礼拝メッセージ 2024年4月28日/小坂叡華主任牧師
「新しい事をする」
「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている」(イザヤ43:18~19)
「先の事ども」とは、これから先に起こる事ではなく以前にあった事です。その昔イスラエルの民はエジプトで奴隷とされ苦役を強いられていましたが、神様は彼らの叫びを聞かれモーセによってエジプトから引き出され、約束の地カナンに向けて出発しました。彼らは荒野を40年さまよい、その旅路は苦労の連続でしたが、神様は岩から水を湧き出させ、天からのマナで民を養われたのです。イザヤが活動していた当時の民はバビロンに捕囚とされ辛い状況を嘆いていたのです。彼らは昔は良かった。昔、神は助けてくれた。でも今は違う。ああ昔の人たちはよかったと嘆いてる民にイザヤを通して警告されたのです。今、私たちも同じように昔を振り返ってばかりしてはいませんか?
神様は私達を祝福したい、私達の人生に新しい事を起こしたいと願っておられます。そのためには過去に対するこだわりを一切捨てて前に向かわなければ新しい人生は開かれてこないのです。パウロは「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、~中略~目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ3:13~14)過去の栄光も、または過去の苦い思い出も、過去を引きずったままでは前向きな人生にはなれないのです。何故、神様は先のことを思い出すなと命じておられるのでしょうか。
1)神は過去の神ではない。今も生きて働かれる神… 2)過去にとらわれていては新しい事は起こらない… 3)失敗を恐れては新しい事にチャレンジできない…多くの人は現状維持を求めます。なぜなら新しい事には、リスクが伴うからです。新しいことを受け入れる信仰が必要です。神様は私たちの人生に新しいことをされたいのです。
<荒野に水が湧き出る>
「わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ」(イザヤ43:20)
荒野は何の収穫も期待できない不毛の地です。新しい事というのはそのような荒野に水が湧くようになるということです。イエス様は井戸端で出会ったサマリヤの女との会話の中で、「この水を飲む者は誰でもまた渇きます。しかし、私が与える水を飲む者は誰でも決して渇く事がなく、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」(ヨハネ4:13~14)と語られました。彼女の心は荒地でした。人と会いたくなかった。後ろめたいからです。しかしイエス様と出会って彼女の心は変わったのです。なんと彼女はすぐにサマリヤの街に引き返し「私のすべてを言い当てた方がおられます。イエス様ですよ、この方こそ私達が待ち望んでいた救い主です」とイエス様のことを大胆に証しするとサマリヤに大リバイバルが起きたのです。
<後ろのものを忘れ、ひたむきに前に向かう>
まさに荒野のただ中にいてくださるのが、イエス・キリストです。イエス様は、私たちの苦しみも涙も、すべてご存知のお方です。明日という日は、今日とは違う、全く新しい一日です。苦しみがいつまでも続くわけではありません。あなたの人生にも新しい事が始まります。年老いても若くても新しいことを受け入れる信仰を持ちましょう。日々、神様から新しい恵み、新しい愛、新しい命をいただきながら、新しい一日を輝いて生きて行くのです。「見よ。わたしは新しい事をする」
「新しい事をする」
「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている」(イザヤ43:18~19)
「先の事ども」とは、これから先に起こる事ではなく以前にあった事です。その昔イスラエルの民はエジプトで奴隷とされ苦役を強いられていましたが、神様は彼らの叫びを聞かれモーセによってエジプトから引き出され、約束の地カナンに向けて出発しました。彼らは荒野を40年さまよい、その旅路は苦労の連続でしたが、神様は岩から水を湧き出させ、天からのマナで民を養われたのです。イザヤが活動していた当時の民はバビロンに捕囚とされ辛い状況を嘆いていたのです。彼らは昔は良かった。昔、神は助けてくれた。でも今は違う。ああ昔の人たちはよかったと嘆いてる民にイザヤを通して警告されたのです。今、私たちも同じように昔を振り返ってばかりしてはいませんか?
神様は私達を祝福したい、私達の人生に新しい事を起こしたいと願っておられます。そのためには過去に対するこだわりを一切捨てて前に向かわなければ新しい人生は開かれてこないのです。パウロは「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、~中略~目標を目ざして一心に走っているのです」(ピリピ3:13~14)過去の栄光も、または過去の苦い思い出も、過去を引きずったままでは前向きな人生にはなれないのです。何故、神様は先のことを思い出すなと命じておられるのでしょうか。
1)神は過去の神ではない。今も生きて働かれる神… 2)過去にとらわれていては新しい事は起こらない… 3)失敗を恐れては新しい事にチャレンジできない…多くの人は現状維持を求めます。なぜなら新しい事には、リスクが伴うからです。新しいことを受け入れる信仰が必要です。神様は私たちの人生に新しいことをされたいのです。
<荒野に水が湧き出る>
「わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ」(イザヤ43:20)
荒野は何の収穫も期待できない不毛の地です。新しい事というのはそのような荒野に水が湧くようになるということです。イエス様は井戸端で出会ったサマリヤの女との会話の中で、「この水を飲む者は誰でもまた渇きます。しかし、私が与える水を飲む者は誰でも決して渇く事がなく、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」(ヨハネ4:13~14)と語られました。彼女の心は荒地でした。人と会いたくなかった。後ろめたいからです。しかしイエス様と出会って彼女の心は変わったのです。なんと彼女はすぐにサマリヤの街に引き返し「私のすべてを言い当てた方がおられます。イエス様ですよ、この方こそ私達が待ち望んでいた救い主です」とイエス様のことを大胆に証しするとサマリヤに大リバイバルが起きたのです。
<後ろのものを忘れ、ひたむきに前に向かう>
まさに荒野のただ中にいてくださるのが、イエス・キリストです。イエス様は、私たちの苦しみも涙も、すべてご存知のお方です。明日という日は、今日とは違う、全く新しい一日です。苦しみがいつまでも続くわけではありません。あなたの人生にも新しい事が始まります。年老いても若くても新しいことを受け入れる信仰を持ちましょう。日々、神様から新しい恵み、新しい愛、新しい命をいただきながら、新しい一日を輝いて生きて行くのです。「見よ。わたしは新しい事をする」