長編投稿集

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「手話の効果 伝える責務」
聾学校の言語教育

田門浩(弁護士)
2006年12月20日(水)
読売新聞(15)解説
(田門氏より許可を頂いて掲載しております。)
 今月7日の「論点」で、元聾学校長の森川佳秀氏が、聾学校では残聴能力を活用して読唇の指導をする聴覚口話法が必要であると述べている。その成功例として「聾学校から普通校に転校して東大法学部を卒業した弁護士」を挙げている。それは私のことである。しかし私は聴覚口話法の失敗例である。
 私は出生時から聴力が殆どない。鉄道ガードで頭上に電車が走ってきたときにその音がかすかに身体に感じられるだけである。2歳から8歳ほどまでの間、聾学校で聴覚口話法の指導を受けた。教師が口の形を私に読み取らせて発話内容を当てさせたり、教師の声を模倣させたりしていた。私は教師の声が聴き取れず、内容を理解できないまま一日中延々とこのような作業をさせられていた。手話の使用は禁止され、教師は手話を使わせないために私の手を叩いたりつねったりした。私は教師の手を噛んだり服のボタンをちぎったりして抵抗を繰り返した。このため読唇や発音は上達しなかった。私の日本語力は読唇や発音とは関係がないのである。
 私の日本語能力は、むしろ文章の読み書き訓練に負うところが大きい。家庭内では聴覚口話法の訓練はほとんどなく、文章の読み書き訓練が主であった。母が私に本を見せるとともに物を指したり身振りで示したりして本に載っている文章の意味を分からせてくれた。成長して日本語が少し分かるようになると、空中に簡単な日本語を書く方法で文章の意味を教えてくれた。
もし聾学校が手話の使用を認めていれば、母も手話を覚えてスムーズに意味を教えることができたと思う。唇は動きが小さいため読唇に困難が伴う。手話は動きが大きくその内容を用意に理解できるのである。
 また、近時の酒井邦嘉氏らの研究により、会話や文章理解における脳の活動は日本手話と音声言語と同一であることが明らかになった。認知脳科学の点からも、日本手話による教育は音声言語たる日本語力の向上にも資するのである。
語彙の点はどうか。私は現在手話通訳者と共に日本手話を使用して仕事をしており、法律の専門用語は全部日本手話で対応している。語彙が問題になったことはない。
他方、聴覚口話法は日本語の分からない幼児に対して小さな唇の動きを読み取らせようとするため、学校のみならず家庭においても読唇や発音の練習に多くの時間を費やす必要があり、国語、算数等の教科の学習の時間が減ってしまう。しかも成果を上げられる聾者は少数で、多くの聾者は読唇が十分にできず、日本語力も不十分である。
このように聴覚口話法には多くの犠牲が伴う。だからこそ日本各地で多数の聾者が長年手話による教育を求めてきたのである。日弁連も「手話教育の充実を求める意見書」を発表して同様の考えを示している。
 最近は、手話と聴覚口話法との併用を図る聾学校が増えており、成果を上げている。また、フリースクールの中には保護者のニーズに応えるべく日本手話と書記日本語のみでの教育を始めたところもあり、次第に効果が現れ始めている。
 聾児の保護者の大多数は耳が聞こえる人であり、子どもの耳が聞こえないと分かった後に初めて聾教育を知る人が多い。聾学校の教師は、上記の現状を踏まえ、聴覚口話法一辺倒ではなく、手話教育の可能性も十分説明して、保護者が適切に教育方法を選択できるようにする責務を有しているのである。

「ようこそ ろうの赤ちゃん」
書籍紹介
佐々木倫子

『月刊 言語』8月号 2005.8 vol.34 no.8 大修館書店
言語圏α「ことばの書架」p120〜121
 新生児聴覚スクリーニング検査が普及しつつある。新生児に聴覚検査をし、聴覚障害があれば早期支援を行おうという試みだが、現状では支援態勢が不十分である。日本のろう児教育では、長年聴覚口話法が行われてきた。聞こえない子どもたちに、ひたすら聞こえる人間に近づくことを強いてきた。“手話”の導入は始まりつつあるが、聴者の教員がにわかに勉強して覚えた程度の“手話”で、高度な教科指導やコミュニケーションができるわけではない。そのような状況の中で、本書はまさに必要とされる書と言えよう。ろう児の母親たちが主たる書き手となっており、ろう児を中心とした、のびのびとした日常が出てくる。これまでの教育の声高な糾弾よりも、専門家の難しい解説よりも、はるかに雄弁にろう児の母語である日本手話を育てることの大切さを伝える。言語に関係する人々にはぜひお勧めしたい書である。これを読んだあとには、同じ会が刊行した大著『ろう教育と言語権』もお勧めしたい。
「ようこそ ろうの赤ちゃん」 全国ろう児をもつ親の会 編著 三省堂

も ど る


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