白いご飯への想い
白いご飯への想い (中学3年)
「ああ、おなかがすいた。」
夕べの食事もたっぷり食べたのに朝になると腹ペコになっている。毎朝目が覚めたらこんな状態だ。ぼくはどうも友だちに比べると早くぐっすり寝るようなので、消化がいいらしい。着替えを済ませて階段を半分くらい降りてくると、みそ汁やごはんの朝のにおいがプーンとしてくる。
夏休みのある日、ぼくは料理を作ることが好きなので夕食の手伝いをすることにした。きゅうりの塩もみをしていてたくさんのしぼり汁が出てきたのでおどろいた。
母が朝食と兄のお弁当作りを忙しそうにしている。「おはよう。」朝のあいさつが交わされる。ぼくの元気の素は朝のあいさつからだ。一日をさわやかな気分でスタートしたい。そしてもうひとつ、ぼくのパワーの源がある。それは、朝、絶対ご飯をしっかり食べることだ。パンだと昼まで持たなくて、給食前の授業では力が入らなくなる。白いご飯とみそ汁かスープ、卵焼きやウインナー、祖母お手製のつくだ煮、それに兄のお弁当の余分をもらう。めんたいこがあれば、ごはん二杯は軽いものだ。また、納豆パワーを信じてテスト期間中は納豆にねぎを入れてご飯に乗せて食べる。ご飯は何にでも合うようだ。一生懸命食べているぼくを見て、母は朝からよくそんなに入るねと言う。食べることが好きなぼくは料理を作ることもいつの間にか覚えていた。お米をといだり、野菜を切ったりすることもできるようになった。最初はスクランブルエッグしかできなかったが、今ではきれいなだし巻き卵も作れて味も好評だ。
そんなぼくの生活の中で、変化が起きた。突然祖母が手術と入院をすることになり、母が京都に行ってしまった。父は単身赴任をしていて週末にしか帰ってこなし、兄と協力しないといけない。兄は洗濯係、当然ぼくは食事係となり、後片付けは二人ですることにした。四日間の奮闘が始まった。朝ご飯の準備をしてすぐに食べた。後片付けも中途半端で学校へ行った。部活や塾があったのでとにかく夜が忙しかった。母がある程度おかずや冷凍のものを用意していてくれたので助かったが、ご飯だけは自分で炊いた。お米とぎは確か小学校一年の夏休みに教えてもらって自分でおにぎりを作った。塩をつけただけなのにおいしかった。炊飯器で炊きあがったご飯はなんともいえない香りだ。ご飯を優しくかき混ぜて蒸らしておいた。白いご飯はそれだけでもおいしいしほっとする。ふと、祖母の様子が気になって、連絡してみると手術は成功し、経過もいいことがわかった。よかった。そういえば、祖母はよくぼくたちに「たくさんご飯を食べて大きくなりや。お米は字のごとくお百姓さんが八十八回の手をかけて作っているのだから、ご飯は残したらあかん。」と小さい頃に教えてくれた。
ぼくは五年生の頃、お米についての総合学習をした。その時に作った本を押入れから探してみた。目次に『八十八の成り立ち』というのがあった。稲が育っていくためには、田の草取りを繰り返したり、天候を考えながら水温や水の量を調節したり、きめ細かくめんどうを見てやらないといけないとそのページに書いていた。今年のように梅雨が長く続き低温や日照不足が続いた年は、秋の収穫量に影響するという記事をこの間の新聞で読んだ昔から人々は米作りがうまくいくよう雨ごいをしたり、豊作を祝ってお祭りをしている。おちゃわんに入った白いご飯ができあがるまでに多くの苦労があることを忘れてはいけないと思った。
今のぼくたちの生活を見回してみてもお米は食べるだけでなく、わらを利用して門松やしめ飾りが作られている。それらはお正月に年神様を迎えるための目印であることを表しているという。お米と日本人の生活は切っても切れないということを今一度知った。ぼくは祖母が言った八十八回の手の意味もよくわかった。その後退院をして母も戻ってきた。稲穂が黄金色になる頃になったら祖母も元気になるだろう。自分で炊いたご飯は忘れられない味になった。
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