長編投稿集

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日本手話使い広がる表現

2005年3月20日 奈良新聞
「ようこそ ろうの赤ちゃん」  全国ろう児をもつ親の会・編著

 最近、手話を少々知っている、という人が増えた。それは大変良いことなのだが、記者には前からひとつの疑問があった、街で見かける聴覚障害の人たちが表情豊かに語り合っている姿は、何やらこの手話とは趣が違う。繰り出すスピードが速いから違って見えるのか、などと仮説を立ててはみるが、やっぱり何かが違う気がしていた。
 予想は的中。日本には日本手話という日本語とは別の文法を持つ、もう一つの言語があった。日本手話は手の形や眉(まゆ)の上げ下げなど顔の表情を組み合わせて意味を表す言語で、「ろう」(生まれつき耳がきこえないこと)の子どもたちの母語なのである。同書の主役は、この日本手話でどんどん自己表現の翼を広げ、伸び伸びと成長していく子どもたちとその家族。県内の一家族を含む33家族の体験手記を収録している。
 だが、驚いたことに、わが子が「ろう」と知った両親に最初に与えられる公的情報は、ひたすら聴覚を鍛え、何とか話せるように訓練する機関の紹介。ろう学校でも日本手話は日陰者扱いだというのだ。今、民間のみに頼っている日本手話と読み書き日本語の「バイリンガル」教育を公教育の中にきちんと位置づけることが急務だろう。
(三省堂・定価1,470円)
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も ど る

手話を母語に誇りと笑顔
「ようこそ ろうの赤ちゃん」出版

2005年3月19日 中国新聞

 聞こえない子どもと暮らす家族の手記集「ようこそ ろうの赤ちゃん」(全国ろう児をもつ親の会・編著)が今月出版された。「ろうでよかったね」。そんな言葉が随所にあふれる。ろう学校では教わらない母語「日本手話」との出会いが、誇りを取り戻す転機になったようだ。(石丸賢)

 ■広島の山中さんら手記 豊かな表現に感動

 中国地方で一人だけの筆者、広島市西区の主婦山中美園さん(40)は、長女美侑(みゆう)ちゃん(4つ)を授かるまで、「ろう」の意味さえ知らなかった。

 「残念ですが、お子さんは難聴」「でも頑張れば、しゃべれるようになる」。医師の言葉につられ、生後九カ月の娘に補聴器を付けた。口の形で日本語を教え込む「口話」(声をだす)に躍起になった。


 何組もの手記に、口話訓練の場面が登場する。「これは何?」「ちがう」「発音は?」。際限ないカード学習の繰り返し、しかる親。子どもの顔色は曇り、ストレスで自傷行為に走った子どももいるという。そのしんどさは、同じ境遇で異国に放り出された自分を想像すれば、分かる。

 ある母親は、こう書いている。「しゃべることが『正常』という考えからは、口話という訓練しかみちびきだされない」

 山中さん夫妻も、頼みだった口話も人工内耳も「正確に通じるようになるとは限らない」と聞いて、考えを変えた。日本手話のフリースクール=現在は特定非営利活動法人(NPO法人)=「龍(たつ)の子学園」(東京・豊島区)をインターネットで見つけ、通いだした。母子で毎月約一週間、泊まりがけで行く。

 日本手話では、顔の表情も文法の一つ。手のしぐさに、あごやまゆを上げ下げする型も加え、行間まで伝える。初めて聞いた「ママ、好き」。夕焼けに気付き、「見てると、気持ちいい」。わが子から、表情豊かな手話が出てきた感動は、ひとしおのようだ。

 「ろうでよかったね。ろう学校の仲間が増えたもん」と、ろうの弟が自慢の姉がいれば、手話で寝言を言う息子に目を細める母親もいる。聴覚障害を卑下するような、陰りはない。

 ろうの子どもが自然に覚え、しゃべれる母語は日本手話であり、日本語は読み書きの言葉として学べばいい―というのが「親の会」の考え方。手話と、その国の言語(文化)を学ぶ「バイリンガルろう教育」は現在、世界の潮流だという。

 同書には、二十六家族の体験手記と、七家族の写真を収めている。

 三省堂、千四百七十円。



全国ろう児をもつ親の会
 従来の「聴者(健常者)に近づくためのろう教育」の見直しを求め、2000年に発足。ろう児の「教育を受ける権利」として、(1)ろう学校の教育言語として日本手話の認知・承認(2)ろう者の教員をろう学校に配置―などを国や各教育委員会に求めている。
〒100―8694 東京中央郵便局私書箱1670号、全国ろう児をもつ親の会。
FAX 03(3761)9905。

