礼拝メッセージ 2024年11月3日/小坂叡華主任牧師
「義人はいない。ひとりもいない」 ローマ3章10節
なぜ聖書はこのようにいうのでしょうか。それは人類すべてが負っている原罪に由来しています。どんなに立派な人格者でも高貴な人であっても大人も子ども関係なく、全ての人は罪つまり原罪を持って生まれるのです。何故そのようになったかを聖書ははっきりと記しています。
<善悪の知識の木>
神は天と地を創造された後に人を造られ、最初の人アダムをエデンの園に置かれました。そして食べるのに良いすべての木を生えさせ、園の中央には「いのちの木」と「善悪の知識の木」がありました。神はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」(創世記2:16~17)神が人に対する最初の命令でした。ところが神に愛を注がれて創造されたアダムと妻のエバに大きな罠が迫ったのです。蛇となった悪魔(サタン)の惑わしでした。悪魔(サタン)は始め天使の最高位として創造されました。しかし、その天使が堕落して悪魔になったのです。堕落した原因をイザヤ書は「明けの明星(ルシファー)よ。賢く美しく神に仕えていたのに、神のようになろうと高慢な欲望を持ったためによみに落とされ、穴の底に落とされた」とあります。(イザヤ14:12~15)
<サタンの誘惑>
サタンはエバに近づき「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか」(3:1)と神の言葉を疑わせました。エバはつい「神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました」(2~3節)と自分に都合良く歪曲したのです。サタンはすぐに「あなたがたは決して死にません。 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです」(4~5節)揺らぐエバの態度にサタンは騙すことに成功しました。エバはアダムを誘って「善悪の知識の木」から実を取って食べてしまったのです。神のようになるという誘惑が神の命令に背いたのです。罪の本質は神への反抗です。これが原罪です。人類最初の最も重大な罪はアダムの子孫である全人類が生まれながらに背負う罪になったのです。その時以来、人類はアダムの罪の性質を継承して誕生するようになりました。親から子へと遺伝的に両親の肉的性質を継承してるのと同様に、霊的にアダムの原罪という罪の性質を継承しているのです。ですから「義人はいない。ひとりもいない」のです。
善悪の知識は神のみの権威で人は持つことはできないのです。人には神との関係に越えてはならない一線があるのです。欲はいつも人の心を惑わし、滅ぼします。
「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。」(ヤコブ 1:14)
<必ず死ぬ>
神が必ず死ぬと言われたのは、肉体の死ではなく神との関係の断絶、霊的な死を意味しているのです。罪をもって生まれてきた私たちはこの事実を変えることはできません。しかしイエス・キリストが全人類の罪の身代わりとなって十字架でいのちを捨てられました。その十字架の贖いによってクリスチャンの原罪は取り除かれています。しかし内側には罪のカスが残っていること知らなければなりません。パウロでさえは「私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」(ローマ7:21)と告白しています。欲望があればサタンはすぐにそこを突いて惑わすのです。ですから絶えずイエスから目を離さず主との関係をしっかり保ちましょう。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(Ⅰペテロ2:24)
「義人はいない。ひとりもいない」 ローマ3章10節
なぜ聖書はこのようにいうのでしょうか。それは人類すべてが負っている原罪に由来しています。どんなに立派な人格者でも高貴な人であっても大人も子ども関係なく、全ての人は罪つまり原罪を持って生まれるのです。何故そのようになったかを聖書ははっきりと記しています。
<善悪の知識の木>
神は天と地を創造された後に人を造られ、最初の人アダムをエデンの園に置かれました。そして食べるのに良いすべての木を生えさせ、園の中央には「いのちの木」と「善悪の知識の木」がありました。神はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」(創世記2:16~17)神が人に対する最初の命令でした。ところが神に愛を注がれて創造されたアダムと妻のエバに大きな罠が迫ったのです。蛇となった悪魔(サタン)の惑わしでした。悪魔(サタン)は始め天使の最高位として創造されました。しかし、その天使が堕落して悪魔になったのです。堕落した原因をイザヤ書は「明けの明星(ルシファー)よ。賢く美しく神に仕えていたのに、神のようになろうと高慢な欲望を持ったためによみに落とされ、穴の底に落とされた」とあります。(イザヤ14:12~15)
<サタンの誘惑>
サタンはエバに近づき「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか」(3:1)と神の言葉を疑わせました。エバはつい「神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました」(2~3節)と自分に都合良く歪曲したのです。サタンはすぐに「あなたがたは決して死にません。 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです」(4~5節)揺らぐエバの態度にサタンは騙すことに成功しました。エバはアダムを誘って「善悪の知識の木」から実を取って食べてしまったのです。神のようになるという誘惑が神の命令に背いたのです。罪の本質は神への反抗です。これが原罪です。人類最初の最も重大な罪はアダムの子孫である全人類が生まれながらに背負う罪になったのです。その時以来、人類はアダムの罪の性質を継承して誕生するようになりました。親から子へと遺伝的に両親の肉的性質を継承してるのと同様に、霊的にアダムの原罪という罪の性質を継承しているのです。ですから「義人はいない。ひとりもいない」のです。
善悪の知識は神のみの権威で人は持つことはできないのです。人には神との関係に越えてはならない一線があるのです。欲はいつも人の心を惑わし、滅ぼします。
「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。」(ヤコブ 1:14)
<必ず死ぬ>
神が必ず死ぬと言われたのは、肉体の死ではなく神との関係の断絶、霊的な死を意味しているのです。罪をもって生まれてきた私たちはこの事実を変えることはできません。しかしイエス・キリストが全人類の罪の身代わりとなって十字架でいのちを捨てられました。その十字架の贖いによってクリスチャンの原罪は取り除かれています。しかし内側には罪のカスが残っていること知らなければなりません。パウロでさえは「私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」(ローマ7:21)と告白しています。欲望があればサタンはすぐにそこを突いて惑わすのです。ですから絶えずイエスから目を離さず主との関係をしっかり保ちましょう。「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(Ⅰペテロ2:24)