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  礼拝メッセージ 2024年8月4日/小坂叡華主任牧師

「渇く者は来て飲みなさい」  ヨハネ7章37~38節

今や地球は沸騰時代を迎えているようで酷暑が続いています。熱中症予防には水分補給が欠かせません。喉の渇きを感じにくい高齢者は生命を落とすこともあるのです。しかし喉の渇きだけではなくもっと気をつけなければならないのが魂の渇きです。
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」(ヨハネ7:37
祭りの大いなる日とは「仮庵の祭り」のことです。現在も大切に守られています。何百年もエジプトの奴隷であったユダヤ人の祖先がエジプトから脱出し解放された後、約束の地に辿り着くまで40年間、荒野で仮庵(天幕)の生活をしました。人々は神から水を与えられマナを与えられて生かされたのです。そのような神の恵みを思い起こす喜びと祝いの祭りの最中でした。
イエス様は祭りの最後の聖なる集会に集まってきた人々に向かって立ち上がり「だれでも渇く者は、わたしのもとに来て飲みなさい」と大声で叫ばれたのです。勿論、渇く者とは喉が渇いている人ではありません。魂に渇いている人々に呼びかけたのです。

<魂の渇き> 

今日の私たちは「魂の渇き」を自覚しているでしょうか。なにもやる気が起きない、日々の生活に力がでない。あるいは恐れや不安で、いつも落ち着かない思いや空しい気持ちに襲われる時はないでしょうか?様々な出来事にせかされているようで心も体も疲れ切ってしまい、イライラし寂しさを感じる毎日なのに理由がわからない、そんな思いの人も多いのです。そのような状態こそ実は「魂が渇いている」のです。

<生けるいのちの水>
イエス様は井戸に飲み水を汲みに来たサマリヤの女に声をかけられました。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハネ4:13~14)すると「女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい」(15)と求めたのです。
現代の私たちも同じです。熱中症に罹っているのに気付かないで命を落とす人のようで魂の健康にとってとても危険な状態と言えるのです。イエス様は仮庵の祭りで人々を招いた時に続けて、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(7:38)と言われました。イエス様がくださる「いのちの水」は、こんこんと湧き出る泉のように、私たちの渇きを潤すだけでなく、私たちの周囲のすべての人を潤すことができる水です。
イエス様の水を飲むとは、イエス様を自分の救い主と信じることです。私たちはいつも自分に満足できません。自分を変えたい、新しくなりたいとどれほど願っているでしょうか。イエス様の水を求めたサマリヤの孤独な女性は、喜びにあふれて以前とは全く違って活き活きと人々に接する事が出来るように変えられました。そして、この尽きることのない喜びと満足を与える「いのちの水」はイエスを信じる者なら「だれでも」受け取ることができるのです。
「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい」(黙示録22:17)
求める人がただ(無償)で受け取れるのはイエス様が十字架でその代価を払ってくださったからです。魂の渇きを覚えたら主のもとに行き「いのちの水」を受け取りましょう。
「まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた」(詩篇107:9)   


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