Message メッセージ




  イースター礼拝メッセージ 2025年9月7日/秋山浩副牧師

「神の恵みが」   

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう」(詩篇23:6)
口語訳聖書では「~必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう」とあります。

私たちの信仰生活には戦いがあり、時には自分の思いや願い通りにならない現実を憂い悩み葛藤してしまうことはありませんか。たとえ辛く悲しい現実の中にも神の恵みは私たちに必ず伴なうとみことばは約束しています。神様は私たちを祝福したいのです。その神からの祝福をもって、家庭や職場など遣わされている環境に祝福をもたらす者とされたのです。
では神の祝福の約束はどのようなものか、信仰の父アブラハムに語られたみことばを見ましょう。「~わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。~地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(創世記12:1~3)祝福の基となるとアブラハムへの約束です。私たちに対して新約聖書では「信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです」(ガラテヤ3:9)とあります。ではアブラハムはどれほど祝福されたのか、彼の僕が証言しています。「主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました」(創世記24:35)主の召しに従い信仰によって歩んだアブラハムの事業は成功し財産も豊かになりました。このように神の祝福は現実的で、この地上においても味わうことができるものなのです。神は私たちが繁栄する事を喜ばれるからです。(詩編35:27)

<みことばに従い歩む私たちに約束された神の祝福を> 
「労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前にあずかるべきです」(2テモテ2:6)
農夫は収穫するために種を蒔きます。自然界の法則で、蒔かなければ収穫はできません。これは霊的な世界にも適応されるのではないでしょうか。ですから私たちは受けた祝福の種を蒔き祝福を収穫していくのです。そのために何が必要でしょうか。

1)労苦と期待…農夫は土を耕し種を蒔き、そして雑草を抜いて水をやり手入れします。このように労を惜しまないのは、収穫を期待しているからです。

2)蒔いたものを収穫する…畑に麦を蒔いたら麦を収穫するように、私たちは蒔いたものしか収穫できません。否定的な種は否定的なものを刈り取ります。ですから祝福の種を・愛の種を蒔いていくのです。

3)神が期待している収穫…それは魂の刈り取りです。神に背を向け罪によって、多くの人が滅びに向かっています。イエス・キリストの十字架の他に救いの道はありません。(使徒5:12)だから福音の種を蒔いていくのです。

<福音の種を蒔く前に>
農夫が種蒔きの前に苦労して土を耕してから種蒔きをします。私たちも福音の種を蒔く前に必要なのは祈りです。祈るという労を惜しんでいたら、どうして魂の収穫を期待することができるでしょうか。神の御手は私たちの祈りで働かれます。
必ず伴なうと約束されている数々の神の恵みを感謝し、魂の収穫を期待し受けた恵みと祝福の種を・愛の種を、福音の種を蒔いていきましょう。







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