礼拝メッセージ 2024年3月31日/小坂叡華主任牧師
「2024年イースター礼拝」
今年の受難日深夜祈祷会では映画「パッション」の映像流しながら祈り、イエス様が全人類の罪を贖うためにどれほどむごい仕打ち受け、想像を絶する痛みに耐え血みどろの姿で十字架の刑を受けてくださったことを心に刻みました。死んで地獄に下られたイエス様はイースターの朝に死の力を打ち破りよみがえられたのです。イエス様の復活には二つの大きな目的がありました。第一は主を失って失望落胆している弟子たちを励まし強め、使命を確認させる事です。(ヨハネ15:16)第二はイエス様と同じ人格と力を持つ聖霊が来られることの宣言でした。それでイエス様は40日間、弟子たちに会われたのです。この期間は弟子たちにとって「準備の期間」つまり新しい創造、再出発の始まりでした。「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」(使徒 1:3)
<弟子たちの変化>
◆マグダラのマリア…イースターの朝、復活のイエス様は墓の前で悲しみ泣いていたマリヤに最初に会われました。そして『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい」(ヨハネ20:17)と弟子たちにイエス様の昇天を伝えるよう託されました。
◆エマオ途上の二人…同じ日、十字架の主に失望の挙句、自分の村に帰ることに決めてエマオに下って行くところでした。途中からイエス様が一緒に歩かれたのです。彼らは宿の食卓でやっとイエス様に気付き、もう一度心を燃やされてエルサレムに戻ったのです。「そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカ24:32)
<エルサレムの弟子たち>
◆11人の弟子…イエス様はエルサレムで隠れていた弟子たちのところに入って行かれました。集まって食事をしている場所に現われ「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。~中略~父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20:19~22)しかし、その場に居なかった疑り深いトマスは復活を信じませんでした。イエス様は8日後に来られトマスにご自身の手の傷跡に触れることを許されました。あの十字架の苦しみで釘付けにされた傷跡に触れることを許されたのです。「イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20:27~29)
<ガリラヤの弟子たち・ペテロの癒し>
◆11人の弟子…弟子たちはガリラヤにいました。イエス様はリーダー格のペテロには特別の計らいがありました。ガリラヤの漁師に戻ったペテロの漁は1匹も捕れませんでした。「イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。」(ヨハネ21:6)イエス様はペテロが以前体験した大漁の奇跡の出来事を思い出させて信仰の再教育をしたのです。又、十字架にかかられるイエス様の前で弟子であることを3度も否定したペテロに「あなたはわたしを愛しますか」と3度問われて、ペテロの裏切りを赦し心を癒されました。そして「わたしの羊を飼いなさい。」と使命を託されたのです。
「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)弟子たちは、約束の聖霊を受けると、全世界に出て行き福音を宣べ伝えました。私たちもイエス様の弟子として、それぞれが人生に実を結ばせる者として選ばれています。力ある弟子として復活の主の証人として全世界に救いを運びましょう。
「2024年イースター礼拝」
今年の受難日深夜祈祷会では映画「パッション」の映像流しながら祈り、イエス様が全人類の罪を贖うためにどれほどむごい仕打ち受け、想像を絶する痛みに耐え血みどろの姿で十字架の刑を受けてくださったことを心に刻みました。死んで地獄に下られたイエス様はイースターの朝に死の力を打ち破りよみがえられたのです。イエス様の復活には二つの大きな目的がありました。第一は主を失って失望落胆している弟子たちを励まし強め、使命を確認させる事です。(ヨハネ15:16)第二はイエス様と同じ人格と力を持つ聖霊が来られることの宣言でした。それでイエス様は40日間、弟子たちに会われたのです。この期間は弟子たちにとって「準備の期間」つまり新しい創造、再出発の始まりでした。「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」(使徒 1:3)
<弟子たちの変化>
◆マグダラのマリア…イースターの朝、復活のイエス様は墓の前で悲しみ泣いていたマリヤに最初に会われました。そして『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい」(ヨハネ20:17)と弟子たちにイエス様の昇天を伝えるよう託されました。
◆エマオ途上の二人…同じ日、十字架の主に失望の挙句、自分の村に帰ることに決めてエマオに下って行くところでした。途中からイエス様が一緒に歩かれたのです。彼らは宿の食卓でやっとイエス様に気付き、もう一度心を燃やされてエルサレムに戻ったのです。「そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」(ルカ24:32)
<エルサレムの弟子たち>
◆11人の弟子…イエス様はエルサレムで隠れていた弟子たちのところに入って行かれました。集まって食事をしている場所に現われ「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。~中略~父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20:19~22)しかし、その場に居なかった疑り深いトマスは復活を信じませんでした。イエス様は8日後に来られトマスにご自身の手の傷跡に触れることを許されました。あの十字架の苦しみで釘付けにされた傷跡に触れることを許されたのです。「イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20:27~29)
<ガリラヤの弟子たち・ペテロの癒し>
◆11人の弟子…弟子たちはガリラヤにいました。イエス様はリーダー格のペテロには特別の計らいがありました。ガリラヤの漁師に戻ったペテロの漁は1匹も捕れませんでした。「イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。」(ヨハネ21:6)イエス様はペテロが以前体験した大漁の奇跡の出来事を思い出させて信仰の再教育をしたのです。又、十字架にかかられるイエス様の前で弟子であることを3度も否定したペテロに「あなたはわたしを愛しますか」と3度問われて、ペテロの裏切りを赦し心を癒されました。そして「わたしの羊を飼いなさい。」と使命を託されたのです。
「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)弟子たちは、約束の聖霊を受けると、全世界に出て行き福音を宣べ伝えました。私たちもイエス様の弟子として、それぞれが人生に実を結ばせる者として選ばれています。力ある弟子として復活の主の証人として全世界に救いを運びましょう。