イースター礼拝メッセージ 2025年12月7日/小坂叡華主任牧師
「あなたのパンを」
ソロモンが晩年に書いたと言われる「伝道者の書」は経験と深みから示唆に富んだ書です。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから」(1~2節)水の上に投げたあなたのパンは水が沁み込んで、水底に沈んでしまうか、流されてしまい、もう食べる事は出来ません。無駄になってしまうのです。しかし聖書は自分の手の中にある良いもの(パン)を惜しみなく投げるなら、後になって投げたパンの結果を発見する、というのです。「不確かな将来の中で今できる善を行い、そして報いを楽しみに待て」と解説されています。報酬や賞賛を求めずに善を行え、ということなのです。
<あなたのパンとは>
1)生きるための仕事や賜物…生きるための糧とは職業や技術、音楽や画家、作家の才能などで、パンを投げるとは自分の手にあるそれらの良いものを惜しみなく使う事を意味します。良い行いが理解されず報われないことが多いかもしれません。しかし、たとえ直ぐに報われなくても、諦めずに無償の愛の業、良い業を励み続けるのです。エリヤの時代、厳しい飢餓に見舞われた未亡人が最後の粉でパンを焼き、食べて息子と死のうとしていたところでした。その矢先にエリヤにそれを捧げるよう求められ、その言葉に従って最後のパンを捧げたところ後に親子には「かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」(Ⅰ列王記17:16)のです。犠牲を伴う決断に神が豊かに報いてくださったのです。
2)イエス・キリストご自身…「わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです」(ヨハネ6:48~50)すべてのクリスチャンはいのちのパンを持っています。そのパンを水の上に投げなければなりません。そして人に分け与えなければならないのです。しかし、これが「伝道」です。伝道というのは、水の上にパンを投げるようなものです。投げても、投げてもなかなかその結果が見えません。しかし大切なことは、それを投げ続けることです。2節には七人か八人に分けておけと命じています。「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15:58)家族や親友、同僚などのため祈っても天国の話しをしても真剣に捉えてくれない。皆さんはすでに自分の家族や友人に何度も何度もイエス様を伝えていると思います。聖書はずっと後になって見い出すと約束しているので、信じてイエスキリストを伝え救いの時を見い出しましょう。
「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます」(Ⅱコリント9:10)クリスチャンの生き方の基本は「与える」事です。これまでは「受ける」とか「得する」という生き方だったので、時間も体も金銭もなるべく与えたくない、失いたくなかったのです。与える心はイエス様から賜ります。自分の手の中にある良いものを水の上に投げましょう。投げたものは後になって見い出すのです。
「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない」(6節)福音の種、愛の働きを諦めずに投げ続けるなら、やがて時が来て刈り取りを見い出すのです。
あなたの人生を新しくしてくださったキリストに導びき続けていただきましょう
「あなたのパンを」
ソロモンが晩年に書いたと言われる「伝道者の書」は経験と深みから示唆に富んだ書です。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから」(1~2節)水の上に投げたあなたのパンは水が沁み込んで、水底に沈んでしまうか、流されてしまい、もう食べる事は出来ません。無駄になってしまうのです。しかし聖書は自分の手の中にある良いもの(パン)を惜しみなく投げるなら、後になって投げたパンの結果を発見する、というのです。「不確かな将来の中で今できる善を行い、そして報いを楽しみに待て」と解説されています。報酬や賞賛を求めずに善を行え、ということなのです。
<あなたのパンとは>
1)生きるための仕事や賜物…生きるための糧とは職業や技術、音楽や画家、作家の才能などで、パンを投げるとは自分の手にあるそれらの良いものを惜しみなく使う事を意味します。良い行いが理解されず報われないことが多いかもしれません。しかし、たとえ直ぐに報われなくても、諦めずに無償の愛の業、良い業を励み続けるのです。エリヤの時代、厳しい飢餓に見舞われた未亡人が最後の粉でパンを焼き、食べて息子と死のうとしていたところでした。その矢先にエリヤにそれを捧げるよう求められ、その言葉に従って最後のパンを捧げたところ後に親子には「かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」(Ⅰ列王記17:16)のです。犠牲を伴う決断に神が豊かに報いてくださったのです。
2)イエス・キリストご自身…「わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです」(ヨハネ6:48~50)すべてのクリスチャンはいのちのパンを持っています。そのパンを水の上に投げなければなりません。そして人に分け与えなければならないのです。しかし、これが「伝道」です。伝道というのは、水の上にパンを投げるようなものです。投げても、投げてもなかなかその結果が見えません。しかし大切なことは、それを投げ続けることです。2節には七人か八人に分けておけと命じています。「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから」(Ⅰコリント15:58)家族や親友、同僚などのため祈っても天国の話しをしても真剣に捉えてくれない。皆さんはすでに自分の家族や友人に何度も何度もイエス様を伝えていると思います。聖書はずっと後になって見い出すと約束しているので、信じてイエスキリストを伝え救いの時を見い出しましょう。
「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます」(Ⅱコリント9:10)クリスチャンの生き方の基本は「与える」事です。これまでは「受ける」とか「得する」という生き方だったので、時間も体も金銭もなるべく与えたくない、失いたくなかったのです。与える心はイエス様から賜ります。自分の手の中にある良いものを水の上に投げましょう。投げたものは後になって見い出すのです。
「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない」(6節)福音の種、愛の働きを諦めずに投げ続けるなら、やがて時が来て刈り取りを見い出すのです。
あなたの人生を新しくしてくださったキリストに導びき続けていただきましょう
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