礼拝メッセージ 2025年1月26日/小坂叡華主任牧師
「新しくされる」
心機一転と言う言葉があります。あることを境にして今までとは全く違う新しい心でスタートすると言う意味です。今年の年間聖句、神の国と神の義を第一にするなら、私たちの人生には変化が起こります。新しいことが始まるのです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)この御言葉こそ、私たちに大きな希望と期待を与えてくれます。新しくされるとは、今までの価値観が全く変えられることです。私たちは生まれてくる環境を選ぶことはできません。多くの場合は環境によって自分の人生が形造られ、その価値観に束縛されてしまいます。貧しい家庭で育つと金銭的な執着が強くなったり、虐待を受けて育つと自分も子どもを虐待してしまうなど、環境がその人の人生に大きな影響を与えるのです。自分の努力で変えるのには限界があるのです。しかし聖書のみことばは「誰でも」キリストにあるなら新しく作リ変えられると教えます。区別はありません。「誰でも」です。新しくされたパウロ(サウロ)の人生から学びます。
<パウロ>はユダヤ教の師ガマリエルのもとで厳格で高度な教育を受け、律法を厳格に守り行うパリサイ派のユダヤ教徒でした。熱心なあまりイエスを信じるキリスト教徒を男でも女でも捉えて牢獄に入れるなど教会を激しく迫害したのです。パウロの誇りとした生まれや育ち、立場はキリストとの劇的な出会い(使徒9:1~6)によって180度変わってしまいました。「私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです」(ピリピ3:8~9)
パウロは自分の義ではなく神の義に生きる素晴しさを発見したのです。そして生き方が変わっていきました。
1)追求する生き方…「私はすでに得たのでもなく、既に完全にされているのでもありません。ただ捉えようとして追求しているのです」(ピリピ3:12)パウロが追及したのは惜しみなく与え仕えるために人となって来てくださったイエス様のようになりたいという思いでした。(ピリピ2:6-7)パウロは教会の指導者となり、各地を旅して教会を生み出す素晴らしい伝道者でした。しかしパウロはイエス様を知れば知るほど、自分の足りなさに気づき追求し続けたのです。
2)過去から未来へ向かう生き方…「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」(ピリピ3:13)クリスチャンの人生は過去に囚われない前向きな人生です。なぜなら、イエス様を迎えた時から私たちの古いものが過ぎ去って新しくされたからです。もう過去に縛られる人生から解放されたのです。もし私たちがキリストと共に歩む人生を選びながら、いつも過去を思い出し、悔やんでいるなら、過去の栄光にこだわったままならばもう一度キリストに会って新しくされるよう求めましょう。
3)目標を持った生き方…パウロは「目標を目指して一心に走っているのです」(ピリピ3:14)と告白しています。一人ひとりの目標はみな違います。毎日をただ目の前のことだけに追われて過ごすのではなく神が与えてくださるビジョン目標を持って人生を歩んでいるかが問われます。目標やビジョンの大きさは関係ありません。その目標を持って人生を歩み、その目標を目指して一心に走っていくのです。パウロの目標は「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」(エペソ4:12~13)私たちの目標も神第一とし教会を建てあげ前に向かって進んで行きましょう。
「新しくされる」
心機一転と言う言葉があります。あることを境にして今までとは全く違う新しい心でスタートすると言う意味です。今年の年間聖句、神の国と神の義を第一にするなら、私たちの人生には変化が起こります。新しいことが始まるのです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)この御言葉こそ、私たちに大きな希望と期待を与えてくれます。新しくされるとは、今までの価値観が全く変えられることです。私たちは生まれてくる環境を選ぶことはできません。多くの場合は環境によって自分の人生が形造られ、その価値観に束縛されてしまいます。貧しい家庭で育つと金銭的な執着が強くなったり、虐待を受けて育つと自分も子どもを虐待してしまうなど、環境がその人の人生に大きな影響を与えるのです。自分の努力で変えるのには限界があるのです。しかし聖書のみことばは「誰でも」キリストにあるなら新しく作リ変えられると教えます。区別はありません。「誰でも」です。新しくされたパウロ(サウロ)の人生から学びます。
<パウロ>はユダヤ教の師ガマリエルのもとで厳格で高度な教育を受け、律法を厳格に守り行うパリサイ派のユダヤ教徒でした。熱心なあまりイエスを信じるキリスト教徒を男でも女でも捉えて牢獄に入れるなど教会を激しく迫害したのです。パウロの誇りとした生まれや育ち、立場はキリストとの劇的な出会い(使徒9:1~6)によって180度変わってしまいました。「私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです」(ピリピ3:8~9)
パウロは自分の義ではなく神の義に生きる素晴しさを発見したのです。そして生き方が変わっていきました。
1)追求する生き方…「私はすでに得たのでもなく、既に完全にされているのでもありません。ただ捉えようとして追求しているのです」(ピリピ3:12)パウロが追及したのは惜しみなく与え仕えるために人となって来てくださったイエス様のようになりたいという思いでした。(ピリピ2:6-7)パウロは教会の指導者となり、各地を旅して教会を生み出す素晴らしい伝道者でした。しかしパウロはイエス様を知れば知るほど、自分の足りなさに気づき追求し続けたのです。
2)過去から未来へ向かう生き方…「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」(ピリピ3:13)クリスチャンの人生は過去に囚われない前向きな人生です。なぜなら、イエス様を迎えた時から私たちの古いものが過ぎ去って新しくされたからです。もう過去に縛られる人生から解放されたのです。もし私たちがキリストと共に歩む人生を選びながら、いつも過去を思い出し、悔やんでいるなら、過去の栄光にこだわったままならばもう一度キリストに会って新しくされるよう求めましょう。
3)目標を持った生き方…パウロは「目標を目指して一心に走っているのです」(ピリピ3:14)と告白しています。一人ひとりの目標はみな違います。毎日をただ目の前のことだけに追われて過ごすのではなく神が与えてくださるビジョン目標を持って人生を歩んでいるかが問われます。目標やビジョンの大きさは関係ありません。その目標を持って人生を歩み、その目標を目指して一心に走っていくのです。パウロの目標は「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです」(エペソ4:12~13)私たちの目標も神第一とし教会を建てあげ前に向かって進んで行きましょう。