礼拝メッセージ 2024年9月1日/小坂叡華主任牧師
「心を見られる主」
「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサムエ16:7)
神様は人の心を知っておられます。ダビデは「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」(詩篇139:4)と告白しました。今朝は主が一人の弟子になさった御業をみていきましょう。
<マタイの心>
イエス様は収税所にすわっていた取税人マタイに「わたしについて来なさい」と言われました。「すると彼は立ち上がって、イエスに従った」(マタイ9:9)のです。マタイは何故一言も尋ねずにイエス様に付いて行ったのでしょうか。
マタイの本名はアルパヨの子レビです。「レビ」とはイスラエルの十二部族の名前で、神の宮で仕える祭司として聖別された人たちであり、ダビデの時代には賛美を捧げる特別な部族だったのです。“レビ”という名を持ちながら、彼の生き方はローマに仕えて同胞から税金を取り立てる罪人の仲間とされ、ユダヤ人からは恨まれる嫌われ者だったのです。しかしイエス様は、人に知られないマタイの心にある葛藤や虚しさを見抜いていました。その上で「私について来なさい。」と声をかけられたのです。マタイがイエスに従うのにことばは要りませんでした。イエス様はマタイの心の内を全てご存知だったからです。
<マタイの名>
マタイは後に「マタイの福音書」を書いた人物です。そして「マタイ」という名前には『神の賜物』という意味があるそうです。彼の賜物とは何でしょう。
【賜物①境遇】「イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた」(マタイ9:10)マタイは家にイエス様と取税人達を大勢食事に招いていました。マタイは彼らの虚しさを知っていました。「自分は虚しさをイエス様によって癒され満たされた。彼らもイエス様のところに来たら必ず満たされるに違いない。」と彼らをイエスのもとに連れて来たのです。パリサイ人は早速取税人や罪人と食事をするイエスを非難しました。しかしイエスは「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5:31-32)とパリサイ人を退けたのです。私たちに与えられている境遇や環境もマタイと同様に賜物なのです。それは同じ境遇にある人の心を理解することが出来るからです。イエス様のところに、彼らを連れて行くことが出来るのは、同じ境遇を与えられたあなたの使命なのです。
【賜物②能力】マタイが書いた「マタイの福音書」の特徴は「予言の成就」という視点からイエス様の働きを捉えられていることです。レビ人は小さい頃から聖書を学び、旧約聖書のモーセ五書は全て記憶している程です。旧約聖書に精通していたマタイはイエスの行動を旧約聖書に照らし合わせて確認するという力がありました。また取税人として細かなことを記録しておく経験と能力もマタイの福音書を書くために用いられたのです。
マタイのように空しく無意味だと思えたあなたの人生にある境遇や環境、過去に体験し学んだことに無駄ではありません。あなたの心の中を知っておられる主は、それらを神の時が満ちた時に活かしてくださるのです。「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです」(Ⅱコリ4:15)あなたと同じ境遇を悲しみ、苦しんでいる人々にイエス様の愛を伝えていきましょう。
「心を見られる主」
「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサムエ16:7)
神様は人の心を知っておられます。ダビデは「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」(詩篇139:4)と告白しました。今朝は主が一人の弟子になさった御業をみていきましょう。
<マタイの心>
イエス様は収税所にすわっていた取税人マタイに「わたしについて来なさい」と言われました。「すると彼は立ち上がって、イエスに従った」(マタイ9:9)のです。マタイは何故一言も尋ねずにイエス様に付いて行ったのでしょうか。
マタイの本名はアルパヨの子レビです。「レビ」とはイスラエルの十二部族の名前で、神の宮で仕える祭司として聖別された人たちであり、ダビデの時代には賛美を捧げる特別な部族だったのです。“レビ”という名を持ちながら、彼の生き方はローマに仕えて同胞から税金を取り立てる罪人の仲間とされ、ユダヤ人からは恨まれる嫌われ者だったのです。しかしイエス様は、人に知られないマタイの心にある葛藤や虚しさを見抜いていました。その上で「私について来なさい。」と声をかけられたのです。マタイがイエスに従うのにことばは要りませんでした。イエス様はマタイの心の内を全てご存知だったからです。
<マタイの名>
マタイは後に「マタイの福音書」を書いた人物です。そして「マタイ」という名前には『神の賜物』という意味があるそうです。彼の賜物とは何でしょう。
【賜物①境遇】「イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた」(マタイ9:10)マタイは家にイエス様と取税人達を大勢食事に招いていました。マタイは彼らの虚しさを知っていました。「自分は虚しさをイエス様によって癒され満たされた。彼らもイエス様のところに来たら必ず満たされるに違いない。」と彼らをイエスのもとに連れて来たのです。パリサイ人は早速取税人や罪人と食事をするイエスを非難しました。しかしイエスは「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5:31-32)とパリサイ人を退けたのです。私たちに与えられている境遇や環境もマタイと同様に賜物なのです。それは同じ境遇にある人の心を理解することが出来るからです。イエス様のところに、彼らを連れて行くことが出来るのは、同じ境遇を与えられたあなたの使命なのです。
【賜物②能力】マタイが書いた「マタイの福音書」の特徴は「予言の成就」という視点からイエス様の働きを捉えられていることです。レビ人は小さい頃から聖書を学び、旧約聖書のモーセ五書は全て記憶している程です。旧約聖書に精通していたマタイはイエスの行動を旧約聖書に照らし合わせて確認するという力がありました。また取税人として細かなことを記録しておく経験と能力もマタイの福音書を書くために用いられたのです。
マタイのように空しく無意味だと思えたあなたの人生にある境遇や環境、過去に体験し学んだことに無駄ではありません。あなたの心の中を知っておられる主は、それらを神の時が満ちた時に活かしてくださるのです。「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです」(Ⅱコリ4:15)あなたと同じ境遇を悲しみ、苦しんでいる人々にイエス様の愛を伝えていきましょう。