首相の靖国参拝。
公約どおり8月15日に行った。
しかし実際、小泉内閣総理大臣は、総理就任前には
靖国神社への参拝を行ってはいない。
単純に公約だからという理由で行っているところが大きい。
まぁそれはおいておこう。
私が思うのは、首相の靖国参拝というところよりも、
靖国神社が一体どのような性格の元で作られた神社なのか、だ。
靖国神社は元々、明治維新の際に、政府に貢献し、
戦没した者たちを祀る場として作られた神社である。
そして、現在問題になっているのはA級戦犯問題である。
諸外国が60年以上も前のことをまだうじうじ言っているという意見もある。
では、広島や長崎は原爆は60年前のことだからもう忘れろ、と言えるのか。
沖縄でのたくさんの自決者や戦死者のことはもう忘れてしまえ、と言えるのか。
戦争ではなく、普段の生活の中で、自分の家族が誰かに殺されたことを想像して、
刑罰が課された犯人を憎む気持ちを忘れろと言えるのか。
おそらく答えはほとんどの人がノーだろう。
一緒なのだ。中国や韓国などのアジア諸国にとっては。
もしあの戦争が本当にアジアの開放のためだったとしても、やり方は絶対に間違っている。
そのことを抜きにして、単純に外国が内政干渉するな、というのは大きな間違いであろう。
また、A級戦犯は東京裁判で決められたことだが、これは連合軍によるもので、
本当に悪いわけではない、という人もいる。
しかし、多くの日本人を死へ追いやっていた事実はあるのは確かだ。
戦争を行うということは人の生命に対する責任も負う必要があるのだ。
だから東京裁判云々というよりも、戦争によって多くの生命を落とさせたという罪は消えないものではないか。
また、靖国神社はA級戦犯を合祀する際、緘口令を出して合祀を行った。
これは国民の反対運動を恐れてのことだろう。
国家が国民の意見を聞くことを放棄してしまったのである。
これでは民主国家としての責務も果たせていないことになってしまう。
そのことを踏まえもせず、また、何も知らない状態で諸外国を批判したり、
靖国の賛否を問う論争をすることには非常に疑問を感じる。