礼拝メッセージ 2024年10月20日/小坂叡華主任牧師
「絶体絶命」 Ⅱ歴代誌20:11~22
絶体絶命とは「どうしても逃げられない困難に追い詰められ切羽詰まった状態で時には生命も危ういことを言います。人生には絶体絶命に追い込まれる事もあるのです。聖書をみていきましょう。
<ヨシャパテ王とイスラエル>
この時、ヨシャパテ王とイスラエルの民は、彼らをその地から追い出そうとアモン人とモアブ人、およびセイル山の人々が大軍を率いて戦いを挑んできた時でした。王は神に向かい「私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」(歴代誌Ⅱ20:12) 主は預言者ヤハジエルを遣わされ「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ」(17節) と告げられると「ヨシャパテ王と民は皆、主の前にひれ伏して礼拝し、大声でイスラエルの神、主を賛美した(18~19節)のです。神が共にある事に力を得たヨシャパテは預言者から語られたことを信じてした行動はなんと、美しい飾りでの聖歌隊を編成し敵の最前線に立って「主に感謝せよ。その恵みは常まで」と賛美をさせました。「彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けてユダに攻めてきたアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた」(22節)のです。主は人間には予想できない伏兵を送って主を信頼する者に勝利を与えてくださったのです。
<神の伏兵>
主が設けてくださる伏兵とは何でしょう。絶体絶命の時、主がなさる戦いの勝利(伏兵)は、人には全く想像がつかないのです。
◆暗闇の中で敵が同士討ちをする。(士師記7:22)ギデオンとたった300人の兵は敵ミデヤンの大軍が同士討ちを始めたため戦わずして敵を敗走させたのです。
◆角笛の音と叫び声によって壁が崩れ落ちる。(ヨシュア6:5)立ちはだかってそびえ立つ堅固な城壁は手を触れず崩れ落ち、ヨシュア将軍と兵はエリコの町に攻め上ったのです。
私たちは絶体絶命の時、慌て恐れ、泣き叫ぶかもしれません。聖書は私たちに何をするべきかをこの記事を通して教えています。これらの人々にとって唯一の希望は神様だけでした。ひたすら神を仰いでいた彼らに、主は助け(伏兵)を遣わして数多くの敵にも関わらず大勝利を収めることができたのです。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)
新約聖書には命を失う危険の中から救い出されたパウロとシラスの記事があります。占いの霊に憑かれた女占い師から悪霊を追い出した事を雇人に恨まれた二人は投獄されたのです。手足を鎖で吊るされ鞭で打たれた痛みと絶望の中で、彼らは「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。」(使徒16:25)なんと二人は賛美していたのです。獄中には主の臨在が満ち、囚人たちにも平安が注がれました。すると「突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった」(26節)天地を揺り動かされる主の伏兵で皆が解放され、看守とその家族全員までが救われたのです。
絶対絶命からの勝利は<信仰と賛美>です。神のことばの事実を信じる時、喜びと賛美の感情が生まれます。事実→信仰→感情。
これが勝利の原点です。私たちと共にいてくださる主のみことばを信じる信仰によってどんな絶体絶命な状況にあっても勝利するのです。
「絶体絶命」 Ⅱ歴代誌20:11~22
絶体絶命とは「どうしても逃げられない困難に追い詰められ切羽詰まった状態で時には生命も危ういことを言います。人生には絶体絶命に追い込まれる事もあるのです。聖書をみていきましょう。
<ヨシャパテ王とイスラエル>
この時、ヨシャパテ王とイスラエルの民は、彼らをその地から追い出そうとアモン人とモアブ人、およびセイル山の人々が大軍を率いて戦いを挑んできた時でした。王は神に向かい「私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」(歴代誌Ⅱ20:12) 主は預言者ヤハジエルを遣わされ「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ」(17節) と告げられると「ヨシャパテ王と民は皆、主の前にひれ伏して礼拝し、大声でイスラエルの神、主を賛美した(18~19節)のです。神が共にある事に力を得たヨシャパテは預言者から語られたことを信じてした行動はなんと、美しい飾りでの聖歌隊を編成し敵の最前線に立って「主に感謝せよ。その恵みは常まで」と賛美をさせました。「彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けてユダに攻めてきたアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた」(22節)のです。主は人間には予想できない伏兵を送って主を信頼する者に勝利を与えてくださったのです。
<神の伏兵>
主が設けてくださる伏兵とは何でしょう。絶体絶命の時、主がなさる戦いの勝利(伏兵)は、人には全く想像がつかないのです。
◆暗闇の中で敵が同士討ちをする。(士師記7:22)ギデオンとたった300人の兵は敵ミデヤンの大軍が同士討ちを始めたため戦わずして敵を敗走させたのです。
◆角笛の音と叫び声によって壁が崩れ落ちる。(ヨシュア6:5)立ちはだかってそびえ立つ堅固な城壁は手を触れず崩れ落ち、ヨシュア将軍と兵はエリコの町に攻め上ったのです。
私たちは絶体絶命の時、慌て恐れ、泣き叫ぶかもしれません。聖書は私たちに何をするべきかをこの記事を通して教えています。これらの人々にとって唯一の希望は神様だけでした。ひたすら神を仰いでいた彼らに、主は助け(伏兵)を遣わして数多くの敵にも関わらず大勝利を収めることができたのです。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)
新約聖書には命を失う危険の中から救い出されたパウロとシラスの記事があります。占いの霊に憑かれた女占い師から悪霊を追い出した事を雇人に恨まれた二人は投獄されたのです。手足を鎖で吊るされ鞭で打たれた痛みと絶望の中で、彼らは「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。」(使徒16:25)なんと二人は賛美していたのです。獄中には主の臨在が満ち、囚人たちにも平安が注がれました。すると「突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった」(26節)天地を揺り動かされる主の伏兵で皆が解放され、看守とその家族全員までが救われたのです。
絶対絶命からの勝利は<信仰と賛美>です。神のことばの事実を信じる時、喜びと賛美の感情が生まれます。事実→信仰→感情。
これが勝利の原点です。私たちと共にいてくださる主のみことばを信じる信仰によってどんな絶体絶命な状況にあっても勝利するのです。