〜初期フリートウッド・マックのパワー炸裂〜
Peter Green'sFleetwood Mac
live at the BBC
(1996年発売.CRCL-4001-2)

 
メーカーCR
レーベル Loudwoof
解説書15ページ

曲目
DISC1
1. Rattlesnake Shake
2. Sandy Mary
3. Believe My Time A’int Long
4. Although The Sun Is Shining
5. Only You
6. You Never Know What You’re Missing
7. Oh Well
8. Can’t Believe You Wanna Leave
9. Jenny Lee
10. Heavenly
11. When Will I Be Loved
12. When I See My Baby
13. Buddy’s Song
14. Honey Hush
15. Preachin’
16. Jumping At The Shadows
17. Preachin’ Blues
18. Need Your Love So Bad

DISC2
1. Long Grey Mare
2. Sweet Home Chicago
3. Baby Please Set A Date
4. Blues With A Feeling
5. Stop Messing Around
6. Tallahassee Lassie
7. Hang On To A Dream
8. Linda
9. Mean Mistreating Mama
10. World Keeps Turning
11. I Can’t Hold Out
12. Early Morning Come
13. Albatross
14. Looking For Somebody
15. A Fool No More
16. Got To Move
17. Like Crying Like Dying
18. Man Of The World


ボーカル、ギター          :ピーター・グリーン
ボーカル・ギター          :ジェレミー・スペンサー
ドラムス              :ミック・フリートウッド
ベース               :ジョン・マクヴィー
ボーカル・ギター          :ダニー・カーワン


67年から71年までのライヴ音源です。
フリートウッド・マックは元ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズのピーター・グリーンとミック・フリートウッドが結成したバンドです。のちにジェレミー・スペンサー、ボブ・ブラニングが加わり1967年8月にウィンザー・ジャズ&ブルース・フェスティバルでライヴデビューしています(ちなみにこのときの参加者はクリーム、ジェフベックグループ、チキン・シャックなど)。活動間もなくして、ベースのボブ・ブラニングが脱退して代わりにジョン・マクビィーが加わります。
その後シングルをリリースし、翌年に「ピーターグリーンズ・フリートウッド・マック」、「ミスター・ワンダフル」をリリースします。そのうちの2作目のシングル「ブラックマジック・ウーマン」は今となってはサンタナの方が有名ですが、もともとはピーター・グリーンのナンバーです。

「英吉利の薔薇」と「聖なる鳥」、「ゼン・プレイ・オン」、「ブルース・ジャム・アット・チェス」と順調にリリースを続けたマックは、70年5月のバス・フェスティバルでピーターが脱退します。その後、ジェレミー・スペンサー中心で「キルン・ハウス」をリリースしたものの、ツアー中に今度はジェレミーが突然行方不明となり脱退します。このとき助っ人でピーターが参加しツアーは続行されたようですがピーターは結局は戻らず、マックにはボブ・ウェルチと、元チキン・シャックのクリスティン・パーフェクト(マクビィー)が加入し、この布陣で71年9月に「フューチャー・ゲーム」、72年に「枯木」をリリースし(ダニー・カーワンは72年8月に脱退)、次第にポップ色を強めていきました。

このBBCライヴは、3人のギタリストがいたブルースマックの演奏を楽しむ点で、お薦め盤です。曲ごとにそれぞれのギタリストの個性が発揮されています。
基本的に初期マックは、このアルバムでの解説でミック・フリートウッドが語っているように、ロックンロール志向のジェレミーのパワー、そしてダニーのハーモニーとメロディがバンドにカラーをもたらしているのがうなづけます。彼らによってピーターはいろいろと実験できたこと、そしてそのピーターの情熱と才能、彼と一緒のバンドでドラムスが叩けたことを誇りに思うと述べています。
なお、ピーター・グリーンは79年に復帰したものの84年にまた音楽活動を停止し、96年に復活しその後精力的に活動を続けているのはご存知のとおりです。