ホーム >

パナマ ツアー、格安航空券、ホテル
[pr]

区切線


ツアー、格安航空券、ホテル
旅行代理店
日通ペリカントラベルネット パナマ支店
 パナマシティーの現地旅行会社。現地価格のホテル予約。パナマ運河ツアー、パナマ国内線・国際線の航空券予約。

格安航空券
 インターネット上で格安航空券を販売するサイトが多数あります。

ホテル
 パナマシティには、近代的なホテルが多数あり、日本のサイトでも多数扱っています。

空路
 パナマシティは、中南米の交通の要衝で、アメリカ大陸からの便が多い。

paitilla
背景に見えるビル群はプンタパイテイーヤで、手前の左手とその前が外国人が良く使用するパイテイーヤ病院です。 そこに走っている道路はプンタパイテイーヤ方面からCalle 50(50番通り。日本大使館も50番通りにあります)へ行く一方通行の道です。
(写真・文:Pana-Global Trading, S.A.柄沢)

ホテル
パナマ市ビアエスパーニャ通
パナマ市を通る3本の主要道路の一つであるビアエスパーニャ通り

◆トラベル エージェント ダイレクトり
ホテルの情報: パナマは1件(2002/3/31現在)The Bristol

◆isize
ISIZEホテル検索:詳細情報、写真付き、空き確認、ホテルの予約もできる。2002/4現在 panamaで検索すると24件あった
基本情報:「海外都市データ」に世界各国の時差、サマータイムの有無、ビザの有無、電圧・コンセントの仕様、国際電話のかけ方など世界各都市の基本情報がある

インターコンチネンタルホテル パナマのホテルリストがあるサイト
Hotels Panamá 地区別 ・Panama Info 地区・用途別 ・Alfa Travel Guide 地図から探せるが、写真はない

Panama Cityのホテル


パナマ - コロンビア(陸路)

陸路でダリエンを横断
 パナマとコロンビア間は車が通行できる道路がないので、ジャングルの中をカヌーと徒歩による横断となる。 1月から4月が乾季で、雨季には低地が至るところで冠水するので雨季は横断にはあまり向かない。
 コロンビア国境地域においては、コロンビアの左翼ゲリラ・グループFARCやパラミリタリー(極右私兵組織)等が活動しており、 国境警備隊との衝突や誘拐事件、左派と右派の戦闘が発生している。 これらの組織にとって、この地域一帯は、武器の輸入やコカインの輸出のため、戦略上重要な拠点である。 外務省の渡航情報では、 「 渡航の是非を検討して下さい」 とされています。 日本大使館に相談すると、非常に危険という理由で中止勧告を出すが、日本人も横断した例がある。
 パンアメリカン・ハイウェイの終点の町ヤビサ(Yaviza)まで、バスで行き、 それからカヌーと徒歩で横断しトゥルボに行くのが一般的なルートのようである。 はっきりとした道ではないので、行く先々でガイドを雇う必要がある。

【横断例】

・2001年1月 Karl Bushby
 一人で徒歩によるコロンビアからパナマへの横断

・1999年 グレートジャーニー関野吉晴
ウラバ湾(Golfo de Urabá)に面するトウルボからカヤックで湾を縦断して、アトラト川(Atrato)を可能な限り遡行し、 トラベシア村(Travesía 旧名:Puente America)とピハオ村(Bijao)を抜けてクリスタレス(Cristales)に至る。 クリスタレスから村人をポーターにして徒歩で分水嶺を越え、パヤ(Paya)に至る。

・1995年6月 谷崎竜
この旅は、「赤道の万年雪―パナマ地峡・北アンデスを行く」という本になっている。
YavizaからPayaを通りトゥルボまで、行く先々でガイドを雇いながら、何回も徒歩とカヌーを乗り換えて行った。 ガイドと船の費用は200ドルあまり。

・1995年2月 Outback of Beyond Adventures
GPSを使用して、カヌーを使わずに、全てバイクで横断した

・1979年 ジョージ・ミーガン
この旅は、「世界最長の徒歩旅行」という本になっている

・1975年4月 両輪駆動バイクでの横断
カヌーとバイクで横断した。(英語)
ルート:Yaviza > Boca de Cupe > Paya > Cacarica > Rio Atrato > Turbo

【ダリエンでの事故例】

・2000年10月15日コロンビアとの国境のナサレ村にコロンビアから越境してきた数十人の武装グループが村民や警察を襲撃し、 村民の11歳少女が死亡、住民9人と警察官3人が負傷

・1999年3月 貴重なランを求めてダリエンに入った英国人2名が、Pucuroで目撃されたのを最後に行方不明となっている。

・1995年7月 コロンピアから船でパナマを経由してコスタリカに向かったキューバ人夫妻が、7月9日以来消息不明となっている。

・1995年1月 国境地帯でコロンピアのゲリラ、または麻薬マフィアと思われる10名ほどのグループと国境警備隊との間で銃撃戦があった。

・1993年1月 パヤ村でチェンジライフという宣教師団のアメリカ人宣教師3名が誘拐されたが、まだ未解決である。

・1992年1月 デンマーク人男性1名が、陸路でパナマからコロンピアに抜ける途中で行方不明になり、 最近その人物と思われる白骨死体がダリエン地峡で発見されたが、検死の結果、銃器で殺害された可能性があることが判明した。

【コロンビアでのゲリラ活動】 コロンビアの地図

・2002年5月3日 チョコ州(Chocó)のボハジャ(Bojayá)で左派ゲリラFARCによる爆弾で教会に避難していた住民百十七人が死亡した。 この地域は対抗する右派民兵組織・コロンビア自警軍(AUC)が支配するが、AUCと誤認して攻撃したと左派ゲリラは発表。

パナマ - コロンビア(船)

 パナマのコロンとコロンビアのカルタヘナ(Cartagena)を結ぶ Crucero Express社のフェリーが94年12月より就航したが、96年12月に廃止されている。 ヨットのヒッチハイクも無料ならいいが、飛行機より高い金額を請求される場合もあるようだ。 当然ながら、貨物船や漁船を使うと密航になる。

【横断例】

・1997年7月 ヨット(コロンビア→パナマ)
 「進め電波少年」というテレビ番組で、お笑い芸人のドロンズの二人がアメリカ大陸縦断ヒッチハイクの企画をした。
貨物船は船乗員以外は密航者という扱いになるために無理で、漁船は領海内から出ることが出来ないので無理ということで、 ヨットによるヒッチハイクを行った。 コロンビアのカルタヘナの港でヒッチハイクを交渉し、無事にパナマのコロン港に到着し、入国手続きを行った。