パナマ共和国情報収集基地

国旗 パナマ侵攻
ノリエガ邸室内 窓の外から撮影されたノリエガ宅の室内(1991年3月)。 侵攻から1年以上経過していますが、室内は逃げ出した時のまま管理されており、キリスト像などのクリスマス用と思われる置物が見えます。(写真提供:宮崎ツヤ子)
●概要
 1989年12月20日午前0時45分、武装ヘリ部隊がパナマ市内6ヶ所に対し爆撃を開始し、パナマに侵攻した。 アメリカ合衆国ブッシュ政権は、パナマのノリエガ将軍を、麻薬密輸の容疑で逮捕するという名目であった。
 アメリカの兵力は、パナマに駐留していた南方軍、本土降下部隊など24,500名であり、 20日未明にパナマ国内27カ所を同時に攻撃し、パナマ市街では市街戦となり、 3日間の戦闘でパナマ側は民間人を含めて400人〜2000人の死者出たという。
 最大の攻撃目標は、パナマ国防軍本部であったが、隣接するエルチョリージョ地区も爆撃され、 労働者街のサンミゲリート地区も焼け、民間人に多大な被害をもたらしたのであった。
 これに対し、ハイテク兵器を駆使した米軍はわずか23人の死者であった。
 ノリエガ将軍は投降した後、米本国で裁判され1992年「麻薬密売」の罪により40年の拘禁判決を受け、 現在もアメリカ合衆国フロリダで服役中である。
 侵攻と同時に野党のエンダラが、米軍基地において大統領就任を宣言した。
なお、パナマは1994年に軍隊を廃止し、警察力だけになっている。

●パナマ侵攻の暗部
・国連総会で軍事介入は非難された
 アメリカは、国際法を無視し侵攻したのである。
・侵攻の真の目的は内政干渉である
 パナマ運河を抱えるパナマの内政をコントロールするという歴史的な思惑がある。
 侵攻後に、パナマの麻薬売買の量は格段に増えたという指摘もある。
・新兵器が実験目的で使用された可能性
 ステルス戦闘爆撃機、アパッチ・ヘリ、レーザー誘導ミサイルなどの度を越えた使用が指摘されている。
・チョリージョ地区がなぜ空爆されたのか
 人口密集地区であったチョリージョ地区が、ノリエガ一派が隠れているという理由で焼かれ、 市民に多数の犠牲者が出たという。
・パナマ側の死者が未公表。
 10年以上も経つのに、死者は現在も公表されていない。
 米軍はパナマのラジオ局、テレビ局を占拠し、パナマのジャーナリストを逮捕したため侵攻時の映像が残っていない。

●パナマ侵攻と日本
・ノリエガ元将軍の回顧録
 「米軍のパナマ進攻は日本の影響力拡大が引き金」とノリエガ元将軍は、語っている。 「米国人の凶暴さに対抗して資金力のある日本をパナマ運河に引き込むことで、アメリカをけん制」しようとした。 そのため、パナマ運河の将来の管理が日本の支援でパナマの手に落ちるのを阻止することが狙いで、米軍は侵攻したという。

・第二パナマ運河計画
 日本主導の第二パナマ運河計画に期待したノリエガ政権は、パナマ市内のオマール公園に大平正芳元首相の胸像を作った。 また、パナマ市内の繁華街には「大平通り」もある。

●ノリエガ元将軍
ノリエガ宅外観 ノリエガ宅の邸内(1991年3月)。アメリカ軍は、クリスマスが近づく1989年12月20日未明に、ノリエガ将軍を逮捕するという名目で、パナマに侵攻しました。 (写真提供:宮崎ツヤ子)
マヌエル・アントニオ・ノリエガ[Manuel Antonio NORIEGA]
元パナマ国防軍司令官(将軍)で元最高実力者だが、米軍のパナマ侵攻により捉えられ、フロリダで服役中である。

1940年2月11日パナマ市生まれ
パナマ大卒
57-61 ペルー士官学校に留学
62年 パナマ国家警備隊
69年 チリキ地方軍司令官
70年 情報機関G2司令官
82年12月 参謀総長
83年8月 国防軍司令官
87年7月 反ノリエガ暴動
88年2月 米マイアミ連邦大陪審が麻薬取引罪で起訴
88年5月 ノリエガ支持派5千人による民兵組織「尊厳大隊」創設
89年10月3日 モイセス・ヒロルディ少佐がクーデターにより一時ノリエガ逮捕に成功するが国防軍により制圧され、失敗に終わる
89年12月 「政府主席」就任
89年12月20日 米軍侵攻で失脚
89年12月24日 バチカン代表部に逃げこみ亡命を申請
90年1月3日 米麻薬取締局に逮捕
92年7月10日 マイアミ連邦地裁で禁固40年の判決
97年4月 回顧録「アメリカの囚人」を出版


パナマ侵攻時の写真
これらの写真は、宮崎ツヤ子さんがある人から提供を受けたものです。
侵攻から12年が経ったこともあり、公開することにしたそうです。
タイトルは、宮崎さんによるものです。

チョリージョ地区

チョリージョ地区

チョリージョ地区

チョリージョ地区

チョリージョ地区(国防軍本部。手前は地下壕入口か)

チョリージョ地区(国防軍本部。フエルサス・デ・デフェンサ)

国内線専用パイティージャ空港

国内線専用パイティージャ空港

住宅地の道路封鎖

米軍基地内のビラ(4はfor,URはyou areか)

米軍によるパナマ人検問

カナルゾーン球技場のテント村(罹災者収容か)

サンパウロ新聞 1990年1月5日

国旗 リンク集

八木啓代 Web Site
ラテンアメリカと日本を拠点に、歌手&作家として活躍されている方。
Pandora Report パナマ編
89年パナマ侵攻事件の死者数が、事件後10年を経たいまも未公表なのか? 日本人は、日本とは関係のないことと思っているだろうが、 パナマ侵攻事件をめぐる驚くべき謀略の取材の様子がリアルに伝わってくる秀作である(1999年)

◆暴かれた真実・1989年米軍パナマ侵攻
アジア国際通信1999年05月15日号: 「パナマ運河は永遠にアメリカの領土であり、パナマ国防軍を抹殺するために米軍2万6,000人がパナマを侵略した」という


国旗 書籍・ビデオ

MARI
パナマ侵攻の裏を描く小説。八木啓代 著

回顧録「アメリカの囚人」 (America's Prisoner: The Memoirs of Manuel Noriega)
アメリカ軍に囚われたノリエガ元将軍自信による回顧録。1997年

The Panama Deception(1992) VHS
パナマ疑惑を巡るアカデミー賞受賞ドキュメンタリービデオ。 1989年のパナマ侵攻を中心とする何10年にもわたるアメリカのパナマへの関与を描く。 1993年6月12日NHKがこれを放送した。