イースター礼拝メッセージ 2025年5月25日/小坂叡華主任牧師
「神の時2025」
コロナ禍以降、世界は急激に変化しています。しかし、たとえ世の中がどんなに変わっても、決して変わらないものが2つあります。1つは聖書、神のなさることです。それに何かをつけ加えることも、取り去ることもできません。(伝道者の書3:14)そして主イエス様です。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブル13:8新共同訳)クリスチャンの人生はこの2つの土台の上に建て上げるのです。「だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです」(Ⅰコリント3:12-13)これらの建てる材料は信仰の質を表しています。木・草・わらなどは主の火で燃えてしまいます。試練を通して得る金の信仰で決して揺るがない人生を建てあげるのです。
<神の時> 伝道者の書を通して
人は全て神の定められた時代や場所に生まれます。自分で選んだわけではありません。聖書は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」(3:1)「捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある」(6節)全てには神の時があるのです。それをわきまえる事が重要です。
ソロモンは次のように告白をしました。「私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。」(伝道者の書9:11)
人はみな神の時と機会に出会います。人生の成功者と見えるのは人の能力でもない、力でもなく、人の知恵、悟り、知識によるではなく神の時と機会にある。つまり神の選びにあるのです。私たちは日常生活でも「時」と「機会」に出会いますが、それが神のご介入である「時」と「機会」であるかを見きわめることが大切です。神の御心かどうかを悟るのです。「神の時」と「機会」は「人の思い」とは全く真逆なのです。ではどのようにして知るのでしょうか。
*心を定めて祈る…神様との親密な交わりの祈りの中で聞く。
*みことばによって…聖書を読む時、礼拝のメッセージから語られます。
「神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。(ヨブ33:14)こんな悲しい事にならないよう神の声を聞く機会を積極的に求めてください。
<神の時を知る~証し>
私たちの前任の先生が脳梗塞で倒れ、教会が分裂状態になったことがありました。教団の理事会は忠師と私に秋津福音教会の牧師に就任するよう依頼されたのです。しかし、当時私たちはミクタムのジェリコジャパンの働きで寝る間もないほど忙しくしていました。又、教会を去った友人達に傷ついていました。とても無理と思いました。しかしみことばは迫ってきました。
「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない」(11:6)
神の時と神の機会は思いを超えていました。そして、決断と覚悟の末みことばに従って今があるのです。40年近く牧会とミクタムは祝福されています。私たちに託されている時は過去でも未来でもなく「今」なのです。どのように決断するかはあなたに委ねられています。
「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです」(Ⅰペテロ4:2)
人からの評価にしがみつき恐れるのではなく、人生の土台に変わらない主を据えて自由に力強く生きるのです。
「神の時2025」
コロナ禍以降、世界は急激に変化しています。しかし、たとえ世の中がどんなに変わっても、決して変わらないものが2つあります。1つは聖書、神のなさることです。それに何かをつけ加えることも、取り去ることもできません。(伝道者の書3:14)そして主イエス様です。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブル13:8新共同訳)クリスチャンの人生はこの2つの土台の上に建て上げるのです。「だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです」(Ⅰコリント3:12-13)これらの建てる材料は信仰の質を表しています。木・草・わらなどは主の火で燃えてしまいます。試練を通して得る金の信仰で決して揺るがない人生を建てあげるのです。
<神の時> 伝道者の書を通して
人は全て神の定められた時代や場所に生まれます。自分で選んだわけではありません。聖書は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」(3:1)「捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある」(6節)全てには神の時があるのです。それをわきまえる事が重要です。
ソロモンは次のように告白をしました。「私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。」(伝道者の書9:11)
人はみな神の時と機会に出会います。人生の成功者と見えるのは人の能力でもない、力でもなく、人の知恵、悟り、知識によるではなく神の時と機会にある。つまり神の選びにあるのです。私たちは日常生活でも「時」と「機会」に出会いますが、それが神のご介入である「時」と「機会」であるかを見きわめることが大切です。神の御心かどうかを悟るのです。「神の時」と「機会」は「人の思い」とは全く真逆なのです。ではどのようにして知るのでしょうか。
*心を定めて祈る…神様との親密な交わりの祈りの中で聞く。
*みことばによって…聖書を読む時、礼拝のメッセージから語られます。
「神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。(ヨブ33:14)こんな悲しい事にならないよう神の声を聞く機会を積極的に求めてください。
<神の時を知る~証し>
私たちの前任の先生が脳梗塞で倒れ、教会が分裂状態になったことがありました。教団の理事会は忠師と私に秋津福音教会の牧師に就任するよう依頼されたのです。しかし、当時私たちはミクタムのジェリコジャパンの働きで寝る間もないほど忙しくしていました。又、教会を去った友人達に傷ついていました。とても無理と思いました。しかしみことばは迫ってきました。
「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない」(11:6)
神の時と神の機会は思いを超えていました。そして、決断と覚悟の末みことばに従って今があるのです。40年近く牧会とミクタムは祝福されています。私たちに託されている時は過去でも未来でもなく「今」なのです。どのように決断するかはあなたに委ねられています。
「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです」(Ⅰペテロ4:2)
人からの評価にしがみつき恐れるのではなく、人生の土台に変わらない主を据えて自由に力強く生きるのです。