕事関係の付き合いで飲む程度ですが、今日のビールは格別美味しかった。 日本酒も頂きました。 最後は、伊勢海老が入ったお味噌汁。 おなかいっぱい頂きました。 小屋帳に記入し登山者と山彦の方も自己紹介しました。 以前は南奥駈道を歩く人は稀でしたが、新宮山彦グループが整備され登山道として復活し玉置神社までの間が長いので持経ノ宿、平治ノ宿、 行仙山小屋を建てられました。 当時の苦労話など聞き、今も行者や登山者が歩き易いように修復整備されています。 私以外は、朝4時起きなので8時前には宴を終えました。山彦の方々は別な所で宴会。 トレールランの方と話が弾み、シェラフに入ってコソコソと2人でお話を、その内に夢の中へ… 夜中に目が覚めると吐気と頭痛で気分が悪い、缶ビール2本だけなら大丈夫でしたが、日本酒が効いたみたいで完全にダウン(>_<) 明日は、南奥駈道の核心部へ、地蔵岳付近の岩稜地帯越え、二日酔いで大丈夫やろか(-_-)!!
皆さんが出発された後、5時ごろシェラフから出ました。 行動食用のソイジョイとドライフルーツを無理やりコーヒーで流し込みましたが、吐気で気持ち悪いです。 山彦ぐるーぷの皆さんも朝食を 皆さんの話を聞きながら出発の準備をします。 昨年の東京から来た親子のことを聞いてみました。 女性の方が覚えていて、ここに立ち寄って暫く休憩を取って先に進まれたらしい。 お父さんにコーヒーを入れて、子供さんにジュースをあげるとお父さんの顔を見て、お父さんが「頂きなさい」と言うと 子供さんは、美味しそうに飲まれたらしい。 6時15分、今日も遅い出発です。 皆さんから「また、来て下さい。」 私「来年のGWに、またオジャマします。」 最初に越える山は、笠捨山。 洞池の横を歩いて鉄塔の横から急坂を下ります。 ひと汗掻くと二日酔いの体も歩きモードになって、頭痛の治りました。 朝起きた時は、歩けないかもと思ったりしましたが,マシになって良かったです。 んで、勝手なもんで、スゴクお腹が空いてきました。 昨晩は、山菜の天ぷらでお腹いっぱいになりましたが、油で胃が膨れただけで山菜(葉っぱ)では、お腹が空いてパワーも不足気味です。 登り返して老杉の前を通り、3つのコブを忠実に越えて、最後に一気に登り返すと双耳峰の間出て東峰には登らず二等三角点がある西峰に着きました。 笠捨山山頂は、西から南が開けていて眺望が良いです。 ここで休憩して眺望を楽しみながら行動食を摂りました。 山頂から一気に下って杉林の葛川辻へ、単独男性と会いましたが、挨拶しても無視されました。 今日の歩きで出会ったのが、この男性と古屋宿跡分岐で休憩をしていて抜いて行かれた縦走単独男性の2人だけです。 尾根筋を進むと蕾が膨らんだシャクナゲの木が多くなり“、本日の核心部”へ 南奥駈道の難所に入ります。 岩肌を攀じ登って、木の根っこを持ったり、クサリも出てきて槍ヶ岳の石標を見て次のピークが地蔵岳山頂。 地蔵岳山頂からまだまだ険しい難所が続きます。写真を撮る余裕も無く、次から次に出てくる課題を慎重にクリアーしていきます。 でも、スリルがあって凄く楽しかったです。 大きなザックは、重いだけで無く枝に引っ掛ったりして大変ですが、70gのザックに荷物を全部入れて歩いています。 大峯は、樹木の中を歩く事が多くザックにテントマットなどを括り付けている人がいますが、木の枝に引っ掛ったりして転んだり、 岩場では滑落の原因になったりします。 特に、この地帯は、脆くて崩れ易い急な岩場にシャクナゲの木のトンネルを潜って進む様な所があって、本当に気を付けないと怖いです。 昨晩、山彦ぐるーぷの玉岡さんが、地蔵岳の岩が何時か崩れてしまい登れなくなるのでは、と心配しておられました。 香精山までは、時たまロープ頼りの急坂もありました。 大きな岩がある貝吹野を過ぎて、鞍部の貝吹金剛には金剛童子の石柱が立っています。 