パナマ共和国情報収集基地 |
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1989年12月20日午前0時45分、武装ヘリ部隊がパナマ市内6ヶ所に対し爆撃を開始し、パナマに侵攻した。 アメリカ合衆国ブッシュ政権は、パナマのノリエガ将軍を、麻薬密輸の容疑で逮捕するという名目であった。 アメリカの兵力は、パナマに駐留していた南方軍、本土降下部隊など24,500名であり、 20日未明にパナマ国内27カ所を同時に攻撃し、パナマ市街では市街戦となり、 3日間の戦闘でパナマ側は民間人を含めて400人〜2000人の死者出たという。 最大の攻撃目標は、パナマ国防軍本部であったが、隣接するエルチョリージョ地区も爆撃され、 労働者街のサンミゲリート地区も焼け、民間人に多大な被害をもたらしたのであった。 これに対し、ハイテク兵器を駆使した米軍はわずか23人の死者であった。 ノリエガ将軍は投降した後、米本国で裁判され1992年「麻薬密売」の罪により40年の拘禁判決を受け、 現在もアメリカ合衆国フロリダで服役中である。 侵攻と同時に野党のエンダラが、米軍基地において大統領就任を宣言した。 なお、パナマは1994年に軍隊を廃止し、警察力だけになっている。 ●パナマ侵攻の暗部 ●パナマ侵攻と日本
・第二パナマ運河計画 ●ノリエガ元将軍
元パナマ国防軍司令官(将軍)で元最高実力者だが、米軍のパナマ侵攻により捉えられ、フロリダで服役中である。
1940年2月11日パナマ市生まれ |
パナマ侵攻時の写真 これらの写真は、宮崎ツヤ子さんがある人から提供を受けたものです。 侵攻から12年が経ったこともあり、公開することにしたそうです。 タイトルは、宮崎さんによるものです。 | |
![]() チョリージョ地区 |
![]() チョリージョ地区 |
![]() チョリージョ地区 |
![]() チョリージョ地区 |
![]() チョリージョ地区(国防軍本部。手前は地下壕入口か) |
![]() チョリージョ地区(国防軍本部。フエルサス・デ・デフェンサ) |
![]() 国内線専用パイティージャ空港 |
![]() 国内線専用パイティージャ空港 |
![]() 住宅地の道路封鎖 |
![]() 米軍基地内のビラ(4はfor,URはyou areか) |
![]() 米軍によるパナマ人検問 |
![]() カナルゾーン球技場のテント村(罹災者収容か) |
![]() サンパウロ新聞 1990年1月5日 |
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◆八木啓代 Web Site ◆暴かれた真実・1989年米軍パナマ侵攻 |
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回顧録「アメリカの囚人」
(America's Prisoner: The Memoirs of Manuel Noriega) The Panama Deception(1992) VHS |