ぼくと母さんの月見草
ぼくと母さんの月見草 (4年 作文)
6月14日、この日は第2土曜日で学校が休みの日だった。
ぼくは、友だちのたん生日会に行っていて理科の宿題をすっかり忘れていた。しまった。宿題は植物の1日観察だった。もう夕方だから明日の日曜日にすればいいかと思っていたら母さんが「あした、雨でもふったら観察できないし、調べてきたら。」と言った。仕方ないので、うらの駐車場わきの草むらに行った。どうせ今ごろ行っても何もないのに。ぼくは、半分あきらめながら草むらの方へむかった。
草むらには、エノコロ草、しぼんでしまったタンポポがあった。少しおくまで行くと、草の間から小さな黄色い花が顔を出している。
「夕方にさく花なんてめずらしいな。」
ぼくは家に帰って母さんに、
「今ごろさいている花があったわ。ちいそうて黄色い花やで。」と言った。
母さんは、「夕方にさいているんやったら月見草とちがうか。」と言った。
ぼくは、図かんの「月見草」のさくいんで調べてみた。のっていない。ほかの図かんで「夕方にさく黄色い花」で調べるとにている花はのっていた。けれども
「月見草」という名前でなく「マツヨイグサ」だった。
母さんは、夕食のしたくのと中だったのにぼくに付き合ってくれた。月見草がのっていないのでざんねんそうだった。どうしてなのかきいてみると、このマンションの下の駐車場が全部畑だったころ、夏になると黄色い花が一面にさいて、きれいだったそうだ。ずっと月見草と思っていたというのだ。
さっきまでパソコンをしていた父さんが、「ごはんまだか。」と言ったので、母さんは急いで用意を始めた。
夕食の後、ベランダから下をのぞいてみたら、ざっ草の中に黄色く光るものが見えた。あの花だ。上から見ると小さな星みたいできれいだ。ここに7年も住んでいたのに全然知らなかった。前は、一面にさいてもっときれいだったんだろうな。空には星もぴかぴかと光っている。ぼくはなんとなくうれしくなって、この花の観察をしてみようと思った。
次の日の朝、さっそく行ってみた。黄色い花はまださいていて、しぼんだのは7時ごろだった。学校の宿題は、『マツヨイグサ、夕方から次の日の朝にかけてさく花』と題をつけて完成した。
何日かして11号線ぞいの国道のわきでもマツヨイグサを見つけた。1本とって持って帰ってガラスのびんにさしてみた。せっかく花びんに入れたのにちっともきれいじゃない。
草むらの中でさいているほうがいい。
7月に入ったある日、グィ−、グィ−とうらのほうから音がしてきた。何だろうと思ってベランダから下をのぞいたら、おじさんがざっ草を刈り取っている。
「待ってよ。」と、思ったけれど、もう黄色い花のマツヨイグサも刈り取られていた。
ぼくはがっかりして力がなくなってしまった。それに、次の日は、喜岡寺の前にさいていたマツヨイグサも刈られてしまっていた。
横にある田んぼのいねを大きく育てるために、マンションをきれいにするために雑草のようなものは刈り取られたのかもしれないが・・・。
8月9日、ぼくたち家族は近くにひっこしした。ピアノのコンクールがあったりひっこしの手伝いをしたりして、本当にいそがしかった。マツヨイグサも刈り取られてしまったので、ぼくは自由研究もやる気がなくなっていた。そんな時、兄ちゃんが図書館に行くというのでぼくもいくことにした。
植物の本の中で「牧野富太郎植物記」をみつけた。
その中で母さんが言っていた月見草は、夕方になると白い花がさいて、しぼむとももいろから赤色に変わると書いてあった。だから黄色のあの花は、マツヨイ草ということになる。けれども、かんじんのマツヨイ草がない。それに、暑いし母さんはお手伝いをいっぱいたのむので、ぼくも兄ちゃんも文句ばかり言っていた。ひっこしをして何日かして、ゴミを捨てに行った帰り、ぼくは家の横の広い空き地で黄色い花を見つけた。
「あっ、マツヨイ草だ。ここにもさいていたんだ。」
いやなこともふっとんでいくようだった。夜になって見に行くと昼間つぼみだったのもみんなさいて光っていた。
母さんは、今でもあの花を月見草と言っている。ぼくは、月に向かって光っている様子を見ていると、この名前でもいいような気がした。夏休みももうすぐ終わろうとしている。前に住んでいたマンションの裏の草むらでも、マツヨイ草が少しは伸びてきて、夕方に小さなか わいい花をさかせるといいなあ。
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