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  礼拝メッセージ 2024年6月2日/小坂叡華主任牧師

「宮の再建 仕事に取り掛かれ」 ハガイ書2章

イスラエルの民はバビロン捕囚となった66年後に、クロスⅡ世王によって解放されエルサレムに戻って神殿を再建することが許されました。総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアに導かれてバビロンからエルサレムへの帰還した民は僅か5万人足らずでした。その中にはソロモン王が建てた輝かしく壮大できらびやかな宮を知っている年寄りも残っていました。

<生き残った者>
その僅かな人々が宮の再建工事に取り掛かったのです。預言者ハガイを通して主の言葉がありました。「あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか」(3節)
目に見える現状は余りにもみすぼらしく主が示してくださった幻とは比べ物にならずに気落ちしてしまうのです。又、周囲のサマリヤ人の妨害によって中断させられ神殿再建に挫折してユダヤ人たちは失意のうちにあったのです 。

<仕事に取りかかれ>
主の業に励んで前進しようとする私たちを失望させてしまうのは目に見える状況です。キラキラした輝かしい喜びと誇り、活力に満ちた日々を取り戻そうとする時に、目の前の現状が阻むのです。そんな民に向かい主は夫々を励まされたのです。「しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。――主の御告げ。――エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。――主の御告げ。――仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。――万軍の主の御告げ。――あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。」4~5節
それから主は民に命じられました。「仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。恐れるな」主がともにおられるとは、自分の力ではなく、主の御力によって前進することです。更に「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」(ゼカリヤ4:6)7節には「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう」なんという恵みでしょう。どんなにボロボロになってもどんなに失意の中にあっても主が強めてくださり、主の恵みによって力を与えてくださるのです。

<栄光の宮>

「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。―万軍の主の御告げ―」(9節)
主の宮の栄光とは建物の壮大さではなく、主ご自身が宮の中におられその栄光が輝いていることです。モーセが幕屋を完成させたとき主の栄光が満ちましたし、ソロモンが神殿を建てたときも、栄光の雲が宮に満ちて祭司は中で仕える事ができませんでした。主の臨在が宮にあふれ、栄光が宮に満ちるのです。今日多くの弱っている教会に主の臨在が溢れるなら、教会は主の栄光で満たされます。それは私たち自身が聖霊の宮として神の栄光を現す者となることです。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」(Ⅰコリント6:19~20)神に忠実な歩みを主は祝福してくださいます。私たちを通して神の祝福は流れていき、リバイバルの御業は必ず起こると信じます。目の前の現状に囚われないように、主に励まされ主の働きに前進しましょう。


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