マイナー旅行記 みちのく編 第2日午前



 

「喜多方ラーメンのスープは
サッパリかつ濃厚で……」

 



 




初日の夜は、実にゴキゲンに更けていった。


二人で交代しながらの運転とはいえ、


前日は約600キロもの距離を走破してきたわけである。


おまけに、新潟市内を車で右往左往し、


新潟駅周辺を徒歩でウロチョロしまくったわけで……。


当然、疲れていた。


当然、朝まで爆睡である。


フロントのおねえさんが、如何にキレイであろうと、


ドキドキして眠れないなんてことはなかったのである。


(やたらとフロントに物を借りに行ったが。ペンとか。)


 


さて、2日目である。


ボクらは、朝8:00にチェックアウトを済ませ、


コンビニで朝食を買い込むついでに、


店のオバちゃんに高速道路への道を尋ねたのだが、


このオバちゃんが、メチャ親切なのである。


結構ややこしくて距離もある道順を、


もうエエわい、というぐらい丁寧に教えてくれたのである。


そんなオバちゃんの熱い説明に、


少しの感動と苛立ちを胸に抱きながら、


ボクらは、出発したのであった。


 


その日の行程予定は、


新潟中央ジャンクションから磐越自動車道に入り、


会津若松、猪苗代湖を通過して太平洋側、福島、仙台に至り、


北上、盛岡、そして、あわよくば青森まで到達しようという、


後から考えれば無謀としか言いようのないものであった。


事実、思うようにはいかなかったのだが、


それは、これからするお話。


 


さて、ボクらは鼻息も荒く、意気揚揚と高速道路に入り、


磐越自動車道、すなわち、新潟と福島を結ぶ道路に入った。


前日の如く、すこぶる快調に車を飛ばし、


「グッバイ新潟!」などと言いながら、一路東へ進んで行く。


東へ進むにつれて、段々と山が現れ始め、


田園地帯から山地へと風景が移ってゆく。


それに伴って、快晴だった空が何やら怪しい雲行きになってきた。


東へ行くほど、空がドンヨリしてくるのである。


雨はイヤだな、と思いながら車を進めていくが、


ドンヨリするだけで、降るまでには至らない。


鬱陶しい空模様に、苛立ちが募ってくる。


「ああ、もう! いっそ、降ってくれればいいのに。


頼む! 100円やるから降ってくれ。」


などと、ワケのわからないことを言いつつ進んで行くと、


“ 喜多方○○km “


と書かれた緑色の標識が視界に飛び込んできた。


「ん、喜多方? はて、どこかで聞いたような……。」


そう、喜多方といえば喜多方ラーメンである。


和歌山ラーメンなどより、ずっとメジャーである。


「確か、誰かが修学旅行で食べたとか言ってたな。」


HPの掲示板への書き込みを思い出したのである。


その書き込みの内容を思い出すうちに、


まだ見ぬ喜多方ラーメンのイメージがボクの脳内に現れて、


もあもあと立ち昇る湯気でもって、ボクを眩惑し、


あまつさえ、麺をズルズルとすする音の幻聴まで現れる始末。


「も、もうたまらん!!」


勝手に想像していきなり出たボクの言葉に、


隣で見ていた友人は、不思議そうな顔をして、


「何が?」


と、氷点下−20度ぐらいの冷めた言葉を返した。


 


ボクは、ラーメンフリークなのである。


ボクの手帳にはラーメン屋の採点リストがあるぐらいである。


喜多方ラーメンの存在を思い出しておいて、


その地に立ち寄らないわけにはいかない。


旅の予定などくそくらえ、である。


「行ってみよう!!」


裏返った声で発せられたその言葉に、


友人はもはや反対する気も失せて、うなずいた。


うなずくしかなかった。


 


ノンストップで行ける所まで行こうという予定は、


急遽、ボクのわがままで変更を余儀なくされ、


会津盆地のド真ん中で高速道路を降り、


会津若松から喜多方へ、北上することになった。


ズンドコ田舎の国道を30キロほど北へ進むと、


ほどなく喜多方へ到着。


したのはいいが、どこもかしこもラーメン屋だらけ。


どこが美味いのやら、サッパリ分からない。


う〜む、と唸っているところに、第1村人発見!!(村か?)


車を降りて、訊いてみることにした。


「(あなたが)一番、美味しいと思うラーメン屋はどこですか?」


という質問に対して、“まるや”という答えが返ってきた。


「まるや、か。なるほど。」


などと、バレバレの知ったかぶりをしたものの、


どこに“まるや”があるのか見当もつかない。


とりあえず、喜多方のいいかげんな市街地図を見てみる。


そこに“まるや”が載っているはずもなかったが、


“喜多方らーめん館”なるものを見つけた。


そこへ行けば、“まるや”の手掛かりも掴めるハズ……。


素直に、第1村人に“まるや”の場所を訊けばよかったと、


今にして思うのだが、それはソレ、


旅の楽しみ、である。(何やそれ。)


 


とにかく、サンザン迷いながら、


“喜多方らーめん館”を探す。


途中、思わぬ物体に遭遇して戸惑ったのを覚えている。


何と、車道をお馬さんが歩いているではないか。


どうやら人を乗せる馬車のようである。


喜多方ではタクシー代わりに馬車が走るのか……。





 


田舎にもほどがあるわい!!