長い長い緩やかな尾根筋の下りが続き、自然とスピードが出て勢いで歩き続けると右足の裏が痛くなってきました。 古屋宿跡の分岐で休憩。登山靴を脱いでマッサージをした後、バンテリンを塗り込みます。 玉置神社は、まだまだ先です。 行動食を摂ってサプリメントを飲んで、ザックを枕にして落葉の上で横になると意識が無くなり寝てしまいました。 足音で目が覚め、その横を単独男性が抜いて行きます。 今日2人目に出会った方、私と同じ考えで玉置神社の先、出来るだけ遠くまで歩いて大森山付近でテン泊の予定らしい。 次の日が楽で、早く本宮に辿り着き「帰りたい。」 30分ほど休憩して歩き始めます。 標高1000mを切ると杉林や松、楢の木が多くなりました。 自宅の裏山、岩湧山のカキザコや滝畑から槇尾山へのボテ峠付近のダイトレを歩いている感じの道が続きます。 玉置神社への車道を何度か横断し、道の路肩には、ネットで縦走した方のHPやブログでよく見た画像「世界遺産大峯奥駈道」の記念碑がありました。 その後に展望台があって熊野灘まで望めます。 美しいブナの大木がある林 “かつえ坂”を登るとシャクナゲの群生地があります。 ピンクの花が咲き、ミツバチが飛び交う中を通り抜けると玉置山山頂(1076m)に着きました。 山頂には、一等三角点があり、熊野の山々とここからも熊野灘が望めました。 大きな杉が茂るうっそうとした森を下って玉置神社へ 玉置神社にお参り、ここまで来れたお礼と無事に本宮まで辿り着く事をお願いしました。 4時前なのに参拝者が結構多いです。 社務所に行き、お守りを買って水を貰いました。 行仙宿小屋でご一緒だった方と会いました。 この方は、玉置神社に泊まります。普通は宿泊できないらしいですけど、事前に予約していたらしい 宮司さんからテント泊するなら駐車場でもと勧められましたが、まだ4時なのでもう少し先まで行くことを言うと、本宮辻でテントを張っているのを 見たことがあるとの事。 社務所の女性から「お下がりですが、みかん どうぞ!」と甘夏を頂きました。 山彦の玉岡さんから玉置神社のスタッフは、その日によって違い、登山者に対して無愛想な方がいると聞いていましたが、 今日は本当に親切で優しい方々でした。 携帯が繋がるのでかみさんに連絡して、もう少し先まで歩きます。 食料を消費し少し軽くなったザックですが、夕食と明日の本宮までの水3.5g入れると肩にズシッと重く感じます。 巨木が林立する小道を歩き、林道と交差する本宮辻に出ました。 車が通ることも殆ど無い様で西からの強風も遮られた所で、木ベンチもありここでテン泊することにしました。 テントを張って夕食の準備、最後の夕食 アルファ米が中心の食事でしたが、今日は無洗米を炊いてレトルトのビーフカレーとウズラの燻製たまご、フリーズドライのクリームシチューもしました。 それと玉置神社で頂いた甘夏です。 お腹いっぱい食べて、後は寝るだけ 明日は最終日、本宮までです。 車が2〜3台通り、シカの群れが近くまで来て起きましたが、朝4時過ぎまでぐっすり寝れました。
4時15分起床、最終日 外は少し明るく、ヘッテンなしで作業できます。 今日も良い天気で暑くなりそう 朝食の棒ラーメンを作りながら片付けをして、食後にコーヒーも飲み5時撤収完了。 玉置神社に宿泊された方が先に行かれ、昨日古屋宿跡で休憩していた時、抜いて行かれた人も行かれました。 大森山まで行かずに神社の駐車場でテン泊されたと言っていました。 私も後追うように出発、林道を離れて、最初は緩やかな登りもクネクネした急な坂になり、ゼイゼイ言いながら大森山の山頂に着きました。 ここで玉置神社に宿泊された男性が休憩していて暫しお話を 姫路から来られた72歳の男性で百名山は既に登られ、今は関西の縦走道を区分けして歩かれているらしい。 