1999年 独・米・仏・キューバ / 105分
監督 :ヴィム・ヴェンダース
製作 :ライ・クーダー
撮影 :イェルク・ヴィトマー、ロビー・ミュラー
出演 :ライ・クーダー、イブライム・フェレール、
    ルベーン・ゴンサレス、エリアデス・オチョア、
    オマーラ・ポルトゥオンド、コンパイ・セグンド、
    オルランド“カチャイード”ロペス、ピオ・レイバ、
    マヌエル“プンティジータ”リセア、バルバリート・トーレス、
    アマディード・バルデス、フアン・デ・マルコス・ゴンサレス、
    ヨアキム・クーダー、

備考 :1997年にアルバム「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」がグラミー賞
     を受賞。
バンドメンバー達を発掘し、アルバムをプロデュースしたラ
     イ・クーダーが、
ヴィム・ヴェンダースと共にドキュメンタリー映画と
     して本作品を制作した。




映画の小窓9


「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」




















ライ・クーダーというアメリカ人をご存知だろうか。

世界的に広く知られるギタリストである。

ローリングストーンズの録音にも参加したことのある彼は、

ゴスペル、R&B、ブルーズ、ジャズ、カントリーなど、

アメリカのルーツ音楽に精通するギタリストであり、さらに、

テックス・メックスやハワイアン、カリプソバハマ、沖縄など、

世界ではあまり知られていなかった音楽に魅了され、

現地の音楽に触れ、現地のミュージシャン達と共演することで、

自らのキャリアを積み重ねてきたミュージシャンである。

非常に純粋に音楽を追究するタイプのミュージシャンと言える。

そんな彼が20年来、惹かれて止まなかった音楽的存在が、

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブである。(以下、BVSC)

 

1997年にライ・クーダーはキューバを訪れ、

キューバ音楽の伝説的古老達を訪ね回り、アルバム録音を行った。

その時の映像を中心に、生立ちや遍歴を古老達自らが語り、

演奏を通して音楽の素晴らしさを伝えていく、

といった具合に、この映画は構成されている。

古老達それぞれの具体的で詳細な生立ちや遍歴については、

実際に映画を見てそこから何かを感じ取って欲しいと思うが、

ここで敢えて取り立てて言いたいのは、

彼らがMusicians of Musiciansだということである。

彼らの大半は、ライ・クーダーと遭う直前まで埋もれていた。

つまり、特に有名人でもなければ、金持ちでもなかった。

70歳の奇跡の老歌手イブライムなどは、靴磨きをしていた。

類い稀なる歌声を持ちながら、貧しさの中で生きていたのである。

彼や多くの古老達は貧しい生立ちを持つ人々であり、

また、音楽に生き生かされることを宿命づけられた人々でもあった。

家族を食わせるために、子供の頃から路上でギターを弾いていた者、

幼い頃に身寄りを亡くし、歌うことでしか生きられなかった者……。

本当に生きるために音楽を必要としたのである。

彼らの体と心のすみずみに音楽が染み透りきらないはずがない。

しかし、1997年にライ・クーダーの企画に参加するに至るまで、

音楽で金持ちになった者は、ほとんどいなかった。

かつてのクラブBVSCの黄金時代を謳歌した彼らは、

BVSCの解散と共にバラバラに散らばっていき、

それぞれが、我々から見れば不遇な生活を送っていたのである。

キューバという国が市場経済のまかり通らない、

社会主義の国であり、当時は革命前後の時期ということもあって、

大衆音楽での出世が難しかったという事情が、

大きな原因となっているのは否めない。

しかし、ボクは、彼らに失礼を承知で考える。

返ってこのことが、彼らを本物のミュージシャンにしたのだと。

彼らの音は、ショウ・ビジネスの垢に汚れていない。

金を儲けて儲けて儲けまくるんじゃー!という垢に。

彼らの歌声、サウンド、笑顔が、それを証明している。

訥々と語られる彼らの生立ち、遍歴……。

それらが、セールス促進のためのでっち上げでないことが、

彼らの滲み出るような表情、弦を弾く手つき、音の数々によって、

ごくごく自然に証明されているのである。

何と深く、やさしく、厳しい、哀しみと喜びに満ちていることか。

彼らは、かつて金のために音楽を演ってきたであろう。

しかし、道の延長線上に、経済的大成功というものはなかった。

ないことが、彼らの間で半ば自明だったのである。

そのことが、彼らの音楽の純正度を高め、維持することになった。

彼らの名を世に知らしめるきっかけとなった人物が、

ライ・クーダーだったことも彼らにとっては幸運だった。

ライは彼らに経済的恩恵をもたらしたが、

彼らのリスペクトすべき根源が何であるかを熟知していたため、

彼らの音楽的純正度を損なわないように配慮したのである。

 

かなり断定的な言い方をしてきてしまったが、

ボクは、そんなふうに思わずにいられなかったのである。

 

大量消費社会の中で暮らすボクらには、残念ながら、

彼らの持つ純粋な音楽性を醸成することが不可能に近い。

だからこそ、彼らの素のままのサウンドを、

CDや映画で感じられるということに、

喜びと尊さを胸に抱かずにはいられないのではないだろうか。

 

ボクは感動に浸りながら、エンドロールが流れる画面を見つめ、

不覚にも、久しぶりに涙が頬を伝うのを感じた。

 

ここに、本物の音楽の形の一つがあるぞーーーっ!!!

シブイ!ステキ!カッコイイーッ!の極致だぞーっ!!

 

ま、この映画の醍醐味は、こんな二言に尽きるのかもしれない。

 

 

End



執筆: 2001/05/09


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