・1月3日(木)

午後7時30分起床。ホテルのオーナーが、バハイ庭園の無料ツアーを紹介してくれたのでそれに参加する事にした。午前9時に現地集合。10人ぐらい集まった。何処の国の人だったか忘れたが、10年前に日本に旅行した事があると言ってきた。東京・大阪・京都に行ったそうだ。大阪に住んでいると言ったら、とても喜んでくれた。

ヘブライ語での説明だったので内容はまったく判らないが、もの凄く綺麗な庭園だ。ガイドは若い女性だったが、少し後ろから若い男性が付いてきた。1時間程度で終了。

寺院の説明のところで、日本語を話す人物に出会った。バハイ庭園に勤めている人物だが、神奈 川・広島に住んでいたことがあるとの事。今でも広島に友人が居るとの事。広島にも住んでいた事があるには驚いた。かくなる自分も、広島に住んでいた事があるので・・・。この寺院には、日本語のパンフレットも置いてある。

バハイ寺院 <バハイ寺院>

午後1時頃ホテルに戻った。バスで首都であるテルアビブに行こうと思ったが、近くに列車の駅が有ると の事。列車で行くことにした。駅の入口ではセキュリティチェックが有るのだが、たまたま係員が不在だったので、そのまま入った。ここのチェックは甘いと思った。

予定よりも20分程度遅れて入ってきた。列車自身は綺麗な列車だった。4人がけのボックスシートだったが、席と席との間にはテーブルが設置してあり、座った感じは少し狭く感じられる。向かい側に座っている人物は、テーブルの上にイスラム教のコーランを置いていた。少し話をすると、イスラム教の信者と言ってきた。

しばらくすると、警備員らしき人物による切符の検閲が始まった。さて、ここからが問題であった。自分自身の切符の検閲は何の問題は無かったのだが、目の前に座っているアラブ人の切符を疑い始めた。イスラエルの情報機関「モサド」であろうか?

「テルアビブには何しに行くのか?」
「この切符は誰が買ったのか?」

他にも色々言っていたのだが、聞き取れなかった。しばらくすると、彼を連れ出しにかかった。周りの乗客は明らかにユダヤ人だが、アラブ人の味方をしているようであった。連れ出しにかかった人物に対して、大声で叫んでいた。

とりあえず、5分程度の言い合いをしていたが、警備員はあきらめたようだった。終了。だが、これで終わらなかった。しばらくすると再びやってきた。今度は2名で連れ出しにかかった。またもや、周りの乗客が叫んでいた。今回も5分程度で終了した。ユダヤ対イスラムの対立を目の前で見ると、この国の実情が見えてくるような気がする。今回の旅行では、平和な部分しか見てこなかったが、実際のイスラエルの実情は厳しいのだろう。

しばらくして、テルアビブに到着。必然的にアラブ人の後ろに並んで列車から出る事になったが、既に先ほどの人物が待ちかまえていた。無線で連絡をしながら、アラブ人の後を追いかけていっ  た。その後の行動が気になったが、深追いすると怖いので止めた。

テルアビブ駅からホテルまではバスを使用した。バス停で待っていると、ユダヤ人が話しかけてきた。どうやら、日本人が珍しいらしい。バスの降り口が近づくと、親切に教えてくれた。

この日の宿泊もホステルにした。ヨルダンのペトラ遺跡を回った来たという外人の女の子の話を聞いてみると、ペトラ遺跡にはほとんど人が居なかったとの事。貸し切り状態みたいな雰囲気だったそうな。うーん、羨ましい・・・。

その後、しばらく夜のテルアビブ市内を観光した。けたたましいサイレンを鳴らしながら、救急車が走り去って行った。

救急車  <救急車> 

午後9時過ぎに就寝。明日はイスラエル最終日。昼過ぎには空港に向かう必要があるので、実質的には半日しか観光できない。

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1月3日