玉置神社で “めはりずし”のお弁当を貰ったが、一人では食べ切れないと言われ一握り頂きました。 本宮発の新宮行き2時10分のバスに乗れば、今日中にお家に帰れるらしく、一緒に帰りませんかと勧められました。 この男性より先に大森山を出て登り返して三角点(1045m)を踏みます。 この先1000m越えの山はありませんが、相変わらず忠実に山の形状通りのアップダウン道が続きます。 日が昇って益々暑くなり水分を小まめに摂りながら進みます。 突然、道に大きなヘビが現れて、石や枯れ枝を投げても退いてくれません 120cmぐらいのヤマカガシ?では、猛毒の持主 仕方ないので登山道の斜面を下りて大周りして道に戻りました。 五大尊岳(825m)、大黒天神岳(573m)を何度も登り返しながら山頂を越えます。 鉄塔がある西側の開けた尾根筋に出て、眼下には大きく蛇行した熊野川が望めました。 6日間歩いてゴールの熊野まで出て本宮町が見えます。 この大河を見て自然と涙が溢れてきました。 感動と達成感、涙が止まりません 暫く涙を流しながら歩きました。 吹越山で休憩 頂き物で昼食 “めはりずし”と甘夏の残り、美味しかったです。 頂いた姫路の男性が追い着いて、話をして先を行きました。男性「2時10分のバスに何とか間に合いそうですね!」と言って 最後のお山、七越峰(262m)まで辿り着きました。後は熊野川の備崎まで下るのみ、登りがないからアップダウンはないと思うと安心してしまう。 ここまで来て、分岐を誤って東の方に15分ほど下りて気付き、七越峰まで戻って備崎へ、最後の最後で間違ってしまいました。 下りに下って熊野川の河原に出てゴールです。 暫くの間、ぼ〜と立ったまま、川の流れを見ていました。 その後、もうこれ以上は山道を歩かなくていいと思うと安堵感からかザックを下して河原に座り込んで青い空を見上げていました。 無事、大峯奥駈道縦走しました。 吉野から歩き、大天井ヶ岳より見た北部主要峰の1500mより上は霧氷で白く、山上ヶ岳では、みぞれまじりの雪が降りました。寒かったです。 毎年遅くまで残雪がある弥山辻辺りでは、今年も結構残っていました。 南奥駈道に入るとミツバツツジの花が咲き、玉置山や玉置神社ではシャクナゲの花が満開でした。 今、熊野本宮に入って七越峰からの下りではセミが鳴き、熊野川沿いの田んぼでは田植えが始まっています。 紀伊半島を南下に伴い、季節も加速して変わっていきました。 はじめて歩いた南奥駈道は、果てしなく続くアップダウンと奈落の底がいっぱいで、油断の出来ない巻き道やクサリ場の連続もありました。 かみさんに連絡して無事走破したことを報告。かみさんには、本当に心配掛けた1週間でした。 熊野川に架かる長い橋を渡って、R168の歩道をテクテク歩き、熊野本宮大社へ それにしても暑いです。 日差しが強く首筋がピリピリと焼けるのが分かり、アスファルトの照返しが強くて陽炎で自動車や建物が屈曲して見えます。 本宮は山の中でも紀伊半島の南部、バスで1時間ほどで新宮、そして熊野灘ですものね! 奥駈道を歩きながら冷えたコーラが飲みたいと思っていました。 普通は、キンキンに冷えたビールですが… ね(^^ゞ ガソリンスタンドの自販機で缶コーラを買い一気に飲み干しました。 ぷぁ〜冷たくて美味しい! もう1本買って、火照った首筋や顔に付けます。 気持ちイイ〜 それをガソリンスタンドの従業員さんが見ていて、目が合い「お疲れさんでした。」と言ってくれました。 私「ありがとうございます。 ところでバス停は何処ですか?」 従業員さん「ここバス停ですが、大社前から乗りはったら」「大社前のお店のおばあちゃんが、バスのこと親切に教えてくれますよ。」 熊野本宮大社前に到着。 姫路の男性がいました。 男性「お疲れさん」「時間がないのでお参りせずに土産だけ買って帰りますわ! どうします?」 