礼拝メッセージ 2026年1月18日/小坂叡華主任牧師
「聞く耳のある者は聞きなさい」
イエス様は集まって来た大勢の群衆にたとえを用いて多くの事を教えられました。民衆の聞く力に応じて御言葉を話されたのです。
「聞く耳のあるものは聞きなさい」(9)と「種まきのたとえ」(マルコ4:3~8)を話されました。
道端に蒔かれた種は鳥に食べられてしまい、岩地の種は土が薄くて枯れてしまいます。いばらに落ちた種はいばらの方が伸びて実を結びませんでした。しかし良い地の種は30倍60倍100倍の実を結んだのです。このように民衆にはたとえで話されましたが、「ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた」(マルコ4:34)のです。弟子たちはこのたとえについて質問をしました。(10)
①種まきのたとえ…「種まく人はみことばを蒔くのです」(14)まかれた場所は同じでも人の心を表します。道端とは無視する人で種はサタンが持ち去ります。岩地とはすぐに聞くが根を張らずに困難や迫害がくるとすぐにつまづきます。いばらの心は聞いてはいても富の惑わしや欲望が入り込み実を結びません。良い地は素直な心で受け入れ30倍60倍100倍の実を結ぶのです。
②あかりのたとえ…「あかりを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。」(21~22)光として来られたイエス様を心に受けた者は机の下に隠すのではなく燭台に置いて周りを照らし隠されているものを明らかにします。又、御言葉についての理解力を、伝える人に与えてくださいます。「聞く耳のある者は聞きなさい」(23)と言われます。
③量りのたとえ…「~あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます」(24~25)自分に持っている量りで人に量り与える人には更に与えてくださるのです。そうでない人は持っているものも失うのです。そして最後に神の国について弟子たちに奥義を明かされました
<神の国とは…「種まきのよう」>
「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります」(26~29)種を蒔く労力は僅かな力です。育てるのは地、光、雨をもたらす神であって、人が寝ている間に種は成長して実が熟すると人はそれを収穫するだけなのです。
<神の国とは…「からし種のよう」>
「それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります」(30~32)神の国の始まりの小ささと神がもたらす計り知れない成長と豊かさを教えています。事実、当時の弟子たちは小さなからし種のような存在でした。しかし、復活の主から聖霊の力を戴くと福音を伝える使徒となり国を超え、やがて時代を超え文化を越えて、人々を生まれ変わらせ、社会を変革させるようになったのです。
イエス様が弟子たちに撒いたみことばは成長し大きな枝となりその下で世界が安らぎを求める大木になりました。私たちに撒かれたからし種も弟子たちと同じものです。その信仰をもって一歩踏み出すことで、私たちも神の偉大な力を体験し始めるのです。「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし成長させたのは神です」(Ⅰコリント3:6) 聞く耳のある者は聞きなさい。
「聞く耳のある者は聞きなさい」
イエス様は集まって来た大勢の群衆にたとえを用いて多くの事を教えられました。民衆の聞く力に応じて御言葉を話されたのです。
「聞く耳のあるものは聞きなさい」(9)と「種まきのたとえ」(マルコ4:3~8)を話されました。
道端に蒔かれた種は鳥に食べられてしまい、岩地の種は土が薄くて枯れてしまいます。いばらに落ちた種はいばらの方が伸びて実を結びませんでした。しかし良い地の種は30倍60倍100倍の実を結んだのです。このように民衆にはたとえで話されましたが、「ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた」(マルコ4:34)のです。弟子たちはこのたとえについて質問をしました。(10)
①種まきのたとえ…「種まく人はみことばを蒔くのです」(14)まかれた場所は同じでも人の心を表します。道端とは無視する人で種はサタンが持ち去ります。岩地とはすぐに聞くが根を張らずに困難や迫害がくるとすぐにつまづきます。いばらの心は聞いてはいても富の惑わしや欲望が入り込み実を結びません。良い地は素直な心で受け入れ30倍60倍100倍の実を結ぶのです。
②あかりのたとえ…「あかりを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。」(21~22)光として来られたイエス様を心に受けた者は机の下に隠すのではなく燭台に置いて周りを照らし隠されているものを明らかにします。又、御言葉についての理解力を、伝える人に与えてくださいます。「聞く耳のある者は聞きなさい」(23)と言われます。
③量りのたとえ…「~あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます」(24~25)自分に持っている量りで人に量り与える人には更に与えてくださるのです。そうでない人は持っているものも失うのです。そして最後に神の国について弟子たちに奥義を明かされました
<神の国とは…「種まきのよう」>
「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります」(26~29)種を蒔く労力は僅かな力です。育てるのは地、光、雨をもたらす神であって、人が寝ている間に種は成長して実が熟すると人はそれを収穫するだけなのです。
<神の国とは…「からし種のよう」>
「それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります」(30~32)神の国の始まりの小ささと神がもたらす計り知れない成長と豊かさを教えています。事実、当時の弟子たちは小さなからし種のような存在でした。しかし、復活の主から聖霊の力を戴くと福音を伝える使徒となり国を超え、やがて時代を超え文化を越えて、人々を生まれ変わらせ、社会を変革させるようになったのです。
イエス様が弟子たちに撒いたみことばは成長し大きな枝となりその下で世界が安らぎを求める大木になりました。私たちに撒かれたからし種も弟子たちと同じものです。その信仰をもって一歩踏み出すことで、私たちも神の偉大な力を体験し始めるのです。「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし成長させたのは神です」(Ⅰコリント3:6) 聞く耳のある者は聞きなさい。
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