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も ど る

山中さんが ろうの育児にエールの一文発刊

2005年3月18日 西広島タイムス
西広島タイムスより(転載許可済み)
 【西区】「生まれてきた子の耳が聞こえないと分かりショックを受けている親たちを“大丈夫だよ。楽しく子育てしよう”と応援したいと思い書いた」-。広島市西区在住の山中美園さんが、ろうの長女・美侑ちゃん(四つ)と「日本手話」との出合いと成長を、発刊されたばかりの「ようこそ ろうの赤ちゃん」(三省堂刊、全国ろう児をもつ親の会編著、1,400円、税別)に綴っている。
 美侑ちゃんのろうに気付いたのは生後七カ月目だった。現在は、広島ろう学校幼稚部に行きながら、二歳九カ月目から毎月一回数日間、東京都にある日本手話のフリースクールに通う。日本手話をどんどん身に着けて快活に話し遊ぶ美侑ちゃんの姿が印象的だ。
 私たちが目にする機会の多い手話と日本手話はかなり違うそうだ。いわゆる手話は、日本語と同じ語順で、単語を連ねて表現する。日本手話は、単語は手話と共通だが、独自の文法を持つ。眉や目の動きなど表情も使い、より微妙に表現でき、視覚だけで分かるという。日本手話の使い手たちは「母語」と認識している。「私たち聴者(聞こえる人)にとっての日本語とまったく同じ一つの言語です」(山中さん)。
 今、日本のろう学校では、相手の口の動きを見て読み取り自分も声を出す「口話」教育が主流だ。意外にも手話を正規の教育として取り入れている学校は数えるほどでほとんどないと言える。「子どもの声で“お母さん”と呼んでほしい」、「周囲からの特異な視線を避けたい」など背景には複雑な思いを含んでもいる。
 だが、口話によるやりとりには限界がある、という。義務教育を終え、進学したり、社会に出るとどうしても手話に頼らざるを得ない現実が待っている。
 同書には、ろうの子を育てる保護者やろうの家族たちの手記が収められている。「ろうで良かった」と、誇りと自信を持って生き生きとした子どもたちや家族の姿が、ろうが個性であることを楽しく伝えている。一方で、絶対多数である聴者中心に物事を考える現代社会の歪みを浮かび上がらせる。育児に悩む親ならろうであるなしにかかわらず励まされそう。
 最寄りの書店で販売中。無ければ注文できる。
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も ど る

聞こえないことは、不幸じゃない
『ようこそ ろうの赤ちゃん』出版
「家族で手話」応援

2005年3月8日(火) 産経新聞
服部素子 記者
 聞こえないことは、不幸でも不便でもない−。ろうの子供と暮らす家族たちが、そのありのままの日常をつづった『ようこそ ろうの赤ちゃん』を出版した。わが子が「聞こえない」と診断された日から、さまざまな葛藤を経て、同書に登場する家族たちが選んだのは、親子兄弟で”手話る”生活。「聞こえなくても大丈夫!」という応援歌が行間に響く。(服部素子)


 主役は、二歳から十四歳のろうの子供たち。「全国ろう児をもつ親の会」(http://www.hat.hi-ho.ne.jp/at_home/)の呼びかけにこたえて、「日本手話」で子育てをしている三十三家族が参加(うち七家族は写真のみ)。わが子の成長を記した。
 聞きなれない「日本手話」という言葉が、何度も文中に出てくるが、これは手話サークルなどで教えられるような、日本語をそのまま置き換えた手話とは異なり、日本のろう者の間で自然発生的に生まれ、伝えられてきた”母語”としての手話。手の形や動き、顔の表情を組み合わせて意味を表し、これらと語順によって文法的なルールが成り立っている。日常的に使われているため、日本手話の独り言や寝言も見られるという。
 しかし、日本のろう学校では、日本手話による教育はされていない。ろうの子に話しかけ、唇の動きを読み取らせるとともに発音訓練も含む聴覚口話法が、教育の軸とされているからだ。子供たちは同じろうの子供たちとのコミュニケーションの中で日本手話を自然に覚え、家族はその子供たちを”先生”に、「なんちゃって手話」や「それなり手話」で、日々のたわいない出来事を”手話って”いる。
 それは、まさにどの家庭にもあるおしゃべり。
 その情景を、四歳の高浜佑月楓(ゆづか)ちゃんの母、智巳さん(36)は「それまではいつも、お菓子がほしいときはお菓子がある棚の上を指差していたのに、その日、初めて小さな手を広げてかさねて『ちょうだい』。かさねた手にお菓子をのせてやると、満足そうに、にっこり微笑んだ。・・・本当に小さな手で語られる言葉は、かわいいと思った。」と記す。
 また、本書の中で唯一の祖母として登場する臼田政子さん(69)は、孫で七歳の宙くんへの思いをユーモアを交えてやさしくつづる。
 臼田さんは、海外在住の息子からイタリア人女性と結婚するという連絡を受け、その驚きもさめぬうちに、次は娘の次男の耳が聞こえないとの報。イタリア語の次は日本手話!?と慌てながらも、「この孫がとってもかわいい。・・・くるくるとよく動く大きな目。『目は口ほどにものをいう』とは、まさにヒロのことだと思う」と記し、「まあ、『通じたい』というきもちがあれば、なんとかなる。夫と私の人生は、晩年になるほど多彩でおもしろくなった気がする」と締めくくる。
 同会代表の岡本みどりさん(47)は「どの家族も『うちの子が生まれたときに、こんな本があったら』という思いで執筆してくれました。みなさん、子供が聞こえないこと、言語が違うことを認め、のびのび子育てをしています。いちばん大切なのは、どの子もその子らしい人生がおくれることではないでしょうか」と話した。

