映画の小窓7

 

「セントラル・ステーション」

 

 





おばはんとガキの出遭いと別れを描いた映画である。


そう言ってしまうと身もフタもないが、


まあ、感動モノの映画である。


アメリカ映画で感動モノと言えば、


もう始めから、「泣かすぞ」という気合いを感じるのだが、


このブラジル映画は、実に自然に感動へと惹き込んでくれる。


性格描写に、慎重で繊細な神経を使っているのが分かる。


慎重で繊細だからこそ、見る者は押しつけがましさを感じない。


感情の奥行きや変化が見事に表現され、心に染み込んでくる。


フェルナンダ・モンテネグロ扮するドーラは、


リオデジャネイロ駅構内に露店を出している代筆屋、


読み書きのできない人々の代筆をして生活している。


出稼ぎ労働者の家族への手紙やら、恋文やら、


様々な代筆をして、手紙の投函まで代行している。


始めの方では、このドーラが実に根性ババ色なのである。


ムカつく内容の手紙を投函せずに捨てたりするのである。


なんてイヤなおばはんなんだ!


振る舞いといい、しゃべり方といい、


もう、ヤな奴オーラが滲み出ているのである。


このドーラが、みなし子ジェズエと出遭うのだが、


あろうことか、このおばはん、彼を売り飛ばしてしまうのである。








ばかもん!!





波平のちゃぶ台返しの如く、怒らずにはいられない所業である。


しかし、売り飛ばした組織が臓器売買組織だったことに気づき、


さすがの彼女も良心に咎めるものを感じ、


少年を取り戻すのである。


このあたりから、ドーラの中に眠っていた良心が目醒め出す。


少しずつ、少しずつ……。


そしてボクは、ジワジワと感動の海へ浸っていったのである。


 


それにしても、ドーラ役のフェルナンダ・モンテネグロ、


大人の演技というか、もの凄い実力派である。


ドーラが少しずつ心に大切なものを取り戻して行く過程で、


しっかりと、逡巡、哀愁、そして恋心を表現し、


奥行きある人間の心のひだまで、演じきっている。


そう、イヤな奴でも長く生きてりゃ、


それなりの歴史があって、心に温かいものを潜ませているもんだ。


彼女の演技がそんなことを確認させてくれたような気がした。


 


これまで述べたこととは別に、もう一つ感動したことがある。


ブラジルってこんな国だったんだ!


という驚きである。


ブラジル随一の都会リオといい、その他の町といい、


ボクの知らない異国の風土が描かれていて、


行ったこともないのに、妙にリアルだなと思ったのである。


そのあたりには、製作者の意図があるのかもしれない。


ブラジルって、犯罪も多いし、汚いと思う部分もあるけれど、


捨てたもんじゃないだろ?


ってな感じの意図が……。


  

 

End


 

執筆: 2001/02/08

 

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