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  礼拝メッセージ 2024年9月22日/小坂叡華主任牧師

「見える信仰」 マルコ1章1~12節

「あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ18:8)イエス様が再びこの地上に来られた時、イエス様が一番見たいもの、それはクリスチャンの「信仰」です。信仰は目に見えないものだと思いがちですが、信仰は目に見えるのです。なぜなら、信仰には行ないが伴うからです。聖書は次のように説明しています。「もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、~中略~「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです」(ヤコブ2:15~17)行いのない信仰は死んだものなのです。

<信仰は目に見えるもの> 
イエス様がカペナウムの家で大勢の人々にみことばを話しておられる時、「ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。」のです。イエス様は四人の信仰をご覧になって中風の人を癒されました。この4人の行動から彼らの信仰を見る事が出来ます。

<信仰は障害を乗り越える>…四人は行ないを通して彼らの信仰を現わしました。自分で歩くことも出来ず寝たきりで言葉も話せない人を何としてもイエス様に祈って頂きたいと、人込みを諦めずに屋根を剥がしイエス様の前に病人をつり降ろしたのです。四人の誰かが反対すればこの障害を越えて病人を降ろすことは出来なかったでしょう。
「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われました。」私たちの信仰生活にも突然予想外の問題や障害が起こります。その時、決して諦めずに信仰によって前に向かうなら主の御業が起こるのです。そしてその障害が却って主の栄光に変わるのです。イエス様は障害を越えようとする四人の信仰を見たのです。

<信仰の行動は愛からくる>……この驚くべき光景をイエス様はこの四人の一致の行動に友を愛する愛を見られました。中風の人に癒される信仰があったかは分かりません。しかし四人には愛に伴う信仰がありました。「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです」(ガラテヤ5:6)割礼は律法であり常識です。常識ではなく、愛によって働く常識を超えた信仰が神の奇跡を生み出すのです。この愛は愛の源であるイエス様から流れるのです。

<行いの伴う信仰の結果>
「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない。」と言って神をあがめた」(11~12節)四人の友の信仰が称讃されたのではなく人々は神の御業をあがめました。再臨のイエス様が見たい信仰はこのように愛に伴う大胆で諦めない信仰です。イエス様にお会いした時に、目に見える信仰があなたの内にあるのを見て、イエス様は喜んで下さいます。



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