礼拝メッセージ 2025年3月16日/小坂叡華主任牧師
「キリストの教会」 Ⅰコリント12章
人間の体は脳からの指令に従って各器官がバランス良く機能します。それが出来ない時は病んでいるのです。一方、教会の体の頭はキリスト(エペソ5章23節)であり教会のメンバーひとり一人はその体の器官とされています。ですから教会は、人の体の動きがバラバラにはならないのと同様に、一致して頭なるキリストの思いに従って活動するのです。
「確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています」(14節)
私たちは目立つ部分に注目し、そこに価値を置いてしまいますが、聖書は見えない部分が体にとって重要であると教えます。人間の体も目にふれない多くの内臓器官によって命が保たれているように、生きるために重要な部分は表面からは見えません。同様に教会の体も目立つところではなく見えない部分に生命の源があるといえるのです。体には様々な機能がありますが、それぞれの器官に上下関係などはありません。互いに保たれているのです。私たちに与えられたキリストの体の器官としての特性・特質を見ていきましょう。
1)神からの賜物が与えられている…「みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです」(11節)御霊による賜物は神様がそれぞれの能力に応じて与えておられます。与えられた賜物を知りそれを用いるのは、自分自身の祝福となるだけではなく他の人々に祝福を与え、体全体の成長へと用いられていきます。体にさまざまな部分があるように、教会にも色んな人が集まり、つながっています。それは神が望んでおられることで、つながりが広がるなら、私たちの視野は広げられます。自分の考えや思いだけでなく、違った視点からの考えや思いがあること、そしてそれにも理由があることがわかってくるのです。
2)弱い器官を必要とする…「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです」(22節)人には、強さを求める傾向があります。一人で何でもやれる、やっていけるということが賞賛されるのです。ところが神様は強さではなくて、弱さを認めるように願っておられます。弱さは、私たちが1人では生きられないということを忘れないために、なくてはならないものです。社会は弱い者を切り捨てますが、教会は弱い器官を尊び大切にします。
3)喜び苦しみを共にする…「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです(26、27節)。ドジャースとカブスが日本にやって来ました。大谷翔平選手は素晴らしい成績を残して人々の賞賛を受けます。しかし、その賞賛の背後にはコーチやトレーナー、ドクターを始め目に見えない多くの人が彼を支え、チーム全体がひとつの心で試合を戦っていくのです。勝利すれば、チーム全体に喜びがあふれます。同じ様にキリストの器官である私たちは、共に苦しみ、共に喜びながらチームとなってキリストの教会を築き上げていくのです。
4)結び合わされる…「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」(エペソ4:16)私たちは自分の力量を超えるのではなく、出し惜しみするのでもなく、神様はそれぞれにふさわしく用いてくださいます。そしてキリストの愛の内に互いに支え励まし合うことによって、結び目は強められキリストの体なる教会は健康に建て上げられていくのです。アーメン。
「キリストの教会」 Ⅰコリント12章
人間の体は脳からの指令に従って各器官がバランス良く機能します。それが出来ない時は病んでいるのです。一方、教会の体の頭はキリスト(エペソ5章23節)であり教会のメンバーひとり一人はその体の器官とされています。ですから教会は、人の体の動きがバラバラにはならないのと同様に、一致して頭なるキリストの思いに従って活動するのです。
「確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています」(14節)
私たちは目立つ部分に注目し、そこに価値を置いてしまいますが、聖書は見えない部分が体にとって重要であると教えます。人間の体も目にふれない多くの内臓器官によって命が保たれているように、生きるために重要な部分は表面からは見えません。同様に教会の体も目立つところではなく見えない部分に生命の源があるといえるのです。体には様々な機能がありますが、それぞれの器官に上下関係などはありません。互いに保たれているのです。私たちに与えられたキリストの体の器官としての特性・特質を見ていきましょう。
1)神からの賜物が与えられている…「みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです」(11節)御霊による賜物は神様がそれぞれの能力に応じて与えておられます。与えられた賜物を知りそれを用いるのは、自分自身の祝福となるだけではなく他の人々に祝福を与え、体全体の成長へと用いられていきます。体にさまざまな部分があるように、教会にも色んな人が集まり、つながっています。それは神が望んでおられることで、つながりが広がるなら、私たちの視野は広げられます。自分の考えや思いだけでなく、違った視点からの考えや思いがあること、そしてそれにも理由があることがわかってくるのです。
2)弱い器官を必要とする…「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです」(22節)人には、強さを求める傾向があります。一人で何でもやれる、やっていけるということが賞賛されるのです。ところが神様は強さではなくて、弱さを認めるように願っておられます。弱さは、私たちが1人では生きられないということを忘れないために、なくてはならないものです。社会は弱い者を切り捨てますが、教会は弱い器官を尊び大切にします。
3)喜び苦しみを共にする…「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです(26、27節)。ドジャースとカブスが日本にやって来ました。大谷翔平選手は素晴らしい成績を残して人々の賞賛を受けます。しかし、その賞賛の背後にはコーチやトレーナー、ドクターを始め目に見えない多くの人が彼を支え、チーム全体がひとつの心で試合を戦っていくのです。勝利すれば、チーム全体に喜びがあふれます。同じ様にキリストの器官である私たちは、共に苦しみ、共に喜びながらチームとなってキリストの教会を築き上げていくのです。
4)結び合わされる…「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」(エペソ4:16)私たちは自分の力量を超えるのではなく、出し惜しみするのでもなく、神様はそれぞれにふさわしく用いてくださいます。そしてキリストの愛の内に互いに支え励まし合うことによって、結び目は強められキリストの体なる教会は健康に建て上げられていくのです。アーメン。