礼拝メッセージ 2024年6月9日/ソン・ヨンソン牧師
「目をさましていなさい」 マタイ24章
イエス様はマタイ24章で終りの時代に起こる兆候を弟子たちに告げられました。飢饉や地震、戦争、偽キリストが現れるなど、それらの後に「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです」(29~30節)このように主が再臨される時に起こることを明確に示されたのです。しかし、いつ再臨の主が来られるのか、それは誰にも分かりません。父なる神様だけが知っておられます。イエス様は「だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから」(44節)と警告されました。
25章になるとイエス様は花婿(再臨の主)を迎える10人の娘のたとえを話されました。娘らは花婿が来るのが遅れたので眠り始めてしまいました。するとそこに再臨の主が突然来られたのです。賢い5人は準備ができていました。すぐにともしびを整え花婿を迎えたので、婚礼の席に入れたのです。しかし愚かな5人は、用心せずに備えをおろそかにしたので戸は閉じられたのです。このたとえの結論に主は重要なことを語られました。「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです」(13節)
<目をさますとは~どのような生き方をするのか>
私たちは目をさましている生き方とは、聖書を読み、みことばの教えを守り、困った人を助けることなどを考えます。確かにそれは目指すべき重要なことですが、もう一つ大事なことをイエス様は次のように教えられたのです。「主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか」(45節)食事は肉体のためだけではありません。イエス様が言われたように「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)という霊的な食べ物が必要なのです。忠実な思慮深い僕とは、神の命令に従って霊的に飢え乾いている人に心を配り霊の食事を提供する人です。乾いた人々に関心をもって、それを行うことが目をさましているという生き方です。失われた魂を愛し霊的な糧であるみことばを語り与える人なのです。
<弟子を作る>
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(28:18~19)イエス様が命じられた大宣教命令です。すべての権威はイエス様に与えられています。ですから恐れずに飢え乾いた人に霊の糧を提供し、多くの人々をキリストの弟子としていくのです。「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(20節)イエス様が再臨される日は近づいています。いつ来られてもいいように、しっかり備えをし目をさましていましょう。
「目をさましていなさい」 マタイ24章
イエス様はマタイ24章で終りの時代に起こる兆候を弟子たちに告げられました。飢饉や地震、戦争、偽キリストが現れるなど、それらの後に「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです」(29~30節)このように主が再臨される時に起こることを明確に示されたのです。しかし、いつ再臨の主が来られるのか、それは誰にも分かりません。父なる神様だけが知っておられます。イエス様は「だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから」(44節)と警告されました。
25章になるとイエス様は花婿(再臨の主)を迎える10人の娘のたとえを話されました。娘らは花婿が来るのが遅れたので眠り始めてしまいました。するとそこに再臨の主が突然来られたのです。賢い5人は準備ができていました。すぐにともしびを整え花婿を迎えたので、婚礼の席に入れたのです。しかし愚かな5人は、用心せずに備えをおろそかにしたので戸は閉じられたのです。このたとえの結論に主は重要なことを語られました。「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです」(13節)
<目をさますとは~どのような生き方をするのか>
私たちは目をさましている生き方とは、聖書を読み、みことばの教えを守り、困った人を助けることなどを考えます。確かにそれは目指すべき重要なことですが、もう一つ大事なことをイエス様は次のように教えられたのです。「主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか」(45節)食事は肉体のためだけではありません。イエス様が言われたように「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)という霊的な食べ物が必要なのです。忠実な思慮深い僕とは、神の命令に従って霊的に飢え乾いている人に心を配り霊の食事を提供する人です。乾いた人々に関心をもって、それを行うことが目をさましているという生き方です。失われた魂を愛し霊的な糧であるみことばを語り与える人なのです。
<弟子を作る>
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(28:18~19)イエス様が命じられた大宣教命令です。すべての権威はイエス様に与えられています。ですから恐れずに飢え乾いた人に霊の糧を提供し、多くの人々をキリストの弟子としていくのです。「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(20節)イエス様が再臨される日は近づいています。いつ来られてもいいように、しっかり備えをし目をさましていましょう。