Message メッセージ




  
元旦礼拝メッセージ 2025年1月1日/小坂叡華主任牧師

「元旦礼拝 神の国」  

イエス様が宣教を開始された時の最初の言葉が「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ4:17)でした。その教えの多くは神の国についてで、神の国は遠い未来だけではなく現在にあるものと語られたのです。「神の国は~中略~『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:20~21)ただ中とは貪欲や偶像礼拝・不品行な集まりの中ではありません。キリストの体である教会こそが、地上に表れた神の国と言えるのです。

<神の国の生き方>
イエス様の招きに応えた人がイエス様に「家の者にいとまごいに帰らせてください」と言いますと「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません」(ルカ9:62)と言われました。イエス様の弟子になる事を決意したのに、何か踏み出せない心にイエスは気づいておられたのです。決心をしたなら「退路を断つ」との言葉のように後ろを振り返らず前に進むことが大切なのです。決心しても続かずすぐにあきらめてしまう。いろいろと言い訳を並べて自分の決意の責任を転嫁してしまう。その中途半端な思いは、神の国を目指す生き方にはふさわしくないと教えられたのです。
私たちクリスチャンは一人ひとり、信仰という「鋤」を頂き、与えられた畑に素晴らしい実を実らせるため新しい生き方に進もうとしているのです。そしてその人のために神さまが計画してくださった仕事があるのです。すべての人が自分の仕事は、神によって与えられているという確信を持って、神のために人のために働くことが必要です。

<神の国の絆>
地上の神の国には新たな絆が生まれます。もし肉親の家族がいなくても私たちには神の国の家族が与えられるのです。十字架の救いを頂いた人々にみことばは「私たちはこのキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたはもはや他国人でも寄留者でもなく今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです」(エペソ2:18~19)ですから教会ではクリスチャンは父なる神のもとにある家族なのでお互いを兄弟姉妹と呼びます。この絆は交わりの中で成長し強められます。それは「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」(Ⅰコリント12:26)とあるように互いに重荷や喜びを分かち合うからです。

<神第一>
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)今年の年間聖句です。「神第一」に生きる生き方には安心が伴ないます。空の鳥は種まきも刈り入れもしないのに神に養われています。「あなた方は鳥よりももっとすぐれたものです。」と言われる主は私たちの全ての必要をご存知です。「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(34節)先のことは心配しないで一日一日をしっかり生きるようにと語られました。イエス様の言葉は今も変わらず生きて働くのです。人はその言葉を信じ、その言葉を行い、その言葉の実を結びます。「神の国と神の義をまず第一」を、もう一度心新たに受け留め、勇気と決断をもって先の見えにくい将来の人生を勝利者として歩んでいきましょう!




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