 


と、一瞬コメカミに青筋を浮かせてしまったが、


よくよく考えると、「田舎だから馬」なワケがない。


いくらなんでも、ここはニッポンである。


観光用に馬車を走らせているのである。


喜多方は、ラーメンの町であると同時に、


酒や醤油などの蔵の町でもあるらしい。


ところどころに、立派な蔵が建っている。


そんな歴史的風情のある景観を見やりつつ、


時々現れるお馬さんにビビリながら車を進め、


なんとか“喜多方らーめん館”に到着する。


そこで、“喜多方ラーメン屋マップ”を入手し、


いよいよ“まるや”に潜入!!


である。


 


偶然、“まるや”は、“喜多方らーめん館”のすぐ近くにあった。


車で5分とかからない距離なのだが、


少々、分かりにくい位置にある。


外観は、小さな食堂である。


店内は、小ギレイというか、小ギタナイというか、


よく分からないというか、どっちとも言えないというか、


まあ、ありきたりな感じである。


一応、名店らしく、壁には有名人のサインとおぼしきものが、


ずらずらっと貼られているが、よく見ると、


ローカルテレビ局のレポーターかなんかのサインばかりで、


知っている名前は見当たらない。


こりゃ、いい。


ボクはマイナー嗜好をくすぐられて、嬉しくなった。


さらによく見ると、一点だけ知っている名前のサインがあった。


谷 啓


ガチョーン、である。


こりゃ、さらにいい。


唯一、知名度のある人のサインが、あの“谷 啓”なのである。


チャーシューメンが出来あがるのを待つ間、


ボクの頭の中は、ガチョーンで満たされて、


頬の筋肉がユルミっぱなしになった。


ガチョーン。


 


さて、喜多方ラーメンである。(ここからなぜかマジモード)


スープは一見して、醤油ベースである。


見ただけでは、トンコツか鶏ガラかは分からない。


が、油脂玉が細かいことからおそらくは鶏ガラ……。


一口すすると、予想が的中したことに気づくと同時に、


普通の鶏ガラでは出せない味の存在にも気づいた。


あっさりとした鶏ガラの風味とは別に、


かすかながら濃厚なダシの存在……。


それにまださらにダシとなる食材の存在が伺える。


おそらくは、何種類かの野菜でダシを取っている。


しかし、あの濃厚なダシが何なのかは分からない。


鶏ガラ、野菜、と、あともう一つ。


店の人に尋ねても、教えてくれはしなかったが、


考えられるのは、トンコツか、あるいは、牛コツ。


結局、スープの謎は未解明に終わった。


そして、特筆すべきは麺である。


太く、平らで、コシの強い縮れ麺である。


つなぎは、カンスイ。


おそらく、機械打ちであろうが、


独特の麺である。


博多系の麺は、ストレートであるが細い。


故に、スープがよく麺に絡み、全体に一体感が出る。


一方、この“まるや”の麺は、太い。


しかし、縮れ麺でその上、平べったいので、


表面積が大きくなり、結果的にスープと麺の絡みが生まれ、


絶妙のハーモニーが奏でられる。


スープと麺を総括するならば、以下のようになる。


数種の野菜の旨みが鶏ガラの単調さを打開して遠近感を生み、


微量の濃厚なダシが肉厚の焼豚と融合して重量感を醸成し、


それらが混然一体となって大地の豊穣を象徴する麺と邂逅し、


重厚かつ軽快な質感を伴って一つの食の形態が均衡している・・・。





ゴホン。(咳払い)


うおっほん。(エラそうに咳払い)


と、とにかく、この“まるや”のラーメンは、


“日本一の喜多方ラーメン”の謳い文句に恥じない、


かどうかは、ともかく、


味にうるさい大阪人をも唸らせる逸品であると言えよう。


(まじモード終了 って言うか、やっぱりふざけてしまった……。)


 


ふざけた海原雄山ばりの解説はともかく、


率直に言うとまあ、


美味かったのである。


味の方も簡単に言うと、


あっさり感とボリューム感が同居している、


といったところである。


 


めでたく空腹を満たしたボクらは、


再びみちのくを目差して出発した。


喜多方から会津若松に戻り、


再び磐越自動車道に入ったあたりから、


ついに雨が降り出したのである。


北陸自動車道と同様、


高速道路のくせに対面通行である。


交通量が少ないとはいえ、


スピードを落とさざるを得ない。


始めのうち小降りだった雨は、東へ進むほど強くなり、


おまけに霧が出てきて、視界もどんどん悪くなり……。


こりゃ、やばい。


なーんも見えんではないか。


フロントガラスに顔をくっつけるようにして、


前後の追突に脅えつつおっかなびっくりで走るのであった。


新潟から東へ伸びていた磐越自動車道は、


郡山(福島県)で終点を迎え、


そこからは北へ折れて東北自動車道に変わる。


東北自動車道へ入れば、こっちのものだ!


あとは、青森まで一直線!!


などと思ったのだが、とんだ見込み違いだったのである。


東北地方というやつは、とにかくタテに長いのである。


土地感がないせいもあるが、


西日本とは都市間の距離感がまるで違う。


郡山〜仙台間でさえ、優に100キロはあったかと思う。


これでは、土台、日没までに青森に着くのはムリである。


おまけに、この大雨と霧……。



 



やむなく、ボクらは宿をとる場所を仙台に定め、


雨と霧の東北自動車道を北上していったのである。



 



(第2日午後 『雨の仙台・さ迷うワインディングロード』

 につづく)



執筆: 2000/10/15

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