礼拝メッセージ 2024年8月11日/秋山浩副牧師
「主を頼みとする者の祝福」 エレミヤ17章5~9節
ここに2種類の人の姿が対照的に書かれています。
1)人間に信頼する者、自分の力に頼むもの…「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる」(9節<新共同訳>)
人間の内側を表わしています。私たち自身も様々な問題の中で、心が病んでしまうことがあるかもしれません。そんな弱い人間に、まして自分の力に頼っても失望することになるでしょう。だからと言って人との関係の中で私たちは生きているのですから、互いに信頼しあう関係を求めるべきです。築き上げられれば私たちの人生は豊かになります。しかし大事なのは神以上に、人に依存したり自分の力に頼んではならないのです。そのような者に主は厳しい警告をされています。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ」(5節)
2)神に信頼する者…「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる」(7~8節)
水のほとりに植わった木は根が水分を充分に吸収できるので暑さに耐え弱ることなく葉を豊かに茂らせ実をみのらせます。詩篇1篇 はクリスチャンがどのような者であるかを教えています。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」(2~3節)このようにクリスチャンを水路のそばに植わった木、教会に植えられた木に例えています。ですから私たちは教会に集い主との交わりを通して、それぞれの信仰の根は張り伸ばされ成長していくのです。
<信仰の根を張るために>
木の根は土に隠されているので目に見ることは出来ません。同じように神様との関係は、人の目に見えない生活の中で神との豊かな交わりの中で養われていきます。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(マタイ6:6)
<人生にみのらせる実とは>
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(ガラテヤ5:22~23)人間の努力で何一つ表わすことはできません。しかし、日々神との交わりを持ち信仰の根を張り延ばし成長していくならば、神の時に私たちの人生に実をみのらせると約束しているのです。
聖書は人に信頼する者・自分の力を頼みとする者の愚かではかない姿と、主により頼む者の人生がどれほど祝福であるかが対照的に書かれています。日々主との交わりを求めていきましょう。聖書も読まず祈らなければ、また集まりを怠っているのならば、主を信頼する信仰者になることはできないでしょう。「ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ」(イザヤ37:31)信仰の根をしっかりと張って成長するならば、神の時に主が私たちの人生に豊かな実をみのらせてくださるのです。
「主を頼みとする者の祝福」 エレミヤ17章5~9節
ここに2種類の人の姿が対照的に書かれています。
1)人間に信頼する者、自分の力に頼むもの…「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる」(9節<新共同訳>)
人間の内側を表わしています。私たち自身も様々な問題の中で、心が病んでしまうことがあるかもしれません。そんな弱い人間に、まして自分の力に頼っても失望することになるでしょう。だからと言って人との関係の中で私たちは生きているのですから、互いに信頼しあう関係を求めるべきです。築き上げられれば私たちの人生は豊かになります。しかし大事なのは神以上に、人に依存したり自分の力に頼んではならないのです。そのような者に主は厳しい警告をされています。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ」(5節)
2)神に信頼する者…「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる」(7~8節)
水のほとりに植わった木は根が水分を充分に吸収できるので暑さに耐え弱ることなく葉を豊かに茂らせ実をみのらせます。詩篇1篇 はクリスチャンがどのような者であるかを教えています。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」(2~3節)このようにクリスチャンを水路のそばに植わった木、教会に植えられた木に例えています。ですから私たちは教会に集い主との交わりを通して、それぞれの信仰の根は張り伸ばされ成長していくのです。
<信仰の根を張るために>
木の根は土に隠されているので目に見ることは出来ません。同じように神様との関係は、人の目に見えない生活の中で神との豊かな交わりの中で養われていきます。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(マタイ6:6)
<人生にみのらせる実とは>
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(ガラテヤ5:22~23)人間の努力で何一つ表わすことはできません。しかし、日々神との交わりを持ち信仰の根を張り延ばし成長していくならば、神の時に私たちの人生に実をみのらせると約束しているのです。
聖書は人に信頼する者・自分の力を頼みとする者の愚かではかない姿と、主により頼む者の人生がどれほど祝福であるかが対照的に書かれています。日々主との交わりを求めていきましょう。聖書も読まず祈らなければ、また集まりを怠っているのならば、主を信頼する信仰者になることはできないでしょう。「ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ」(イザヤ37:31)信仰の根をしっかりと張って成長するならば、神の時に主が私たちの人生に豊かな実をみのらせてくださるのです。