礼拝メッセージ 2024年6月30日/秋山浩副牧師
「新しく造られるために」
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)
クリスチャンはキリストにあってすでに新しくされましたが、完成された存在ではないので日々主に新たにされることを求め続けていく必要があります。(Ⅱコリント4:16)
そのために私たち自身はどうあるべきか、ダビデとサウロの人生から学んでいきます。
<サウロ>
「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます」(Ⅰサムエル10:6)主の霊によって新しくされたサウロは初代イスラエルの王に任じられましたが、彼は新しくされた者に相応しい生き方ができなかったのです。
*サウロの失敗…彼は禁じられていた全焼の生贄を自らで捧げるという過ちを犯しても悔い改めませんでした。(13章)、またアマレクを罰してすべてを聖絶するよう主に命じられても、民の声に聞き従い分捕りものの中から値打ちのある羊や牛を惜しみました。(15章)彼は神ではなく人の声を恐れ、自分の面目ばかりを気にしたのです。
<ダビデ>
ダビデは姦淫・殺人という取り返しのつかない大きな罪を犯しました。神は彼の罪を暴かれましたが、ダビデは謙遜になって心から悔い改めたのです。その時の心情を歌にしたのが詩篇51篇です。「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように」(10~12節)砕かれへりくだった遜ったダビデを神は豊かに祝福されました。聖霊によってますます新しくされたダビデは神を愛し神の道を歩み、主はダビデを「善かつ且つ忠なる僕」とまで喜ばれました。ダビデのゆえにのちに何度も罪を犯すユダの家を哀れまれ、存続を許されたのです。
<神様が私たちに求めているのは>
「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」(ミカ6:8)イエス様のいのちと引き換えに救ってくださった主のその真実の愛に、私たちはどれだけ誠実に応えているでしょうか。神様はへりくだった者を愛され、その人と共に歩まれます。謙遜な者に主は聖霊の恵みを豊かに注いでくださり、日々新しくされるのです。
サウロは主の霊によって新しくされました。けれども彼は神の前にへりくだることをせずに自分の考えを優先させました。私たちもキリストによって新しくされましたが、自我が強いと私たちもサウロのような失敗をしてしまうのです。大事なのはたとえ失敗しても悔い改めることです。
2024年も折り返し地点となりました。年頭にガラテヤ書の「大事なのは新しい創造です」が掲げられました。口語訳では「ただ、新しく造られることこそ、重要なのである」と訳されています。へりくだって神と共に歩み、私たちの人生に成される神の新しい創造の御業を求めて、残りの半年を期待し歩み出していきましょう。
「新しく造られるために」
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)
クリスチャンはキリストにあってすでに新しくされましたが、完成された存在ではないので日々主に新たにされることを求め続けていく必要があります。(Ⅱコリント4:16)
そのために私たち自身はどうあるべきか、ダビデとサウロの人生から学んでいきます。
<サウロ>
「主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます」(Ⅰサムエル10:6)主の霊によって新しくされたサウロは初代イスラエルの王に任じられましたが、彼は新しくされた者に相応しい生き方ができなかったのです。
*サウロの失敗…彼は禁じられていた全焼の生贄を自らで捧げるという過ちを犯しても悔い改めませんでした。(13章)、またアマレクを罰してすべてを聖絶するよう主に命じられても、民の声に聞き従い分捕りものの中から値打ちのある羊や牛を惜しみました。(15章)彼は神ではなく人の声を恐れ、自分の面目ばかりを気にしたのです。
<ダビデ>
ダビデは姦淫・殺人という取り返しのつかない大きな罪を犯しました。神は彼の罪を暴かれましたが、ダビデは謙遜になって心から悔い改めたのです。その時の心情を歌にしたのが詩篇51篇です。「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように」(10~12節)砕かれへりくだった遜ったダビデを神は豊かに祝福されました。聖霊によってますます新しくされたダビデは神を愛し神の道を歩み、主はダビデを「善かつ且つ忠なる僕」とまで喜ばれました。ダビデのゆえにのちに何度も罪を犯すユダの家を哀れまれ、存続を許されたのです。
<神様が私たちに求めているのは>
「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」(ミカ6:8)イエス様のいのちと引き換えに救ってくださった主のその真実の愛に、私たちはどれだけ誠実に応えているでしょうか。神様はへりくだった者を愛され、その人と共に歩まれます。謙遜な者に主は聖霊の恵みを豊かに注いでくださり、日々新しくされるのです。
サウロは主の霊によって新しくされました。けれども彼は神の前にへりくだることをせずに自分の考えを優先させました。私たちもキリストによって新しくされましたが、自我が強いと私たちもサウロのような失敗をしてしまうのです。大事なのはたとえ失敗しても悔い改めることです。
2024年も折り返し地点となりました。年頭にガラテヤ書の「大事なのは新しい創造です」が掲げられました。口語訳では「ただ、新しく造られることこそ、重要なのである」と訳されています。へりくだって神と共に歩み、私たちの人生に成される神の新しい創造の御業を求めて、残りの半年を期待し歩み出していきましょう。