Message メッセージ




  礼拝メッセージ 2024年11月10日/秋山浩副牧師

「人はパンだけで生きるのではなく」  

イエス様は聖霊に導かれて荒野に行かれ40日40夜断食され空腹を覚えられていました。そこに悪魔が近づき「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」(3節)と、石をパンに変えてしまうことがイエス様にはできるのを知った上で試みたのです。人となられたイエス様は、断食で肉体はかなり弱っていたのではないでしょうか。このように悪魔はその時々の状況で人が一番弱いと思える欲求、欲望というものをついてきます。特に人間は食べ物についての誘惑は一番弱いのかもしれません。この悪魔の攻撃に対して主は『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある」と、みことばで退けられたのです。
荒野から思い起こされることは、エジプトを出て荒野を40年間彷徨い歩いたイスラエルの民です。彼らはその旅路において、幾度も神に逆らい続けてきました。それは主に、食べ物・飲み物のことでした。食べる物がない、水がない、私たちをこの荒野で殺す気かと神につぶやき反抗したのです。民が荒野を旅している目的、それは神様が導かれる約束の地カナンに入るためでした。しかし彼らはそれよりも、目先の今必要なパンを得たいとの欲望にかられ失敗したのです。

<クリスチャンは何のために生きるか~神の栄光を表わすために> 
人間は日々の生活の糧であるパンを得るために働いています。Ⅰテサロニケ4:11~12節では、乏しくならないために自分の手で労し、責任ある働きで外部の人々に立派に振る舞うようにと教えています。ですから労して働く事は大事です。けれどもクリスチャンは決して生活のためだけに日々働いているのではありません。神のことばを握ってみことばに従った歩みを通して、世の光・地の塩となって遣わされた場所で主の御名を証しするためにこの社会に遣わされています。生活の糧を得るだけで人生の意味を見出すことができない人々に、私たちの生き様を通して神の愛を表わしていくのです。

<どのように>
1)誠実な歩みを通して…「主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」(ミカ6:8)神様が私たちに求めておられることです。私たちは神にまた周囲の人々にどれだけ誠実でしょうか。誠実に責任ある社会生活を通して、キリストを証ししていくのです。

2)教会に仕えることで…「私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです」(コロサイ1:25)…パウロのように私たちがそれぞれの賜物を用いて教会に仕えていくならば、教会を通して多くの人々に神のことばを伝えていくことができるのです。

悪魔が人となられたイエス様に、最初にした試みは石をパンにして空腹を満たすようにとの誘惑でした。イスラエルの民は荒野で目の前のパンの欠乏でつぶやき失敗しました。こうして悪魔は目先のパンのこと生活への不安をもたらせようと働きかけてくるのです。ですから霊の目が閉ざされないように、神様が私たちに約束してくださったみことばを握って、神のことばに生き主の栄光を表わす者とさせていただきましょう。(エペソ1:18~19)



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