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  礼拝メッセージ 2024年8月18日/小坂叡華主任牧師

「暁を呼びさましたい」  詩篇57篇

「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい」(7~8節)
今朝のみことば詩篇57篇はダビデがサウル王から逃れて洞窟に隠れていた時に歌われたダビデのミクタムという賛美です。この時はダビデの生涯で最も辛く苦しい時でした。忠実を尽くした上司のサウル王から妬まれ命を狙われていたのです。しかし彼はどんな苦しみの中でも神への信頼を失いませんでした。洞窟の中でサウルを打つチャンスがあっても、「油注がれた方に手を下すことは出来ない」と「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない」(詩篇62:1~2)と神の御手に委ねたのです。ダビデは襲ってくる状況に打ちひしがれる事なく振り回されて気持ちが揺らぐ事なく自分を奮い立たせ「私の心はゆるぎません」と二度も宣言しているのです。

<神の栄光を求め> 
ダビデはこの苦境から自分を助け出してくださいと祈るのではなく、天地を作られた神への感謝と賛美を捧げる決意を示したのです。「主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。」(9~10節)更にダビデは真っ暗な洞窟の中に閉じ込められていながら彼の眼は全世界を見ました。やがて壮大な夢へと開かれて行くことを告白し「 神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。」(11節)と祈り、その実現に向けて「私は暁を呼びさましたい」と決意を語っているのです。この聖句は暗闇の中で「夜明けの兆し」を見ようとするダビデの神への「賛美の誓い」だといえるのです。
事実ダビデはエルサレムの神殿礼拝において24時間、絶えることのない賛美を神にささげるため、レビ人による聖歌隊や祭司たちが演奏する楽器を準備しました。神の国であるイスラエルにおいて、国をあげて、賛美をもって神を礼拝し、神の臨在を呼び覚ますことが彼のビジョンでした。窮状の中にあって誓ったダビデの夢は拡大し、全世界に開かれていきました。

<ダビデの賛美の原点>
ダビデが願った壮大な賛美のビジョンは彼の原点にあります。ダビデが王に召されたのは琴の上手な弾き手だったからです。羊を守りながらまるで神と羊に聞かせるように琴を弾いていた羊飼いダビデはいつの間にか素晴らしい弾き手になっていました。主は預言者サムエル通してダビデを選び見いだされたのです。やがてその琴の音は精神的な病を持ったサウル王を癒すために召し抱えられました。(Ⅰサムエル16:16~18)私は賛美の器であるダビデの弟子として、日本のリバイバルの鍵は賛美にあると信じています。この思いは決して揺るぎません。なぜなら約束のみことばが与えられているからです。「そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている」(イザヤ59:19)リバイバルの約束は日本の教会に賛美が満ちる時、聖霊の激しい流れが日本に吹き込み主の栄光が恐れられるほど輝くと預告しています。なぜなら賛美の中に主の臨在が満ちるからです。「あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます」(22:3)どんなことが起ころうとも神にほめ歌うことを心に定め、賛美のリバイバルの担い手として用いていただきましょう。


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