 同書は、三省堂「いのちのことば」シリーズの一冊。『ようこそダウン症の赤ちゃん』の姉妹編。だれもが自分の本として読めるよう、漢字にはすべてふりがながつけられている。1,470円

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「日本手話」でのびやかに
高度難聴の子、ぐんと明るく

2005年3月8日(火) 中日新聞
 ろうの子どもと暮らす家族が、日常生活をつづった作品集「ようこそ ろうの赤ちゃん」(三省堂)を、全国ろう児をもつ親のが出版した。日本手話ですくすく育ち、日本語の読み書きも学ぶ「バイリンガルろう教育」の実践記でもある。ろうの人には独自の母語と文化があり、「聞こえないことは不幸ではない」と気付かせてくれる一冊だ。

「ようこそ ろうの赤ちゃん」  親の会が日常つづり出版

 左手の親指と小指を立て、右手でキュキュッとこする。右手を、親指からけむりがモクモクしているように動かしながら、力こぶをつくるように両腕を挙げる−。
 おとぎ話で、ランプから魔法の精が現れるようすを、豊かな表情と手の動きで一生懸命伝えてくる。高度難聴の小学二年生、木村巴哉君=愛知県在住=が日常使っている言語は「日本手話」だ。

 「口話法」苦痛で

 日本手話は、耳の聞こえない人たちに受け継がれてきた自然言語。日本手話を使う環境があれば、特別な訓練なしで習得できる。手指の動作で単語を表し、目やまゆなどの動きが助詞や接続詞の働きをし、動詞に微妙なニュアンスを加える。手話サークルなどで使われてる、話し言葉を単語に置き換えた「日本語対応手話」とは全く異なるものだ。
 「日本手話をはじめてからの息子の変化には驚くばかり」と、母親の悦子さんは話す。
 日本では、ろう学校の授業で基本的に手話を使わない。発音訓練の繰り返し、相手の話をくちびるの形から読み取らせる「口話法」が行われている。木村さん親子も最初は医療機関などの勧めで口話法に取り組んだ。
 しかし口話法が苦痛な子もいるうえ、社会に出て役に立たないケースもある。悦子さんも、カードを作って暇さえあれば「これは何」「発音は」と練習させたが、巴哉君はストレスから目を合わさなくなった。言いたいことが伝わらないため、学校に行っても一言も声を出さず、笑顔もなくなった。
 そんな時、悦子さんは偶然北欧のバイリンガルろう教育を知った。授業はすべて自然言語の手話で教え、その国の言語を書き言葉として学ぶ方法だった。
 日本手話を学べる場所を紹介してもらい、巴哉君が手話を使える環境を整えた。口話法もすっぱり止めた。すると笑顔が戻り、名前のわからないものでも、豊かな表現力で伝えるようになった。
 「最初から日本手話での子育てを始めていたら、自然に子どもらしい生活が送れたはず。子どものおかげで、私たち親の世界も広がった」と悦子さんは話す。

「学校でもぜひ」

 親の会は、ろう、高度難聴の子どもにとっては日本手話が第一言語(母語)だとして、ろう学校での授業を日本手話で受けられるよう、文部省、各教育委員会などに改善を求めている。日本手話を身につけることが学力、日本語習得の向上に役立つことは専門家も指摘している。
 会長の岡本みどりさんは「ろうであることの偏見をなくすには、子どもたちの、のびのびとした普段の生活を知ってもらうことが大事」と、全国の親子に原稿の提供を呼びかけ、本にまとめた。
 「ようこそ ろうの赤ちゃん」は、三十三家族の体験談と写真をすべて実名で紹介した。四六判二百三十二ページ、1,470円親の会の連絡先は、ファックス03-3761-9905
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