私「ソフトクリームを食べたいので、そこのお店に入ります。」 男性「ほんじゃ 私、バス停で待ってますわ!」 大社前のお店のおばあちゃんにソフトクリームを頂いて、お土産もここで買いました。 バスのことを聞くと「そやなぁ〜 2時50分の白浜行きのバスに乗ったら4時に着きます。白浜発4時25分の特急くろしおに乗れますよ」 私「白浜行きのバスがあるの?」 「はい」 姫路の男性には、悪い気がしましたが、2時10分の新宮行きのバスを見送りました。本宮大社にも参拝する事が出来ました。 参道入口で新婚旅行で来られた旦那さんより「奥駈縦走ですか?」 私「はい、吉野からです。」 旦那さん「すごいすねぇ〜」 旦那さん「私も山へよく行きます。奥駈は何時か歩きたいと思っています。ザック持たせてくれませんか?」 「こりゃ重いわ」 私「食料が殆ど無くなったのでだいぶザックがスボンでしまいましたよ。 最初は70gで24`オーバーでした。」 平日なので参拝者は少ないです。 無事に完走できたお礼と感謝、そしてまたここに来れることをお願いしました。 お守りを買ってバス停へ 本宮に温泉があれば、山中を6日間歩いた汗と汚れを落としてスッキリした体で帰りたいけどありません。 近くの温泉で湯峰温泉 でも、もう歩きたくないです。 バス停のベンチで待合客が私一人でしたので、上半身裸になりボディー用のウェットティシュで体を拭き、着替えの山Tシャツを着ました。 シャトルバスが来て、乗客は私一人です。 おばあちゃんが、お店の外に出て手を振って見送ってくれました。運転手さんが「良いおばあちゃんですやろ!」 私「親切ですね!」「今回、色んな方とお会いしましたが、皆さん親切で温かい方々でした。」「山旅を気持ち良く終える事が出来ました。」 山道をバスに揺られながら運転手さんと話をしていましたが、途中から意識が無くなって寝てしまい、起きたら白浜駅でした。 特急くろしおの中でも駅弁を食べ終えると、また寝てしまいた。 和歌山駅で快速に乗り換えると通勤通学と重なり、大きなザックを持ち無精ひげを伸ばしたおっさんが、邪魔で周囲の乗客はだいぶ臭かったでしょう。 自宅に帰ったら言うまでも無く、先にお風呂に入りました。
大峰山脈を走る「奥駈道」は歴史がある山岳古道で、国内でも有数の山岳縦走路でもあります。 吉野から入山して熊野本宮まで歩くことを逆峯、熊野本宮から入山して吉野まで歩くことを順峯と言うらしい。 修験道の聖地である大峯を奥駈修行の役行者が、吉野を出発して7日間かけて各所で儀礼をして熊野本宮まで走破するらしいが… トレールランやバケモノみたいな人を除き、登山者は通常5泊6日の行程となります。 4泊5日で完走するには、1日目吉野を出来るだけ早く出発して行者還小屋まで辿り着けば可能です。 後は水場と小屋やテン泊地の関係で短縮しにくいと思いました。 5月2日早朝3時に大峰山寺の戸開式に参加された役行者は山上ヶ岳周辺で多く居られますが、その先の奥駈道では、滅多に出会う事がありません。 俗衣に地下足袋、錫杖とホラガイを持つ山伏の格好では、縦走は大変に思われます。実際出会うのは登山者だけでした。 北部奥駈道や大峯主要峰を何度となく訪れましたが、今回「大峯奥駈道」を歩き終え、欠けていたパズルのピースを少しだけはめることが出来た気分です。 縦走で特に持ち物について参考までに載せました。 また、機会があれば、体験して無駄であった持ち物を削り重量を出来るだけ少なくして、もう一度チャレンジしたいと思っています。 南紀の中辺路(紀伊田辺〜熊野本宮)、大辺路(紀伊田辺〜那智勝浦)も歩きたい! 感動と達成感、人とのふれあいを求めて… 最高の山旅でした。 記念写真など、持ち物(装備・食料など)
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