Message メッセージ




  礼拝メッセージ 2022年3月27日/故小坂忠名誉宣教牧師

「エマオツアーへ」マタイ16章13~28節

「ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れ たエマオという村に行く途中であった。」(13節)
彼らは故郷のエマオからエルサレムに来て、イエス様に人生を懸け弟子となって 主に仕えていました。それなのにイエス様は十字架で死なれたのです。希望を失 い失望落胆した二人はエルサレムを離れることを決め、故郷のエマオに向かって 絶望の旅を続けていました。しかし、この悲しみの道が大きく変わります。それ がエマオツアーの醍醐味です。今朝は彼らと一緒にエマオツアーに参加しましょう。
<話題の中心はイエス様でした>(15~16節)
二人は歩きながら、イエス様について論じ合っていました。すると死から勝利し 蘇られたイエス様が共に歩かれたのですが、彼らの目は遮られてイエス様だと分 からなかったのです。イエス様が十字架で死んだという強烈な出来事に心が囚わ れていたからです。どんな場合でも物事は素直で単純な心でなければ真相は見る ことはできません。私たちの思いは何かに囚われていませんか。あなたの目はイ エス様を見ているでしょうか。しかしどんな状況にあっても、私たちがイエス様 について話す所に主はいてくださるのです。
<二人の望みは>
「しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをか けていました」(21節)
彼らの望みはどこまでも人間の可能性に立ったもので した。だからイエス様が十字架で死んだという事実だけを見て彼らは絶望したの です。私たちはどうでしょうか。限界を越えた偉大な神を信じる信仰に立ってい るでしょうか。
<イエス様との交わりの中で>
イエス様は歩きながら彼らに聖書の言葉を説き明かされます。すると二人の心は 変わっていきます。目的の村に近づくと、イエス様は更に先に進んで行かれよう とされます。彼らはもっと話が聞きたいと願い、家にお招きし食事を共にします。「彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼 らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエス は、彼らには見えなくなった。そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっ ている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたで はないか」(30~32節)
目が閉ざされていた二人にはイエス様が分かりませんでした。しかし、彼らの目が開かれるとイエス様だと分かったのです。すると主は見えなくなりました。二 人は絶望で帰ったエマオで復活の主にお会いして、失望が希望に変えられまし た。もはやエマオにいる理由はなくなりました。エルサレムに向かって新たな旅 がスタートしたのです。
この弟子の名はクレオパといいます。もう一人は名前が記録されていません。多 くの聖書学者が無名の弟子を調べても分かりませんでした。私はこの弟子こそ私たちではないかと思わされました。
失望落胆していた彼らの心は喜びに変えられました。そしてエルサレムに戻り、 仲間の弟子たちに復活の主とお会いしたことを証しし、熱心に主に仕えていくよ うになります。これがエマオツアーの出来事です。いかがでしたか。復活が分か れば私たちの信仰生活は新しくなるのです。




<< メッセージの一覧にもどる